The Birthday

空峯千代

The Birthday

 日本一のロックスターが死んだニュースで世の中が騒いだ。

 かくいう私も、青春時代には彼の音楽を聴いたし、前借りした小遣いでCDを買った。

 彼のライブ映像に憧れてギターを弾く真似もした。

 大人になるにつれて、あまり音楽を聴かなくなった。それなのに、訃報を知ったときはひとつの時代が終わった気さえした。


 会社の昼休憩でスマホを眺めていたら飛び込んできた知らせ。

 動物の画像と政治ニュースに挟まれたそれは、その日一日私の頭から離れなかった。

 気づけば、私は明日に有休を取り、翌日の早朝から起き出して電車に乗り込んでいた。

 亡くなったロックスターの生まれ故郷、そして思い出の地とインタビューで話していた場所。

 自分が音楽を聴かなくなってから、彼の訃報を知るまでの時間を埋めるように。気の赴くままに旅をしてみようと、そう決めた。


 早朝の電車は人が少ない。

 特に、乗車している区間は人の多い路線ではなく、ほとんど人は見当たらない。

 だからだろうか。不思議な動きをしている男性に視線が向いた。

 電車の出入口に近い座席に座っている男性は、一枚の絵を持っていた。

 A4サイズくらいの絵を手に持ち、車窓へと絵を掲げている。

 まるで絵に景色を見せているかのような動きに、すっかり私は興味を持ってしまった。


「見ますか? 私の絵」


 いつの間にかじっと見ていた私に気付いたのだろう。

 絵を持った男性に声を掛けられ、驚きに一瞬身体が震えた。

 しかし、事実面白そうだとは思っていたから、私は男性の隣に座席を移動した。


「さあどうぞ、遠慮なく見てください」


 男性は車窓に表を向けていた絵を、こちら側に向けてきた。

 言われた通りに絵を見ると、そこには亡くなったロックスターが精巧に描かれている。

 それも、素人目に見てもよくできた絵であることがわかった。

 それくらいに、卓越した技術と確かな熱量で描き上げられているのだろう。

 書き手である男性は「美大生だった頃に描いたものなんです」と告げる。


「いや、驚きました。あなたも彼の音楽が好きなんですか?」

「好きなんてものじゃありませんでしたよ。彼の音楽は僕の青春でしたから」


 少し調子の上がった男性は、私に虫眼鏡を渡してきた。

 訝しみながら受け取った私に、男性は「隅のあたりをよく見てください」と言う。

 彼の言う通りにしてみると、絵の隅に掠れている模様のようなものが見えた。

 記憶の片隅にあったその形。

 それが、ロックスターのサインであることにようやく気付く。


「これは、十何年前に彼の誕生日を祝うために描いた絵なんです」

 


 僕は彼の追っかけとして青春を過ごして、彼について知れることはすべて知っていました。

 ライブで演奏した曲のセットリストも、彼の行きつけの店も、インタビューに載っていた十代の頃のなんでもない話も。彼にまつわる話は、なんだって。

 美大の受験だった年、僕は生まれて初めて彼と顔を見て話したんです。それも彼のバースデーライブで。

 ライブハウスは独特な匂いがして、酒と観客に囲まれていた彼がそこにいて…当時未成年だった僕は緊張しながら一枚の絵を彼に見せました。


『これ、○○さんの絵を、描きました。僕、美大目指してて、ずっと、あなたの歌を聴きながら、描いてて、それで』


 僕はかなりアガってましたが、彼も相当酔っていて。

 アルコールでべろべろになりながら、インクが切れかけのペンで絵の隅にサインを書いてくれましたよ。その時、今なら死んだっていいと心底思いましたね。


『その絵、すげえロックだ。ありがとう』


 その言葉が忘れられなくて、心臓がどくどく音を立てそうなくらい興奮してました。


 後日、彼が行きつけのメキシコ料理屋に行くと、僕の妄想どおり彼はいました。

 何気なく隣のカウンター席に座って、お冷を一口飲んでから意を決して話しかけて…。

 テキーラを飲んでいる彼に書いてもらったサインの話をすると、その場でいきなり雑貨屋に連れていかれちゃって。

 何故か、その時に渡されたお詫びの品が虫眼鏡だったんですよ。


「サインを書き直してくれればそれで済むのに」


 そう話す男性は苦笑していたが、当時のことを思い出しているのか楽しそうだ。

 

「彼はもうサインを書くこともできないんですけどね」


 男性は、訃報を知って思い出の地を回りたかったのだろう。

 彼の音楽から離れていた私ですら、同じことを考えるのだから。

 私は、彼の覚えた悲しみに共感はしても同情はしないようにしたかった。


「せっかくなので、彼がその時にくれた虫眼鏡の箱も見てください」


 その辺の雑貨屋で売っていた品物なんですが、と男性が箱を開けて動きを止める。

 虫眼鏡の箱の中には、紙切れが一枚入っていた。

 男性が紙切れを手に取り、裏返すとロックスターの名前がでかでかと書かれてある。

 紙切れを眺めていた男性は、その字を眺めていたかと思うと涙を流した。

 泣き始めた男性を見て、私もようやく泣くことができた。

 隣の車両からは、赤ん坊の叫ぶような泣き声が聞こえてきた。

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