泣かない顔に塩2
「どうして岬さんに殴られたのか、心当たりはある?」
「いいえ。ただご存知かと思いますが、岬さんとは上手くコミュニケーションが取れない状態でした。トラブルに発展する可能性があるので必要以上に接触しないようにしていましたが、私のそうした態度に思うところがあったのかもしれません」
仕事だからと思って態度は変えないよう気を付けていたつもりだったが、滲み出るものがあったのかもしれない。しかし社食での一件以来、岬は独り言ほどの声量で果奈に向かって口汚いことを言うなど苛立ちを隠さない言動をするようになったのだから、お互い様だと思う。
「彼女は君に脅迫されたと言っている。社内ポータルの掲示板の書き込みがその証拠だそうだ」
「嘘つきうんぬんという書き込みでしたら私ではありません」
今田さんに見せてもらいました、と説明するが、鬼嶋は最初から岬の言い分を話半分に聞いていたらしく、そうだろうなあという顔をしている。無実の者はそんなことを言わないからだ。
名指しされたわけでもないのに脅迫されたと主張したのなら、脅されるような後ろめたいことをしていると自供したようなものだった。
「心当たりもない?」
「ございません」
「わかりました。とりあえず報告すると、掲示板は閉鎖することが決まりました。社内ポータルサイトを作り直したときに掲示板を設置するかは未定だけど、再開するときには新しいものにしてもらうよう担当者にお願いします。岩田さんから希望はありますか?」
「いいえ。特にありません」
社員たちが占いで盛り上がっているのを知っていて、自分では一度もそれを覗きに行っていない果奈に要望などあるはずがない。新装されたとして使うかどうかも怪しい。強いて頼むとすれば社内いじめやトラブルに発展しないような作りにしてほしいということだが、そんなことは上役たちも重々承知だろう。
「では岬さんの対応に望むことはありますか?」
別に何も、というのが正直な気持ちだった。
勤務先の上司の叱責で人間が変われるとは思わないし、岬は恐らく今回の件でも懲りないという諦めにも似た理解があった。
だから、どうでもいい。岬愛美は果奈にとってその程度の人間だ。
しかしそう言えば色々と問題があることもわかっていたから、当たり障りのない内容を伝えることにした。
「今回の書き込みを信じるなら岬さんたちは複数で動いているようでした。本当にそうなら誰か一人が処分を免れることのないように、また、他に被害者がいるようならそのケアをお願いいたします」
「配置転換は? この時期だともう少し待ってくれと言われるだろうけど、来年度はどちらかを別の部署にしてもらうことは可能だと思うよ」
麻衣子が異動したのだから次は果奈が動く話が出ていてもおかしくないが、特に行きたい部署もやりたい仕事もないので「いいえ」と首を振った。
「特に希望はありませんが、業務が滞りなく進む配置を考えていただければと思います」
「それが一番難しいんだよね。……教えてくれてありがとう。岩田さんがそう言っていたことを報告しておきます」
聞こえてきた本音に悪いことを言ったかもしれないと思いつつ「よろしくお願いいたします」と頭を下げると、次の瞬間、ばちっと鬼嶋と目が合った。その顔が心配そうに歪む。
「顔の傷、大丈夫? 病院は?」
「かすり傷ですので業務に支障はありません」
先ほど尾田に言ったように病院にかかるほどのものではないと説明するが、やっぱり絆創膏は大げさに見えるらしい。後で外しておいた方がよさそうだ。
「綾子の知り合いに、治癒能力を持っている人がいるけど……」
「とんでもない。お気持ちだけで十分です」
顔についた爪痕程度でそんな貴重な能力を持ったあやしの人を頼るわけにはいかない。「治療費は気にしないでいいよ」と鬼嶋は言うが、気にならないわけがなく「必要ありません」と繰り返した。
「……部長から連絡がないな」
スマホを確認した鬼嶋が呟く。動きようがないいまだったら、果奈が感じている疑問を話し合うことくらいはしてもいいかもしれない。そう思って右手を軽く挙げた。
「……鬼嶋課長。ここだけの雑談をしてもよろしいでしょうか」
「そういうのは雑談と言わない気がするけど、どうぞ」
「掲示板の占い師と今回の書き込み主は、別人だと思います」
おかしそうに笑っていた鬼嶋が途端に真剣な顔になった。
「……どうしてそう思うの?」
「掲示板の第一の占い師は岬さんか彼女に近しい誰かで、数名で共謀していた、もしくは占い師は別人でその書き込みに絡めて誹謗中傷を行っていたと考えられるからです」
目つきを鋭くする鬼嶋に「本当に『ここだけの話』ということでお願いいたします」と前置きして果奈はこれまで感じていた違和感と推論について口を開いた。
「共有フォルダを復旧させるために残業した日、二人きりになったときに、岬さんが私に魔性の女だと言い放つということがありました」
「そんな報告は受けてないよ」
「お伝えするまでもなかったからです。……そのとき掲示板では総務部事務課の岩田は魔性の女であるという話になっていました。ですから私は、彼女も掲示板のことを知っているのか、と思っただけでした。岬さんなら見ていないわけがないと思ったからです」
鬼嶋が不愉快そうに眉間に皺を寄せるのを、果奈は静かに見返した。申し訳ないが、実態はどうあれそういう話になったのは事実だ。このことを避けて果奈の考えを話すことはできない。
「そこに今回の書き込みです。これに岬さんは激怒し、私を書き込み主だと思い、脅迫されていると主張した」
何故怒るのか? 脅迫されていると思ったのか? 果奈を書き込み主だと決めつけたのか?
心当たりがあるから。それ以外にない。
「ですから彼女たちは占い師本人、あるいはそれを利用しているなどやましいところがあった。ゆえに今回の書き込みは第二の占い師とも呼べる別人によるものだ、という結論です」
占いが的中したのは、複数犯だったからだろう。具合が悪そうな人たちが身近にいれば風邪が流行ると予想し、そろそろ設備が壊れそうだと誰かが話しているのを聞いて注意を促したり、とそれぞれが所属先で見聞きしたものから推測される内容を占いとして書き込んだのだ。千里眼という異能があるが、複数の人間が寄り集まってごくごく狭い範囲で千里眼やさとりのようなことをやった、というわけだ。
掲示板の流れも、複数人で書き込めば操作できる。
掲示板のスクリーンショットの違和感も、最初から広めるつもりで撮影していたのなら説明がつく。『魔性がみんなを不幸にする』のスクリーンショットはまだ返信が一つもついていない状態で、まるで占い師が書き込むのを待ち構えていたかのような撮影時刻が上部に表示されていたのだ。書き込まれる時刻がわかっていたら、書き込み主がすぐ近くにいたのなら、それも難しくない。
動機は、恐らく果奈を叩きのめしたかったからだろう。もともと岬とは相性が悪く、揉めたことで不満を抱えていたそこに、鬼嶋と一緒にいたらしいという目撃証言が浮上したせいで社内の親しい人間と共謀することにした、そんなところか。
まあそんなことはいくらでも考えられるし、可能性の話を始めるときりがないが、果奈の結論はこうなる。
「これはすべて独断や偏見が大いに含まれた私個人の考えです。お耳汚し、大変失礼いたしました」
「あくまでもただの推測です」としつこいくらいに念を押すと、表情を消していた鬼嶋は思わずといった様子で笑った。
「わかってる、ここだけの雑談だ。じゃあ次はいまだけの雑談をしよう」
冗談めかした物言いをした鬼嶋はその笑みを残したまま、果奈に問いを投げかけた。
「岩田さんの考えを踏まえると、第二の占い師は何者で、その目的はなんだと思う?」
果奈は首を振った。
「わかりません。ただ、何故知るはずのないことを知っているのか、ということが気になります」
匿名で利用されている掲示板で、何故岬たちが行動していることを知り得たのか。
どうして岬を『嘘つき』の『魔性』の『お前』だと断定しているのか。二人きりだったはずの果奈と岬のやり取りを知っているからなのではないか。
「それから、第二の占い師は以前の書き込みに反論しようとしている気がします」
「反論?」
「第一の占い師は『魔性がみんなを不幸にする』と書き込んだことがあります。それに対して第二の占い師は『周囲に不幸を振り撒くのも、それを悦んでいるのもお前だ。』と、『お前』が主張する人間ではなく『お前の方だ』と言い返しているような印象を受けました」
「だったら岩田さんの身近な人だということになるけど……」
「私を庇う理由が不明なので、この場合は第一の占い師を動揺させるためのものだったと考える方が可能性が高いように思います」
「そこは岩田さんを助けたいと思っている人がいることを信じてほしいところなんだけどな」
鬼嶋は少し怒っているような微妙な顔をする。卑下しているわけではなく本当のことを述べただけなので異議を唱えられても困るし、鬼嶋のそういう表情はあまり得意ではない。果奈はすっと視線を逸らして話を続けた。
「……ですから、第二の占い師とは、岬さんたちに思うところのある、知り得ないことを何らかの手段で知ることのできる第三者が、彼女たちを懲らしめる目的で介入してきた、ということではないでしょうか」
「それは」
鬼嶋が言ったところでバイブレーションの音がした。確認した鬼嶋が素早く返信を打つ。
「部長だ。岬さんを帰宅させたらしい。今日と明日を欠勤にしたからよろしく、だって」
「かしこまりました」
この時期に一人欠けるのはきついが、心の平穏は保たれるのでプラスマイナスゼロだ。
(豪華なお弁当で乗り切るしかない)
今日は買い物をして帰ろう、値段など気にせず好きなものを買ってやろうと心に決めて、部長と話をするという鬼嶋と別れた果奈は事務課に戻った。
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