騒ぎの予感2

 麻衣子が選んだのはもくもくと美味しい煙の匂いがする串焼きの店だった。

 自社のある大小の企業が集まる地区から外れていて、駅とは逆方向なこともあり、定時直後に向かうと待つことなく半個室の席に通される。


「コースでいいよね」

「うん」


 果奈が料理の内容を確認しようとメニューを開いている間、麻衣子は二人分のコースと烏龍茶を注文すると、前もって準備していたらしい手際の良さで何かの写真を表示させたスマホを差し出した。


「読んで」


 お手拭きで両手を拭い、スマホを受け取って内容を確認する。


 画像は会社のポータルサイト、あの掲示板を撮影したものだった。急いで撮ったらしくパソコンモニターの波模様のモアレが映り込んでいる上、できるだけ内容を表示させるためか文字サイズが縮小されていて、拡大表示にしてもかなり見辛い。


「…………」

「表示されてるけど、それが書き込まれたのは今日の十六時二十九分。どれだけの人間が見たかはわからない。私は人事部の同僚からおかしな書き込みがあるって聞いて確認した」


 ――今日の占い。


 例の占い師の新しい書き込みのタイトル。本文は、短い。


「『魔性がみんなを不幸にする』」


 そしてそれに対するツリーは異様に長い。占い師を歓迎しながら『よくわかりません。詳しく教えてください』『急いで書いたんでしょうか?』と問いを投げかけたり、『偽者ならやめてください』と疑ったり、その後は『社内の魔性って誰のことだろう』という書き込みをきっかけに推理が始まっていたようだ。さらに続いていそうだが、文字が潰れていて読めない。


「お待たせしました、烏龍茶とぉ、お通しでーす」


 飲み物のグラスと小鉢に入った塩キャベツがやってきた。キャベツのトッピングは塩昆布かと思いつつ、とん、とスマホの画面を叩いてステータスを表示させる。

 写真の撮影時間は十六時五十分。三十分足らずの間にここまで書き込みがあるとは。定時前なのに弊社社員は何をしているのか。


 とりあえず「読んだ」と麻衣子にスマホを返す。


「それで、これが何だって?」

「率直に言うと、この後あんたがこの書き込みの『魔性』の女ってことになってた」

「……はあ」


 心当たりがなさすぎて言えることが何もない。ぽりぽりとキャベツをかじって烏龍茶で喉を潤すと、途端に空腹感が増して、先ほどから漂ってくる煙と肉の焼ける匂いが恋しくなる。


「その様子じゃ、まだ誰からも何も言われてないのね」

「うん」


 事務課も総務部も基本的に定時の十七時で部屋を閉めることになっている。書き込みがあった定時三十分前頃は、帰る支度を始めて席を外しているか、仕事を終わらせようとほぼ全員が集中している。そこに課長の鬼嶋か尾田のどちらかが在席していれば、掲示板の書き込みを見ることも、それについてお喋りすることもできない雰囲気だ。

 もちろん、上司の目を掻い潜って掲示板のみならずショッピングサイトを見たりメッセージアプリで誰かとやりとりしたりする者はいないとは言わないけれど。


「言うにしても、半笑いで『まさか岩田さんじゃないよね』ってところじゃないの」

「普段ならね」


 目を上げたそこに「お待たせしました!」と差し出される串焼きたち。薄い豚バラ肉でそれぞれ巻かれたアスパラガス、山芋、茄子、えりんぎの断面がなんとも言えず美味しそうな野菜巻きだ。


 だがそれに手を付けるタイミングではなかった。店員が去ると麻衣子がため息を落とす。


「果奈。あんた、私に隠し事してるよね」

「してる。お互い様だと思うけど」


「まあね」と果奈の発言をさらりと流して不機嫌にならないところが麻衣子のいいところで、二人が友人関係を続けている理由だろう。何でもかんでもプライベートをさらけ出す必要はない、話したくないことはあって当然だと思える相手はいくつになっても貴重だ。


「多分その隠し事のせいであんたが鬼嶋さんを誑かした魔性だって話になってる」


 そして率直に切り込んでくるところも、怒っていると評される無愛想顔で見つめてまったく怯まないところも、果奈が麻衣子を好ましく思う理由の一つだ。


「公園でデートしてたって? あと、鬼嶋さんの車からあんたが降りてくるのを見たって人がいる」

「ごめん、食べながらでいい? 肉の脂が固まるのが嫌だから」


 さすがにこの発言には麻衣子も険しい顔をしたが、昔から果奈が繰り返している「食事中のお喋りで料理が冷えるのが嫌い」という主張を思い出したのだろう。はあ、とため息を吐いてヌーディーカラーのネイルで色取った手をどうぞと振った。


「いただきます」


 こういうときでも、こういうときだからこそ、挨拶は欠かしたくない。

 両手を合わせた後、手が汚れることなど気にせず、まずはアスパラガスの串を掴む。備え付けの塩や薬味は使わず、まずはそのままかぶり付いた。

 下茹でした青々としたアスパラガスのほのかな塩気、薄切りの豚肉の油の甘さに、全体を引き締める粗挽き胡椒。肉を巻いて焼くという手間だけでこんなに美味しくなるのかと思う。


(豚肉で巻いて焼いやつが美味しくないはずがない。脂身が苦手だって人も多いけど、焼くならやっぱり赤身と脂身が程よく混ざってる方が美味しい)


 しゃっきり感の残る山芋、じゅわっと味が滲み出る茄子、歯応えと味わいがしっかり感じられるエリンギ。そして肉。冷たい烏龍茶をぐびっと飲めば、仕事で疲れた身体と、これから疲弊するだろう心に染みる。


「相変わらずの食べっぷり」

「仕事終わりだから」


 そう言う麻衣子も串を二、三本口にして少し気持ちが落ち着いたらしい。食事に誘ったときより落ち着いた調子で「それでさ」と話を再開した。


「噂の真偽のほどは?」

「公園のカフェには行った。車で送迎したもらったこともある」

「……まじかよ」


 麻衣子が顔を引きつらせる。その話が出たのならもう嘘は吐けないし誤魔化すことはできない、する必要はないと思ったのだが、もしかしたらまだ隠す余地はあったかもしれないと思ってしまった果奈だった。


「どういう経緯でキングとデートすることになったのかめちゃくちゃ聞きたい。っていうか聞かせろ」

「課長の頼みごとを引き受けてる。公園行きも送迎もその副産物」

「もっと具体的にお願いしまーす」

「関係者の許可を得てからお問い合わせください」


 麻衣子のことは信用しているが、鬼嶋の家族、しかも妊娠中の姉に関わる話だ。彼ら姉弟があやしだということも含めて、説明する権利は果奈ではなく鬼嶋本人にしかない。


 果奈の淡々と、あるいは堂々とした態度から、まったく後ろ暗いものではないと判断したらしい。社内の超有名人の鬼嶋と果奈の組み合わせに思うところがないはずがないだろうに、麻衣子は深い深いため息と呆れた顔でその言い分をそのまま飲み込むことにしたようだ。


「じゃあ、たらし込んだってのもまったくの言いがかりってわけじゃないのか」

「言い方」


「ごめんごめん」とまったく気のない返事をされる。事情を知らない麻衣子に気遣えと言うのは自分勝手だとは思いつつも少し苛立った。しかし顔には出ない。


「掲示板の話じゃなかったの?」

「そう、だからこの書き込みをきっかけに、そういえばって感じであんたと鬼嶋さんの目撃証言が次々に上がったの」

「鬼嶋課長と親しく見えるだけで魔性? 飛躍がすごいな……」

「掲示板によるとその『S部のIさん』、キープしてる男が何人もいるらしいけど」

「それは本当に心当たりがない」


 きっぱり言い切ったところで次の皿が来た。ミニトマト、カマンベールチーズ、レタス、アボカドを、今度はベーコンで巻いた洋風串だ。「お好みでオリーブオイルをどうぞ!」と店員がオイルの入った小さな瓶を置いていく。調味料用の小皿もあって手厚い。


「まあそんな感じで、伏せてはいたけど結局あんたのことだって特定されてたから、不適切な書き込みだということで上司から情シスに連絡してもらって、ポータルをメンテ状態にしてアクセスできないようにしてもらってる。明日どこまでこの話が広がってるかってところね」


 対処が早かったのは近頃の掲示板の盛り上がりと、先立っての個人情報の無断閲覧の件があったからだそうだ。書き込みの消去の是非は後日検討するにしても、ひとまず利用の際の注意事項を記載する必要があると判断されての一時閉鎖らしい。


「だいたい把握した。ありがとう、お疲れ様」

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