掲示板の占い師
むすび食品株式会社には社員向けポータルサイトが存在する。
ブラウザのウィンドウを狭めるとスクロールバーが出現する等幅固定表示、サブメニューが左右に表示されるレイアウト、リンク色がデフォルト、設置目的は各部署と社員を結びつけるため、という、異業種の人間に話すとほぼ十割の確率で共感を得られるサイトだ。情報システム部や広報部がこちらにあまり重きを置いていないことはよくある話らしい。
現在では各部署が月報を掲載するだけの場所となり、初期の頃に何度か書き込みされただけの交流用掲示板も長らく放置されていたが、これがつい先日から活発に稼働し始めた。
書き込まれたのは占いだった。これが凄まじく当たると少しずつ評判になり、こういうことで悩んでいるので占ってほしい、アドバイスをください、などの書き込みが殺到して、社内ポータルにログインすると掲示板には新規書き込み数を示す通知バッチが常に表示されている、という状況になっていた。ついには、掲示板だとレスポンスが遅い、順番が後の方だからと直接占ってもらおうと考える者も現れ、よく知らない人間も混ざって、当該社員を探し出そうと一種のお祭り状態になりつつある。
「なんとかを探せ状態なわけね。そんなに暇な職場じゃないでしょうに」
まさしく、と果奈と鬼嶋は頷いた。ごく一部を除き、ほとんどの人間が暇さえあれば社内ポータルにアクセスして掲示板を読み耽っているのだから。
「その当たる占いってどういう内容なの?」
「私が確認したのは、社内人事に関することや、トラブル発生の警告、運気アップのためのラッキーアイテムについてでした」
「それを言い当てたわけね。社内ポータルサイトにアクセスできて、会社の状況を把握できているなら社内の人間だと考えるのは当然よね。誰かのアカウントを借りて社外の人間が書き込んでいる可能性もまったくないわけじゃなさそうだけど」
「問題は、そのせいで危うく戒告処分しなくちゃならなかったことなんだよ」
総務部事務課課長の鬼嶋は管理職ゆえの苦悩のため息を落とした。
「社員名簿を不当な手段で閲覧しようとした人間が出たんだ。占い師はあやしじゃないか、だから名簿で確かめよう、なんてことを考えたらしい」
社員名簿には採用時の履歴書もファイリングされている。配慮が必要な事項に含まれるあやしであるかどうかの情報も記載された、個人情報の塊だ。閲覧には当然必要な手続きと事由がなければならない。
これをおざなりにした社員数名が噂を知らなかった管理職に見咎められ、危うく処分されそうになり、状況を鑑みて他の社員たちの牽制のため、とりあえず厳重注意で終わらせたということがあった。効果があったのか幸いにも同じことをしでかす愚か者はいまのところ見られない。
なお注意を受けたのは弊総務部ならびに事務課に所属している社員ではない。しかしいつどこでトラブルという爆弾をばらまいて暴発させるかわからない後輩を抱えている果奈としては、他人事にしてはいけない騒ぎだと思っている。
「へえ、よほど当たるのね、その占い」
(それはどうだろうか)
「どうだろうね」
鬼嶋も果奈と同じように考えていたらしい。尖った語調になっていたと気付いたらしく、しまったという顔をして食事に戻ろうとしたが、直後、テーブルの下でがすっと鈍い音がした。
「そこで黙るな」
「……その足癖の悪さが俺の甥か姪に遺伝しないことを心から願うよ、本当に」
(お、おぉう……)
付き合いが長くなるに従って互いに慣れたこともあるが、綾子の弟に対する強すぎるスキンシップに、果奈は未だにびっくりさせられてしまう。あの鬼嶋を蹴っていると思うと動悸が止まらない。
ともかく説明しないという選択はできないので、鬼嶋は渋々口を開いた。
「その占い師が本当に占っているかは正直微妙なところだと思う。人事だったりトラブルだったり、社内の出来事なら社員が前兆を察知できてもおかしくないし、ラッキーアイテムの効果のほどは本人の主観によるものでしょう。名簿の件で俺も書き込みを確認したけれど、相談者に対する占い師の回答の大半はコミュニケーションの常識の範疇だった」
――Aさんにこのように言われました。私はどうすればよかったのでしょうか?
――あまり気にせず、するべき仕事をきちんと果たしましょう。努力するあなたを見てくれている人は必ず近くにいますから、決して自分の仕事に手を抜いてはいけません。
鬼嶋の言う通り、人間関係の相談事にはおおむねこのような回答だった。なんだかカウンセラーのようだと果奈は思っていたが、その後の書き込みではほとんどの相談者が助言通りにしたら上手くいった、占いが当たったと感謝の言葉を寄せていた。
「『大半じゃない部分』は?」
鬼嶋は苦いものを飲み込むような顔をした。
「……悪いことが起こると注意を促す内容で、しかも的中する」
綾子は眉を上げて、不敵に笑う。
「災いを言い当てる、か。なるほど、だからあやしだろうって話になるわけね」
予知能力を持つあやしはよく災害や事件事故を知らせるというが、それは大きな事柄なので察知しやすかったり、あるいは発生する可能性が高いのに黙ってはいられないと行動したりするだけで、不幸な未来ばかりが見えるわけではないのだそうだ。
社内ポータルの占い師の占いは、設備が壊れるとか、近日中に誰かが怪我をする、大病が発覚するので心当たりがある者は病院に罹れ、といった狭い範囲のものだ。しかし確かにお手洗いだのパソコンだのが壊れたり、出勤中に転んで骨折した人間がいたり、思うところがあって病院に行ったら手術が決まって病気休暇を取る社員が現れたりと的中していて、あやしの能力らしい雰囲気もある。
「それで、どうしたいわけ?」
「特には。これ以上問題にならなければ占いでも何でも好きにしてくれていいよ」
「果奈ちゃんは? 私に聞いてきたってことは何か気になることがあるんでしょう」
問われて、改めて考えてみる。何故綾子に話してみようと思ったのか。
「……わざわざ社員だけが閲覧する掲示板に占いを書き込む理由が気になる、かもしれません」
社内ポータルなのだからむすび食品の社員だけが見る場所だ。そんなところで占いを、それも果奈のようにダブルワークをして金銭が発生するわけでもない、予知めいたそれを書き込んで他の相談に応じている。そうして時間を割いてまで誰に何を伝えたいのか、何をしようとしているのかがわからないのだ。
「それから、占いを読んでいる人たちがこれまでと別人のような言動をすることに違和感を覚えています」
「ああそれは俺も思ったな。占いではこうだったからってその通りの行動をしようとする人たちに遭遇して、あまりいい気分はしなかった」
「それで、果奈ちゃんも輝も、あやしかもしれないけれどただの悪戯かもしれないと考えているわけか」
果奈と鬼嶋の目が合った。そうなのかという顔をしている。
たとえばあやしだとカミングアウトしていない誰かが、警告を兼ねて掲示板に書き込んでいる可能性は十分ある。しかし同時に、自分の知る事情と予測を占いと称して書き込み、よく当たる占い師だの、あやしに違いないだのと騒がれている様子を楽しんでいることもありそうだと考えていた。
果奈は『無愛想クイーン』。周囲に混じって熱狂することができない、冷めた性格の人間だ。騒ぎが大きくなればなるほど一歩退いてしまいたくなる。
「そういう感覚は大事よ。だからとりあえず放っておいていいんじゃない?」
けろりと綾子が言ったので、そうしようと果奈は頷いた。本気でまずいことになるのであれば綾子は警告してくれるだろうし、そうでなくても自社の出来事なのだから、何かが起ころうとも果奈や鬼嶋がそれぞれで向き合うしかない。日常とは、社会とはそういうものだ。
(念のためにしばらく豪華なお弁当を作るか)
忙しいときやトラブルの気配を感じたとき、果奈は少しだけお弁当を特別なものにする。肉系のおかずや揚げ物、パン屋さんで買ったパンに合わせて手の込んだスープを作るなどして、ささくれ立つ心を宥めているのだった。
ほどよく熱が取れた野菜を美味しくいただきながら明日のお弁当のことを考えていると、綾子がふうっと肩を落とした。
「果奈ちゃんのそういうところ、とっても好きだけど、ちょっと寂しい」
どういうところなのだろうと思いながら「ありがとうございます、申し訳ありません」と言ってみたが、やれやれと首を振られてしまった。しかし隣に座る鬼嶋の口元がかすかに笑っているのに気付くと途端に羞恥心に見舞われる。
かなしい、と思われているのにそうして笑っている意味が、果奈にはわからない。
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