多分仕事じゃない2

 ざっと見回しただけで、売られているのは野菜や果物だけでなく、ハーブや切り花、それらを使った雑貨と、思っていたより幅広い。販売しているのも若い男女、熟年夫婦、互助会でもあるのか女性ばかりのグループと、年齢も服装も色々だった。


「そのレース、綺麗な色でしょ? 玉ねぎで染めたんですよ」


 何も考えずに視線をやった店先にいた女性が言う。目が合って笑いかけられ、自分に話しているのだと気付いて、果奈は戸惑いつつ足を止めた。


「ほら、玉ねぎの皮の色でしょう? こっちはにんじん染め。これはみかん、それから葡萄ね」


 言わてみれば確かにと思わせる色合いのレース網だ。白い糸と組み合わせたコースターやテーブルランナー、ポーチや花を模した小物など、繊細な編み物の芸術品ばかりが並んでいる。

 時間をかければ作れるだろうが、販売できる量の作品を完成させるのは、続ける才能がなければ難しい。値段も、その手間隙に見合ったものだと思える。


「よければこれ、どうぞ」


 黙って眺めているだけの買う気がない客だと思われそうなものを、女性はにこやかに、けれど押し付けがましくない手つきでカードを差し出してきた。


 名刺サイズのショップカードで、レースドイリーの形のエンボス加工が施されていてかなり洒落ている。これも手作りなのかと思っていると「姪に言われて作ったんですって」と女性は笑う。


「私たちはインターネットに疎いから、このホームページのことも姪がやってくれたの。いままで作ったものの写真を載せているから、よかったら見てやってください」


 ホームページもとい、写真投稿系のSNSのアカウントとQRコード、販売系サイトのアカウントの記載がある。お手製のレース編みのイメージを損なわないデザインで、その姪氏とやらは非常にセンスのある人物らしい。


「ありがとうございます。ちょうだいします」


 家に帰ったらスマホで検索してみようと思い、なくさないようカードケースの中にしまう。

 そうして店先から離れるが、ただ見るだけの客だったにもかかわらず、女性は「ありがとう」と嬉しそうに手を振ってくれた。


(…………うん?)


 普段通りの顔つきでぶらつく果奈はスーツ姿なら多少強面でも許されるものを、普段着だと厄介ごとを持ち込む類の人に見えるとかで、売り子から声をかけられることは滅多にない。だから先ほどの女性とのやりとりはかなり珍しい。

 だからいつものように見たいものを見て歩いているいま、前方に見える、明らかに困っていそうなお年寄りに果たしてこちらから声をかけていいものか、非常に迷った。


 華奢なキャリーカートに野菜が詰まっていると思しき箱を積み、数種類の野菜や果物の入ったビニール袋を乗せたりぶら下げたりしていて、自身が背負ったリュックサックも白ねぎとごぼうが突き刺さっている。そんな大荷物の持ち主は、鞄を背負っているのか背負われているのか不安になってしまうような小柄な老女だった。


 そうやって果奈が観察している間も、歩いているように見えてほとんど進めていない。周りの親切な人間が手を貸しそうなものだが、まるで見えていないのか、老女のいるところだけぽっかりと空白ができているように錯覚する。


(……まあ、断られたらそのときだ)


 親切にしようと思ったら余計なお世話だったということもよくあるのだし、無理強いしなければいいだけだと、さっさと近付いて「もし、すみません」と声をかけた。


「お困りですか? よろしければお手伝いさせてください」


 そう言ってはみたものの、ぎゅるんと勢いよく振り向いた姿が首の回る人形のようでちょっとびっくりした。しかも思いがけずくりくりした大きな目が印象的な可愛らしい人だったので余計に驚いた。


「…………」


 そんなお年寄りの真っ直ぐな視線に、果奈は石のように固まった。愛想のいい笑顔を浮かべることも、口を開いて「何でもありません」と言うこともできず、不機嫌に見える普通の顔で視線を受け続ける。

 何故だろう、目を逸らしてはいけない気がする。


(……綺麗な目だな)


 よく似た目を知っている、とそれを思い出そうとした果奈を「あなた」と老女の静かな声が引き戻す。


「あなた、この荷物を運ぶのを手伝ってくださるの? とっても重いのよ?」

「一度にすべては不可能だと思いますので、どこかで預かっていただいて往復しましょう。ちなみにどちらまでお持ちすればいいですか?」

「公園の入り口に車を呼ぶわ」


 だったら気のいいドライバーなら手助けしてくれるかもしれない、などと打算的なことを考えた。


「では公園の入り口に荷物を運びましょう。車を呼ぶときにはそこに停車するよう頼んでいただいて、マダムはそこで荷物番をお願いできますか?」


 女性は大きな目をますます丸くしたかと思うと、次の瞬間「マダム!」と鳩の玩具が壊れたような、ほほほほほ、と甲高い声を響かせて、果奈を大いに怯ませた。


 しまった、マダムはまずかったか。


(高齢女性への敬称って他に何があったっけ? レディ? ミズ? ええと、刀自、も入る?)


 その声はよく響いたのだろう。思考が混乱するあまり石化していた果奈を呼ぶ声がした。


「岩田さん? どうしたの?」


 早足で駆けつけてくる鬼嶋の姿を捉えたときの安心感は筆舌に尽くし難い。

 やってきた鬼嶋は果奈の混乱を見て取り、その原因である小柄なマダムを見遣ると、途端に思いがけないような顔をした。

 まさか知り合いか、と思ったが、それは杞憂だった。


「失礼ですが……」

「ああ、ごめんなさいね! マダム、なんて呼ばれるとは思っていなかったから。ふふふ」


 くるりんと動いたダムの大きな目は三日月の形になって、果奈と鬼嶋を映している。不愉快にさせていないとわかって硬直が解けた果奈は、先ほどのマダムとのやりとりを説明した。


「ですので、これからお手伝いをしてきます。課長はどこかで時間を潰すか、お帰りになっていただいても」

「待たないし帰らないし、手伝うからね?」


 呆れたように言われてしまった。手伝うと言ったのは果奈なので鬼嶋は関係ないはずだが、きっと常識のある人はこう言ってくれるものなのだろう。そのせいでしなくてもいいことをやらせてしまって申し訳ない。


 そんな鬼嶋はマダムの荷物を一瞥し、ふむ、と唸った。


「これくらいなら俺一人で大丈夫だな」

「え」


 つい声を上げてしまったが、無用の心配なのだと気付く。


(そうだった、怪力の能力を持っている人だった)

「鞄をお預かりして大丈夫ですか?」

「ええ、お願いね」


 預かったリュックサックを軽々背負った鬼嶋だが、それでも鞄はひどく大きくて重そうだ。代わりに現れたマダム本体は置き物か雛人形かというくらいちんまりしている。


(というか、着物であのリュックってすごいな)


 荷物とコートのせいで気付かなかったが、マダムは着物姿だった。しかし靴は柔らかそうな素材のスニーカーという洒落たコーディネートだ。


 だが頭の中でファッションチェックをしている場合ではない。キャリーカートに積んでいたビニール袋を回収すると「持つよ」と告げた鬼嶋にそれを差し出した。


「申し訳ありません。お願いします」

「うん。でも岩田さんはこっちね」


 くすっと笑った鬼嶋はビニール袋を果奈に押し戻すとキャリーカートの持ち手を取った。

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