多分仕事じゃない3
「荷物は俺が持つから、岩田さんはあの人についていてあげて」
はいと応えるほかなく、先に歩き出した鬼嶋の後ろをマダムと一緒に歩く。
公園なので道は舗装されておらず、万が一キャリーカートが倒れかけたら走っていって支えようと見守っていたが、しばらくして歩きづらいと思ったのだろう、鬼嶋が立ち止まってしゃがみ込んだ、次の瞬間、箱を持ち上げるようにひょいっと腕に抱え上げた。
(お、おぉ)
「あらあら」
積んでいた箱の中が空っぽのように見えてしまう膂力に驚いたのも束の間、マダムが感心したような反応を示したので、はっと様子を窺ってしまった。
鬼嶋の容姿で、あの怪力を見せられたら、あやしだとすぐに察せられる。マダムがどういう人かわからないだけに、果奈に付き合って手伝いを申し出てくれた鬼嶋に嫌な思いをしてほしくない。
「とっても力持ちでいらっしゃるのね。ご存知だった?」
「はい」
「そう。それはよかったわ」
マダムの言葉には含みがあった。
けれど果奈を見る彼女の目はやっぱり三日月の形をしていたから、悪意はないのだとちゃんとわかった。
「頼りになる方ねえ」
「はい」
だからその言葉に心から賛同できた。
前を行く鬼嶋の背中を見る。果奈たちが立ち止まったことに気付いて、歩調を緩め、ついには振り返ってどうしたのかを確かめる。目が合い、「どうしたの?」「大丈夫だよ」と言う代わりに優しい顔をする。
果奈が頼ってくれないと鬼嶋は言う。助けさせてくれないと言う。
それは鬼嶋が事前に目を配って気を回してくれているからで、本当に困ったときには頼らざるを得ないし、そうならないよう果奈が何とか努力できているということだけれど。
でも、多分、それだけじゃない。
頼らなくても。助けてもらわなくても。何をしてくれなくても。
鬼嶋輝という人がそこにいるだけでよかった。
ああきっと大丈夫だと、頑張ろう、まだ頑張れると、思っていられた。
「はい。とても、頼りになるんです」
だからもうとっくに助けてもらっているのだ、ずっと。ずっと。
知人でも友人でもない人に告げた言葉は、誰に言うよりも素直で、ささやかな熱が籠もっていた。
広い公園の入り口は複数ある。果奈たちがやってきた駅に近いところを始め、表通りに面した歩道沿い、隣接する駐車場に繋がるところと、利用場所によって使い分けができるのだ。
マダムが指定したのは、そんな駐車場側の入り口だった。
「……ん?」
荷物の置き場所を検討していた果奈と鬼嶋の目の前に、黒塗りの乗用車が滑るようにやってきて停車した。他の車と並ぶと目立つ独特のデザインと艶やかなボディは、いわゆるラグジュアリーカーの特徴だ。
(なんだ?)
訝しげな鬼嶋と警戒する果奈だったが、降車したスーツ姿の男性はざっとこちらを一瞥すると、何故か軽く一礼した。
「わざわざご苦労様。早速で悪いけれど、荷物を積んでくださいな」
そんな男性にマダムが指示を出す。男性は鬼嶋と果奈からマダムの荷物を受け取ると、「手伝います」という箱の重さを心配した鬼嶋の申し出には「お気持ちだけいただきます」と断り、てきぱきとトランクルームに積み始めた。
車を呼ぶというのは、タクシーではなく自家用車だったらしい。しかも運転手付きだ。先ほどからこの人に驚かされっぱなしだが、ここまで来るとありのまま受け入れるほかあるまい。
明らかなのは果奈が一番避けたかった余計なお世話をしてしまったということだ。
(私ごときが不相応な真似をするなということか)
荷物を積み終わった運転手がいつでもマダムを迎え入れるように後部座席のドアの前に立つ。
「お二人とも、どうもありがとう。デートの邪魔をしてごめんなさいね」
(デート)
その単語を思い浮かべなかったわけではないけれど、言われてしまうと全身に軽く動揺が走る。しかし仕事ですと主張すると説明が複雑になるので、ここは黙っておくのが得策だろう。
「お詫びといってはなんだけれど、どうぞ」
ちょいちょいっと手招きしたマダムは、促されて戸惑いつつ差し出した果奈の手のひらに、ころりと小さな石のついたストラップを置いた。
「あなたは見聞きする能力が高いけれど、それを表に出すのが著しく苦手のようだから、誤解されて思ってもみないトラブルに巻き込まれるでしょう?」
(うっ)
声は出さなかったし顔もいつも通りだったはずだが、マダムは、ほほほほ、と転がすように笑った。
「だからお守りを差し上げるわ。あなたが勇気を出せるようにね」
つん、と果奈の手にある石を指した小さな指が、そこに温かさを込めたような気がした。
あなたにはこれね、とマダムは運転手に指示して、積んだ荷物の中にあった果物の入ったビニール袋を鬼嶋に渡した。ずっしりと重そうなのはりんごとみかんが入っているからだ。
「また縁があったらお会いしましょうね。ご機嫌よう」
最初に見たときとは別人のような優雅さで大きな高級車の後部座席にこじんまりと座り、手を振るマダムを見送った。
駐車場を出た車が滞りなく道路に出ていくのをぼんやりと眺めてしばらく。気の抜けた果奈と鬼嶋の吐息が重なった。
「申し訳ありませんでした、課長。重いものを運ばせてしまいました」
「謝る必要はないよ。岩田さんがあれを一人で持たなくてよかった」
そして果奈にそれ以上言わせまいと「何をいただいたの?」と手を覗き込むようにする。
マダムからもらったストラップは歪な形の橙色の小さな石がついていた。光の加減で、石の表面に光沢を帯びた緑の縞ができる、初めて見る不思議で綺麗な石だ。それをワイヤーを使ってくるりと固定し、好きなところにぶら下げられるように金具をつけてある。
手作りのようだけれど、恐らく、それだけではない。
「本物、だね」
鬼嶋の呟きに頷く。
(霊能者だったのか)
人間と妖怪と、その血を引くあやし。その歴史にはお伽話における魔法使い、僧侶や陰陽師など霊能者の存在も深く関わっている。
メディアに登場する霊能者とは少し違っているそうで、術師の家系に連なるかれらは、現代では幼少期のコントロールが難しいというあやしの異能を抑える手助けをしたり、この社会で生きる中で起こってしまう異能にまつわる困りごとを解決してくれたりする仕事をしているという。
マダムが果奈にくれたストラップはそうした霊能者が扱う、岩石か鉱物かはわからない不思議な石を使ったものだった。
(せっかく貰ったし、スマホか鞄にでも着けるかな)
何となく、そのうち紐が切れて外すか落として失くすかしそうだと思った。お守りがそれを求めていると言ったら笑われるかも知れないけれど。
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