帰り道2

 自宅最寄りのコンビニまでさほど時間はかからない。会話らしい会話がほとんどないまま、けれどその空気感が不思議と心地いい時間を過ごし、煌々と明るいコンビニの駐車場で車を降りる。


「わざわざありがとうございました」

「こちらこそ、飲み物とスイーツをありがとう」


「アイスを買うから」と鬼嶋も車を降りたが、果奈はぐるぐると考えていた。


(『うちでお茶でも』って言うべきか……?)


 鬼嶋なら社交辞令だと理解して上手く断ってくれるだろうが、万が一誘いに乗ってきたときを考えると思わせぶりな言動はしない方がいい、そんな葛藤が果奈の眉間に皺を刻む。


「どうしたの、岩田さん? 忘れ物?」


 声をかけてきた鬼嶋を見上げて、薄着だな、と思った。きっと自宅でくつろいでいたところに上着だけを羽織って出てきたのだ。


「……社交辞令で申し上げるのですが、うちで、お茶でもいかがですか?」


 鬼嶋は目を丸くして、ぷはっと吹き出した。


「社交辞令でお答えするけれど、どうぞ、お気遣いなく」


 しまった、だいぶ失礼だった。

 断ってくださいという圧をかけた発言だったと気付いて後悔する。

 だが鬼嶋は楽しそうに、くすくす、くすくすくす、といつまでも笑っているので果奈はそこから立ち去れなくなってしまった。


「……あの……大変、ご無礼を……」

「いやいや、こちらこそごめん。だいぶツボだった」


 まだどこか笑いを残したまま鬼嶋は「あのね、岩田さん」と言い聞かせる口調になった。


「社交辞令でも不用意にそういうことを言ってはいけない。『私のような人間』をうっかり招き入れると大変なことになるからね」


 九条綾子があやしであるように、その実弟の鬼嶋輝もまた、あやしだ。

 彼の能力だという怪力を思い出し、ごもっともです、と果奈は頷いた。


「ご忠告、痛み入ります」

「うん。だから社交辞令じゃないときに言ってもらいたいな」

「はい。気を付けま、す……?」


 何かおかしいような、気のせいのような違和感を覚えた。

 けれど鬼嶋に「どうしたの?」とでもいうように微笑みかけられると、それは取るに足りないことのような気がした。


「それでは……」


 失礼しますと頭を下げて、歩き出そうとしたとき「岩田さん」と呼び止められた。


「今日、定時で帰った?」

「……? はい」


 今日は飲み会の予定があったため、岬は定時退社、果奈は定時でタイムカードを押して麻衣子を待ってから会社を出た。もう一人の事務課社員の今田は果奈の後で打刻していたから、今日は事務課全員が残業なしのはずだ。

 不思議なことを聞く、と内心思ったが、鬼嶋はその意図を決して明かさない。穏やかに笑って手を挙げる。


「わかった、ありがとう。変なことを聞いてごめんね。おやすみ」

「はい。失礼いたします」


 夜が更けてしんとした冷気が染みる道を家に向かって歩きながら、鬼嶋の問いの意味を考える。


 課内の実務は現在在籍が長い果奈を中心に回していて、仕事に滞りのないぎりぎりのラインを維持している。だが果奈に見えていないものが見える課長の鬼嶋は、こちらに降りてきていない上や横からの情報を持っているはずだ。つまり。


(トラブルの兆しがあるのかもしれないのか。はあ、やれやれだ)


 帰宅して荷物を下ろすと、さっさと部屋着に着替え、給湯器のスイッチを入れて風呂を沸かしつつキッチンに立つ。


 トラブルや面倒ごとの予感がしたとき、果奈はいつもお弁当に手をかける。


(つくねにしたいところだけど、洋風に寄せて、鶏ミンチハンバーグでいこう)


 主菜を決めたら、他のメニューはバランスと彩りを考えながら臨機応変にやっていくのが果奈のお弁当作りだ。早速主宰のハンバーグに取り掛かる。


 冷蔵庫から取り出した鶏ミンチ肉をある程度常温に戻しつつ、豆腐は水を切る。

 大きめの器に卵を割って溶いたそこに、刻みねぎ、塩と胡椒、顆粒コンソメを入れた後、不精と知りつつパン粉を加えて、混ぜておく。


(ミンチ肉、まだちょっと冷たいな)


 このまま肉を扱うのは手が冷たくてたまらないので先にたれを作る。醤油、砂糖、みりんを同量合わせて混ぜる、基本の照り焼き味だ。


(……ふむ)


 だがちょっと考えて、少量の水を加えたそこにスプーン半分もない程度の味噌を溶き、しょうがを加えてみた。未知数だが、きっと悪くないはずだ。


 続いて副菜を作っていく。

 タッパーに入れて冷蔵庫で保管していた茹でほうれん草に、ごく少量のごま油と塩、たっぷりのおかかをまぶして一品。

 さらに彩りと穴埋め担当のミニトマトにご登場いただいて、終わりだ。


(さて。肉を捏ねますか)


 だがその前にフライパンだ。大きめのフライパンに油を入れて全体に行き渡るように回したら準備完了だ。

 ボウルに鶏ミンチを入れ、油を溶かして馴染ませるつもりでよく捏ねる。


(冷たぁ……!)


 常温に戻り切っていない肉を触ると氷を溶かそうとしているようで、あっという間に手がかじかんでくる。少し休んだり、手をにぎにぎと動かしてみたりするものの、そこに豆腐と色々混ざった卵液が合わさると、冷たさが増して「いー……」と声が出てしまう。だが、ひたすら我慢だ。

 まんべんなく混ざったら、たとえちょっとべしゃべしゃになっていても根性でまとめる。

 お弁当用の大型と作り置き用の小型の二種類を、形を整えながらフライパンに並べて、コンロの火を点ける。肘を使って点火スイッチを入れてから手を洗うが、自宅だから行儀が悪くとも許されよう。


 中火でしばらく焼きながら手早く洗い物を済ませる。

 途中で思い出して、今日使ったお弁当箱とスープジャーも洗ってしまう。


(さて、ハンバーグは?)


 フライパンの中のハンバーグは外周に火が通って白くなっている。ひっくり返す頃合いだ。

 ばらばらになりやすいのでフライ返しの二本使いで裏返した後、弱火にして蓋をする。フライパンの中の水分が足りなければここで水か料理酒を入れるのだが、肉の油と豆腐の水分がぐつぐつしているので、追加は必要なさそうだ。


(スープも洋風でいくか。ほうれん草を使い切るなら……ポタージュだな)


 選んだのはじゃがいものポタージュだ。有名メーカーのラインナップは子どもの頃から食べ慣れているのでだいたい常備している。

 スープジャーの容量に合わせて水と牛乳を同じ割合で入れ、ふつふつとし始めたら一袋分のスープの粉を入れる。緩く混ぜて溶かしたら、タッパーの残りのほうれん草をすべて入れ、再び小さな泡が起こるまで待つ。

 そろそろという頃合いで顆粒コンソメと塩を入れる。味を見て、少し薄かったのでコンソメと粉胡椒を足したらちょうどいい味になった。これでスープは完成だ。


(さあ、メインの仕上げといきますか)


 フライパンの蓋を開けると、落ちた水滴がハンバーグの周りでじゅわじゅわと弾けるいい音がして、さっぱりした肉の味の蒸気が上がる。


(おっと、火の通りが早いな)


 底からきっちり剥がすようにフライ返しを差し込み、ひっくり返す。

 するとそこには香ばしい焼き色がついた柔らかな色のハンバーグが現れた。


(……おお、美味しそう……!)


 ごくりと喉を鳴らしつつ、残りのハンバーグも裏返していく。フライパンから剥がすのに失敗していくつか形が崩れてしまったのはご愛嬌だ。


 コンロのつまみを中火にセットし、混ぜ合わせていた照り焼きだれをもう一度攪拌して、フライパンの中にぐるうりと入れていく。じゅっわー! という騒がしい音といい香りに急かされるが、一滴も無駄にしてなるものかというしつこさで、けれど手早く入れ切った。

 たれが沸騰したらフライパンを回し、焦げないよう火を弱めて、ハンバーグ全体に絡める。小さいハンバーグはたれが絡みすぎると味が濃くなるのでそのまま、大きいハンバーグだけをひっくり返して、スプーンで周囲のたれをすくって上から浴びせかける。

 そのうち小さいハンバーグが焦げ始める気配を感じたので、皿の上に取り出す。

 火を止め、大きいハンバーグを別の皿に取り出し、残ったたれを二つの皿にそれぞれ注ぐ。


(よし、明日は鶏ミンチハンバーグ弁当だ)


 各々のおかずは粗熱が取れたらラップをかけて冷蔵庫に入れておく。明日の朝、朝食を作りながらお弁当箱に炊きたてご飯と一緒に詰めるのが果奈のルーティンだった。

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