いただきます

「お待たせしました。こちらはお好みでドレッシングやマヨネーズをかけてください」

「ごまとイタリアンのドレッシングがあるから持ってくるよ」


 鬼嶋が言って、ドレッシング二本とマヨネーズを持ってきてくれる。

 すでに席に着いていた綾子はころころしたトーストが入ったサラダを見て「わ、すごい」と歓声を上げてくれる。


「カフェのランチみたい! ね、写真撮ってもいい?」


 反対する理由がないのでどうぞと答えると、綾子は嬉しそうにスマホをかざす。そこで「器がつまんないわね」と言って「悪かったな」と鬼嶋に嫌な顔をされているのが彼女らしい。


「っていうか! 輝のやつだけ豪華だ! ずるい!」

「うっ」


 言われそうだと思っていたが、実際にそうなると非常に申し訳ない気持ちになる。


「これは、その……お、おまけ、です!」


 綾子と鬼嶋がきょとんとそっくりな顔をした。


「……おまけ?」

「お試し回のおまけというか、初回利用特典、的な……」


 言いながら、かーっと顔が赤くなるのがわかった。


「……言い訳が下手で誠に申し訳ありません……」

「可愛いから許す」

「わかっているから大丈夫だよ。気を遣ってくれたんだよね」

(ううう……!)


 耐えきれず顔を覆う。マスクをしていてよかった。こんな顔を見られたら本当に羞恥心で死んでしまうところだった。鬼嶋に促されて席に着いたもののしばらくマスクを外せそうにない。


「姉さん、体調は? 俺のときはこの時点で『無理』って言って部屋に引きこもってたけど」

「気持ち悪くなるどころか、お腹が空いたって思ってる」


 真顔になった綾子がサラダとスープを眺めてごくりと喉を鳴らす。


「いただきまーす……」


 恐る恐るスープを口に運ぶ綾子の一挙一動を見守り、果奈はごくりと息を飲み下した。

 謎めいた食欲不振に悩まされている彼女が、久しぶりに食欲を示したというスープ。厳密には同じ味ではないが、果たして食べられるものになっているのか。


(誰かを癒したいとか、助けたいなんて、おこがましいことは思わないけれど)


 ――何かを食べたいという気持ち、美味しいと思える日常が、この人に戻ってくるきっかけになりますように。


「…………っ!」

 綺麗な唇をむぐむぐと動かしていた綾子が、大きく目を見開いたかと思うと、青白かった頬がぱあっと薔薇色に染まった。


「美味しい!」


 それを聞いた果奈と鬼嶋の、深い深い安堵の息が重なった。

 どちらからともなく顔を見合わせると、鬼嶋が微笑んだ。

 それを見た果奈の口元も自然に綻ぶ。

 だが表情を緩められたのは一瞬だった。


「それじゃあ俺も、いただきます」


 緊張と恐怖で凍りつく果奈の前で、鬼嶋がスープを口にする。

 口に含んで、おっ、という顔になった彼はゆっくりそれを嚥下して感心したような顔になった。


「お、美味しい。へえ、海老の煎餅でここまでちゃんと風味が出るのか……」


 それを聞いて、どっ、と力が抜けた。とてつもないプレッシャーから解放されて、思わず机に突っ伏してしまいそうになる。


(よかった、本当によかった。失敗したら異動願いか辞表を出さなくちゃならないところだった……)


 なんとか気力を奮い立たせて、果奈も食事に手をつけた。


 スープは煎餅を使っているとは思えないほどちゃんと海老のビスク風だった。刻んだ玉ねぎと人参をよく炒めて出した甘味に、ケチャップだけでなくトマトを使ったおかげでちょっぴり本格風な酸味と苦味が感じられる。牛乳もしつこくなく、ちょうどいいまろやかさと濃度だった。


(私はこういうのでちょうどいいんだけど……手抜き貧乏飯っぽくて申し訳ない……)


「思ったんだけどね」


 果奈がぼんやりとした不安といたたまれなさを飲み込みきれずにいると、スープを啜っていた綾子が真剣な面持ちで口を開いた。


「母さんが言っていた『誰かの作るご飯が美味しい』ってきっとこういうことよね。一定の味が保証されていて、でも自分が作るときとどこか違う、けれど気取らなくて安心できる、っていう。これはインスタントやテイクアウトじゃ感じられないもの」


 そう言ってスープを飲んだ綾子の唇からほうっと温かい息が溢れた。


「スープも、このサラダも美味しい。もうちょっと味が濃い方がいいけどね。ねーねー輝ー、ハムちょうだーい」

「だめ。食べるなら火を通したやつにして。加熱処理済みのはずだけど怖いから」

「……焼いてきましょうか?」


 おずおずと果奈が言うと、綾子より早く鬼嶋が首を振った。


「久しぶりのまともな食事でハイになっているんだ。食べすぎると胃腸が壊れるから、今日は控えめにした方がいい」


 わがままを言った本人も承知しているようで「ちぇー」と唇を尖らせつつ大人しくサラダを咀嚼していたが、そのうちフォークに突き刺したパンをスープに浸して「こうしても美味しいわ」と笑っていたから、お望みの料理を満喫してくれたのだと思う。

 久しぶりに自分以外の誰かが食べる料理を作った果奈も、気付けば美味しく完食していた。


「ごちそうさまでした!」

「ごちそうさまでした」

「お粗末様です。ごちそうさまでした」


 片付けに立とうとすると「こっちでやるから座っていて」と鬼嶋に止められた。


「遅くなるといけないし、先に今後の話をしよう」

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