調理開始
サラダに使うのはレタス、きゅうり、キャベツとアスパラガス。ほうれん草とブロッコリーは下茹で済みのものがあったので使わせてもらうことにする。隣に置いてあった豆腐も使おう。ドレッシングはカロリーが気になるので各々でかけてもらうセルフ式なら間違いない。
そしてメインのスープだ。玉ねぎ、人参、トマトをはじめとした材料と使用する調味料を並べて綾子に見てもらう。
「サラダとスープの材料ですが、問題ありませんか?」
「ええ、大丈夫。だけど、これは? 問題ないけどこれも使うの?」
不思議がる綾子に、果奈は「はい」と未開封のそれをかざして見せた。
「弊社の取り扱い商品『お酒に合うやみつき! えびたっぷりせんべい』です」
国産米と風味豊かな海老を使った、がりがりとした食感に、海鮮の風味と旨味たっぷりの甘塩が美味しい煎餅だ。コスパがいい商品ということもあって、ユーザーの好意的な口コミも多い、むすび食品の最近の売れ筋商品でもある。
そしてこれこそ、お弁当でも食べられるビスク風スープの素になるのだった。
(自社商品を使うと言っていたから絶対に置いてあると思ったんだよな)
生の海鮮は控えなければならないが、しっかり焼かれているえび煎餅に改めて火を入れるのだし、食べる量に気を付ければ摂取カロリーも大丈夫だろう。
「以上ですが、ご質問はございますか?」
「質問じゃなくてお願いが二つあるの。一つは、果奈ちゃんと輝の分も作ること。もう一つは、もし食べられなくても許してほしいってこと」
彼女はやつれた顔に寂しげな笑みを浮かべた。
「果奈ちゃんが作ったものなら大丈夫だという気はしているんだけど、失礼なことになるかもしれないから」
お願いだというので身構えたが、なんということはない。綾子はいまそういう症状に悩まされているのだし、家族である鬼嶋がどうしようもないと頼ってくるくらいなのだから、他人である果奈が作ったものが食べられない、食べたくないと感じる可能性は十分にある。
「かしこまりました。無理をなさらないのが最優先ですので、私のことはお気になさらず」
むしろ口に合わないかもしれないという心構えを持ついいきっかけをもらった。
「では、始めます」
マスクを着用した後じっくりと手を洗って、作業開始だ。
(煮込む時間を考えて、スープから始めよう)
まず、鍋で湯を沸かす。
玉ねぎを丸々一つと人参を半分、みじん切りにして、耐熱容器に入れて電子レンジで一分かける。
鍋の中が沸騰してきたら軽く塩を入れ、ざく切りにしたキャベツとアスパラガスを茹でる。
レンジから軽く火が通った玉ねぎと人参を取り出し、バターを溶かしたフライパンで炒めるが、しばらく弱火にしておく。事前に煎餅を砕く必要があるからだ。
(袋に入れて叩き潰すところなんだけれど、人様の家を叩くわけにはいかないからな)
手で砕くのは大変だが、仕方がない。ほどほどに細かくしておかないと、香ばしさや煮込んだときの食感が変わってしまう。
「これを砕けばいいの?」
びっくりして心臓が縦に跳ねた。
「課長」
「手伝うよ。どうすればいいか教えて」
電話を終えたらしい鬼嶋は状況を正しく見極めて、新しいビニール袋と麺棒を出してきた。
(正直、めちゃくちゃ助かる)
素手で煎餅を砕くのは大変だし、フライパンの様子も気になっていたので、ありがたく手を借りることにする。
「総量の半分を使います。できるだけ細かく砕いていただけますか?」
「了解。ちょっとうるさくするよ」
仕事を託した果奈が手を洗っているうちにリビングから、がんがんがん、と大きな音がし始めた。少しもしないうちに音が止まり「近所迷惑だからタオルを敷いてやったら?」「その方がいいね」と姉弟のやりとりが聞こえてくる。
(焦げないようにフライパンは弱火にして……残りの材料を切ろう)
スープに使うトマトと、サラダ用の豆腐ときゅうりを切る。もちろんきゅうりは流水でしっかり洗ったものだ。さらに茹で上がったキャベツとアスパラガスの水を切り、アスパラガスは一口大に切り分けた。
鍋は次に使うのでここで洗ってしまう。
「果奈ちゃん、できたよ。これでいい?」
「はい。ありがとうございます」
鬼嶋に頼んだはずが、綾子が袋を持ってきた。
そっとリビングを覗き込むと、手柄を強奪された鬼嶋はダイニングテーブルでふてくされている。
(……後でサラダにハムとチーズを足してあげよう……)
砕いた煎餅は、フライパンの中で狐色になっていた玉ねぎと人参の中に投入し、火を少し強めて、香りを立たせるつもりで手早く炒める。
焦げないうちにそれらを先ほど洗った鍋に投入し、トマトと水、顆粒コンソメとケチャップ、塩胡椒を入れて、煮立つまで弱火にかける。
この間にサラダの仕上げだ。レタスをむしって一枚一枚丁寧に洗い、適当な大きさに千切って、器に敷いていく。そこへ茹でキャベツ、アスパラガス、きゅうり、豆腐を置く。ブロッコリーとほうれん草は冷蔵庫から出したばかりだと冷たくて食べづらいため、事前に必要な量を電子レンジで温めてから器に移した。
「果奈ちゃーん、一人前は平等にねー?」
リビングから綾子の声がして息が止まるかと思った。
綾子はリビングのソファに座ってスマホを操作していて、果奈の手元は絶対に見えない。なのにまるで見えているかのようなタイミングだった。
(どうして私の分だけ少なく盛っているってわかったんだろう……?)
だがバレているのなら仕方がない。急いで、けれど心持ち少なくなるように量を調節する。
(とりあえずサラダは完成かな)
次は本日のメイン、スープの仕上げだ。
鍋の中の玉ねぎや煎餅はそれなりに形を残してだいぶ溶けたようだ。いかにも濃厚そうな、とろりとした赤いペーストに変わっていた。
(いい色)
くつくつとよく煮えているそこに牛乳を入れる。濃厚にしたいときは生クリームを使うが、食べやすさを重視して牛乳をチョイスした。
味見をしてみると少々とろみが強い。
そこで水を足し、塩とケチャップを入れてしばらく煮ると、美味しいと感じる味に整った。
(よし、完成! ……と言いたいところなんだけど)
スープ皿にビスク風スープを入れ、サラダと並べてみるが、どことなく侘しい。ヘルシーではあるが物足りない印象なのだ。
(ああ、わかった。主食だ)
主食、主菜と汁物の三つは必ず揃えたいという、果奈の癖のようなもののせいだった。だが気付いたところでどうしたものか。
(マカロニやパスタを茹でればよかったか……でもいまからだと時間がかかるし……)
この献立に合わせるなら、と少し考え、リビングに声をかけた。
「すみません、綾子さん。食パンを焼いて使ってもよろしいですか?」
「ええ、大丈夫よ」
「ありがとうございます」と答えてオーブントースターに二枚突っ込む。そこへ「お邪魔します」と鬼嶋がやってきた。
「このトースター、火力が強くて使うのにコツがいるんだよ。どのくらい焼く?」
「表面が狐色になるまでお願いします」
「了解」と言いながら鬼嶋がトースターのダイヤルを時間表示がない位置にセットする。なるほど、温度調節ができない機種なので、知らないまま使っていたら確実に焦がしていただろう。
「向こうに持っていけるものはある?」
「でしたらスープをお願いします。お好みでパセリ……は、ハーブですから止めておいた方がいいですね」
「綾子に聞くよ。俺は使いたいからかける」
(また『俺』)
オンオフが切り替わっていることに気付いていないらしい鬼嶋は、しまったという顔も態度も見せず、綾子の分の皿を運んでいく。
会社での鬼嶋の一人称は完璧に『私』だからいちいち引っかかってしまうが、聞き慣れるしかなさそうだ。
(まあ続くかどうかわからないけれど。今回はただのお試しだし)
鬼嶋のプライベートモードの一人称に慣れるほどの関わりになるかどうかは未知数なのだから、いま考える必要ははない。頼まれた仕事を完遂することの方が大事だ。
戻ってきた鬼嶋は調味料の棚から瓶詰めの乾燥パセリを取り出した。「岩田さんは?」と聞かれたので「お願いします」と答えると、残っていたスープにさらさらとパセリを振りかけて、再びリビングに運んでいく。
そこでようやく気付いた。ジャケットを脱いでネクタイは外しているが、鬼嶋は仕事着のワイシャツとスラックスのままだ。
(しまった、気遣いが足りなかった。着替えてもらってよかったのに)
声をかけようとしたところで、ちーん! とトースターが元気よく鳴り響いてしまった。
熱々のトーストはそのまま食べるわけではない。
ざくざくざくっ、と賽の目状に切ってサラダに散らす。すると澄ました印象のサラダが一気に華やかな一品に変化した。
(一皿で主食とサラダになるから便利なんだよな)
学生時代に立ち寄ったカフェで初めて食べたとき、あまりの簡単さと美味しさに驚き、再現してみたらお手軽すぎて、いまではすっかり果奈の中でレギュラーメニューだ。サラダとパンを合わせればなんでも『パンサラダだ』と言い張れる大雑把さが嬉しい料理だった。
最後に鬼嶋の皿にだけロースハムとスライスチーズを足して、完成だ。
ダイニングテーブルに運んでいくと、鬼嶋が先んじてカトラリーを並べてくれていた。
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