岩田果奈は今日も働く2
スマホのメッセージアプリで、上司である鬼嶋事務課長に連絡を入れる。
『お疲れ様です。鬼嶋課長。事務課、岩田です。ご報告したいことがあるので、お時間があるときにご連絡ください。折り返させていただきます』
社内メールでなくメッセージアプリを使うのは、役職付きには社用スマホが支給されているからだ。仕事絡みの報告、連絡、相談はやはりメッセージアプリの方が早い。
案の定、数分と経たずに『ぴこっ』と受信音が鳴った。
『お疲れ様です、岩田さん。よかったらワークブースDに来てください。急ぐようならこのまま電話でも大丈夫です』
直接顔を合わせた方がいいだろうと思い『かしこまりました。いまからそちらにお伺いします』と返信し、ワークブースに向かう。
昼食や休憩中の社員で憩う多目的フロア、それを突っ切った先の廊下にワークブースが並んでいる。
パーティションに区切られた防音の個室で、廊下側がすべて透明になっている。集中して作業したい場合や、個別面談、他社との音声会議などに利用されていて、果奈には営業部の社員がウェブ会議をしている印象が強い。
その四つ目、『D』の札がかかった部屋に鬼嶋がいた。
昼食中だったらしく、机の上にコンビニのサンドイッチとスープのカップを傍らに置いている。気配を感じて顔を上げた彼に透明の壁越しに会釈してから、扉を叩いた。
「どうぞ」
(いい声だな……)と浸りたいところだが、そんな暇はない。
「失礼いたします、岩田です。お食事中に誠に申し訳ありません。いまお話させていただいてもよろしいでしょうか」
「もちろん」
鬼嶋輝(きじまあきら)、三十歳。眉目秀麗で頭脳明晰、品行方正な事務課課長は休憩の邪魔をされても柔らかな態度を崩さない、よくできたお人だ。
「……あれ、お昼はもう食べたの? 報告がてら食べるつもりなんだと思っていたんだけど」
そんなことをしたら弊社の全女性社員から私刑に処される。
想像だけでうんざりしながら「どうぞお気遣いなく」と首を振った。
(ただでさえ部署が同じってだけでやっかまれているのに)
むすび食品の系列会社の出向社員の鬼嶋は、そのハイレベルな顔面のせいで、昨年度総務部へ配属された直後から社内外の有名人だった。
美醜にさほど興味のない果奈ですら「これを美しいというのだな」と納得できる顔立ちで、百八十センチ越えの高身長にセンスのいいスーツを身に纏う彼は、仕事ができる上に性格にも恵まれ、優しい物腰で偉ぶったところがまったくない。
さらにはさる有名私立大卒業という高学歴の持ち主で、関西在住の両親が大変な資産家だという噂もあって非常にもてた。あからさますぎて嫉妬するのも馬鹿らしい、と同性の社員たちに生温かく見守られているくらいだ。
――実は、人間じゃない。
そんな噂がまことしやかに噂されているような人なのだった。
(何者でも、頼れる上司でいてくれるだけで十分だ)
そう思いながら果奈は鬼嶋の傍らに膝をつくと「実は……」と会議後の尾田の指摘について説明し、これから社内を点検して蛍光灯の交換を行いたいことを相談した。
一度も口を挟まなかった鬼嶋だが、話を聞き終わると「尾田課長かあ」と苦笑した。尾田が気分家だということを、昨年度総務部にいた鬼嶋はよく知っているのだ。
「その作業はどのくらいで完了しそう?」
「二時間、かかっても三時間あれば終わります」
果奈の答えを聞いて鬼嶋は腕時計を見た。
「だったら、いまから部屋をチェックして、終わったら休憩を規定時間取取ること。終わらなくても十三時半には休憩に入って。十四時半になったら総務部から男性社員を出してもらって最後まで作業してほしい。総務部には私からも声をかけておくから」
「かしこまりました」
「尾田課長に何か言われたら鬼嶋の指示だと言ってください……手伝ってあげたいんだけど午後からリモート会議なんだ。ごめん」
「とんでもございません。ありがとうございます」
いやもう本当に、心から感謝だ。以前の事務課長は多忙ゆえに不在がちで、果奈が休憩なし昼食なしのノンストップで仕事をしていても気付いてくれなかったから、こうして差配してくれる鬼嶋の存在は本当にありがたい。
「お食事中、失礼いたしました」
「こちらこそ。くれぐれも無理はしないように」
部屋を出た後に振り返ると、鬼嶋は最後まで果奈を見送ろうとしてくれていたらしく、目が合うと「頑張って」と言うみたいに手を挙げてくれた。
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