第15話 レイニークリスマス

 腕の中で、ケイが消えていく。私の両頬を温かい雨が伝っていく。

「ケイ、ケイ、全然雪じゃないよ」

 友達以上に大事なものなんてない、と語ったケイ。私は「友達」というのを作ったことがないし、友達がいないことを気にしたこともない。だから、ケイの感覚はわからない。

 もしも、友達が命懸けで願いを叶えてあげなきゃならない存在なら、そんな関係は私には重すぎる。でも……だからといって、友達なんかいない方がいい、ということはない。

 ケイが私のことを友達だと思ってくれていたことを否定したら、他の人のことも否定してしまうことになる。一生をケイというかっぱに捧げたような生き方をしたかっぱおじさん。ケイを心の拠り所にしていたかもしれない恵叔母ちゃん。あの人たちに比べたら、私はほんの二日ほど前に知り合ったばかりだ。それを友達と思ってくれただけでも、ありがたいのかもしれない。

 だからこそ、悲しい。私がケイの友達なら、私にとってもケイは友達だ。友達の死が悲しくなくて、何が悲しいというのか。

 中学だったかの先生が言っていた。「最近の人は『最悪』という言葉を軽々しく使いすぎだ」と。最悪というのは読んで字の如く「最も悪い状態」だ。そんなに頻繁に「最悪」があってなるものか、と熱弁していた。

 本当に最悪なのは、もう取り返しが本当につかなくなること、即ち「死ぬ」ことだとその先生は結論づけた。だから、友達が死んだり、親戚が死んだり、そういうときは「最悪」と言ってもいいけれど、日常の些細な出来事でいちいち「最悪」というのは間違っている、というのが先生の論だった。

 聞いたときはいまいちピンと来なかったけれど、消えていくケイを見て納得が生まれていく。確かにこれは「最悪」だ、と。友達が死んでいく姿を見なければならないなんて最悪以外の何物でもない。

 ケイの体の冷たささえ感じられなくなってきた。ケイは人間ではない。だから、「死ぬ」という表現は不適切なのかもしれない。体がなくなっていくこの感じは「死ぬ」というより「消える」といった方が正しいだろう。ケイは妖怪でありながら幽霊の性質を持った奇なる者が化したもの──「奇化しもの」なのだ。

 成仏というのが正しいのかもしれない。だとしたら、これはケイにとっては救いなのだろう。ケイが生前に抱えていた未練を私は知らないが……願いが叶えられたのなら、それはそれでいいことなのだ。

 けれど、やっぱり、こんなのは悲しい。

 だから私は精一杯の皮肉を込めて言った。

「こんなの、ホワイトクリスマスじゃない……さすが、雨乞いで有名なかっぱだね。これじゃ、『レイニークリスマス』だよ」

 どこからともなく、クリスマスソングの定番曲が聞こえてくる。ケルティック・ウーマンだったか。クリスマスが来たことを祝福する曲だ。ついでに新年も。

 私は少し耳コピのその歌詞を口ずさみ、ケイからもらったマフラーをぎゅ、と握った。

「メリークリスマス」

 もうどこにもいない人にそんな当たり前の言葉を告げて、私は商店街を後にした。

 新年が来る頃には私は帰らなきゃいけないから。


「ただいま」

「あら、早かったわね、愛美。彼は?」

「振っちゃった」

「ええ!?」

 母のすっとんきょうな声がおかしくて、笑いこらえながら、お説教される前に逃げた。母は色恋沙汰になると手厳しい上にくどい。

 寒いはずの縁側に、座敷わらしが座っていた。

「あ、愛美ちゃん。おかえりなさい。雪、降ったね」

「……寒くないの?」

「寒いよ。でも雪は嫌いじゃないな。雨はびしょ濡れになるけど、雪はそうならないでしょ? だから好き」

「そっか」

 確かに、私はびしょ濡れではない。いつも雨で迎えるクリスマスは今年は柔らかい雪に包まれている。

「それに、愛美ちゃんは寒くないでしょ? その襟巻きがあるんだもの」

「え……」

「大切にするんだよ? あのかっぱさんが『生きた証』なんだから」

 ……そうか……

 ケイは消えた。けれど、ケイの作ったこのマフラーは消えない。それは私がケイと過ごした時間が幻ではなかった証拠だ。

「そうだね、大切にする」

 かっぱおじさんのように「かっぱを見た」と騒ぎ立てるつもりはないけれど、私の中でだけでも、ケイとの思い出が生き続ければいいな、と思った。

 感慨をぶち壊すように、どたどたどた、とけたたましい音がする。振り向くと、音の主は母だった。わざわざお説教のために追いかけてきたのだろうか、と思ったが、その顔が怒りとは違った興奮に彩られていることに気づく。

「聞いてよ愛美! お母さんがね、帰り用に飛行機取ってくれたんだよ!!」

「ええ!?」

 飛行機? 新幹線で来られるのに大袈裟な、と思ったが。

「この雲なら綺麗な雲海が見られるかもしれないわね」

「雲海?」

「ああ、愛美は飛行機に乗ったことないから知らないんだっけ。文字通り、雲の海よ。飛行機は高度的に雲の上飛ぶからねぇ。真っ白な雲の海の上を飛ぶの。なんだか別な世界に行ったみたいな感覚になるわよ」

「へえ」

 状態的に見られるとして、飛行機は窓際でなければ外は見られないのでは。

 と思ったら、その辺り、祖母はしっかりしており、窓際の席を取っていてくれた。

 空の上から見た雲の海は母が興奮するのも納得なくらいの神秘的な光景だった。

「海っていうくらいだから、魚が泳いでたりしてね」

「何小学生みたいな馬鹿なこと言ってるの? 我が親ながら呆れるわ」

「かっぱがいるかもね」

「もう支離滅裂……」

 付き合いきれない、と窓に目を向けると。

 人間の姿をしたケイが、遥か彼方で微笑んでいた。すぐに消えたけれど、何かを言っていた気がする。


「メリークリスマス、アンド、ハッピーニューイヤー」


 もしかしたらこの雲海も、最後のプレゼントの一つだったのかな、と思うと、笑えた。

 膝掛け代わりにしていたマフラーを、私はそっと撫で、あのクリスマスソングを小さく口ずさみながら、私はケイに伝えた。


「ありがとう」

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レイニークリスマス 九JACK @9JACKwords

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