第14話 いざ、座敷わらしと対面

 ほたるの家から出ると、和服を着た女の子……座敷わらしに呼び止められた。

「ちょっと、お兄さん」

「……お前、家を離れていいのか?」

「隣だから離れたうちに入らないわ。ちょっとお話を聞かせて」

 俺は人目がないことを確認し、かっぱの姿に戻った。

「あなたって、かっぱに戻ると不細工なのね」

「ほっとけ」

 かっぱは大抵不細工だろうに。まあ、他のかっぱに会ったことがないから一概に断定はできないが。

「水から上がってる時間が長いんだ。干上がりもするさ」

「物好きなかっぱね。人間なんかを大事にするからよ」

「座敷わらしのお前に言われたくないな。座敷わらしは人間に幸運をもたらす神霊だろう」

「そうだけど! かっぱの一般認識的にどうなのかしら。まあ、あなたは普通のかっぱと一括りにしていいかわからないけど……」

 どうやら、神霊というだけあって、座敷わらしはある程度のことは見抜いているらしい。まあ、俺も気づいてはいる。自分が「妖怪」ではないことを。

 というか、前世を覚えているのだから、話は早かった。俺の前世というのは、呆気のないものだった。


 俺は元々は人間だった。あの時代に「縁野」という地名が存在していたかはわからないが、俺が死んだのは山の中にある池。つまり、現代で言うところの「かっぱ池」と呼ばれる場所だ。

 何故死んだか。まあ、遅かれ早かれ死ぬ予定ではあった。それはもちろん、自主的に死ぬなんて、当時じゃ恥以外の何物でもない。俺はちょいとばかし体が悪かった。他の人間より髪色も肌色も薄く、空咳をよくする子どもだった。

 もう、余命いくばくもない、と医者には言われていた。生きていることさえ不思議だとすら言われた。それくらい状態の悪い人間だった。

 その日はたまたま、外に出ていた。お医者に行くわけでもない、ただの気紛れだ。余命を告げられてからは親も親戚も俺の行動に口は出さなかった。悔いのないように余生を過ごせということか、死んだも同然の人間に興味がないかのどちらかだろう、と当たりをつけていた。後者であろうと、俺はさして悲しくなかった。そもそも生まれただけで奇跡のような命だと言われたのだ。余命があるだけめっけもんだろう。

 ただ、子どもなりに、無邪気に遊ぶ元気な子どもの姿に憧れた。自分もあの中に入って遊びたい、と。

 だからあの日、近所の子どもに誘われるがままに池に向かったんだ。

 体力がないから、俺は池の畔で休んでいた。他の子どもたちは木の実を取りに行くということで、元気に山を駆け回っていた。結局俺は置いてきぼり。けれど、ここまで一緒に連れてきてもらえただけでも嬉しいから、池を何とはなしに覗き込みながら、みんなが戻ってくるのを待っていた。

「わあっ」

 驚かすためなのだろうその声が聞こえたときには、背中を押された俺の体は吸い込まれるように水面へと落ちていった。

「……! ……!」

 何事か、叫ぼうと思った内容も今ではもう覚えていない。ただ最後に子どもたちが俺の名前を叫んでいたのだけは耳に焼きついて残っている。

 あれはただの悪戯で、子どもなら致し方ないことだった。子どもたちの行為に何ら悪意はなかった。あったとすれば、好奇心だけ。

 俺は滅多に家から出てこない子どもだったのだ。それが一緒に遊ぼう、となったら、どんなやつなのだろう、と試したくなるのは至極当然の心理。だから俺は子どもたちを恨んでいない。「ちゃんと一緒に遊べなかったこと」は心残りになりはしたが。

 それだけなら、霊となった俺がこんな池に留められることはなかったはずだ。

 子どもが大わらわで大人を呼んで、池に落ちた俺を引き揚げて、無事を確かめた。確かに俺は虫の息だったが、まだ生きていた。意識は僅かにだが、あったのだ。だから、ちゃんと手当てをすれば、生きられた。

 けれど、それを、大人は。

「どうせ遅かれ早かれ死ぬんだ。遅いか早いかだけの違いだろう? 無理に生かす方が酷な気がするよ」

 そう言って、そんなことを言い訳にして。

 

 俺はまだ生きたかったのに。そんな俺の意見の一切入っていない勝手な判断で、死なされた。

 これを恨めしく思わずにいれようか。けれど、俺は死後も大した存在にはなれなかった。かっぱなんてちんけな妖怪に成り下がってしまった。いくら遊びたいだけでも、この成りでは子どもに怯えられるばかり。しかも時代が流れるにつれて、「見える」人間は減る一方。

 だから「幽霊」としての未練は晴らされないまま、俺は永い時をかっぱとして生きた。皮肉にも、生前生きられたであろう年数より、遥かに長く。


「愛美ちゃんは、わたしの友達だわ。あなたは愛美ちゃんをどうしたいの?」

 ──残り時間はいくばくもないのに。

 久しぶりにされた余命宣告だ。

 そう、俺には残された時間がない。未練が晴れたからだ。最後の一つの未練が果たされれば、即座に消えてしまうだろう。俺は純粋な妖怪ではなく、幽霊から変異した奇化しものなのだから。

 俺は「子どもと遊びたかった」、「友達になりたかった」。それはかっぱの姿では叶わない願いだから、百年以上かかった。

 けれど、ほたると出会い、恵と知り合った。最期まで友であり続けてくれた二人共が世を儚んで、それで満たされていた。満たされているはずだった。おそらく、メグミと出会わなくても、近いうちに消えることは間違いなかっただろう。

 一度死んでいるのだから、二度目の死はさして怖くなかった。それどころか、満ち足りてすらいた。一度目と違って、俺は命を全うできたように感じていたからだ。欲を言えば、ほたるとはもっと話したかったし、恵には死んでほしくなかった。だが、そんなものを並べ立てていったらきりがない。

 だから、潔く消えるつもりだった。メグミと出会うまでは。

「……俺はな、俺の生を不幸だと思ったことはないよ。人並み以下だったことなんて、実はどうでもいいんだ。メグミをどうしたいか、とお前は聞いたが……どうしたいんだろうな」

 久しぶりに話せる人間に会って、欲が出てしまった。もっと話したい。願いを叶えてやりたい。そんな、過ぎた欲が。

「ほたるとはもっと話したかった。魚肉ソーセージ以外の食べ物も一緒に食べてみたかった。恵が家に囚われているなら、逃がしてやりたかった。どこか縁野なんかと縁のない遠い遠い場所に連れていけたら、あいつが早まることはなかったと思ってる。でも、どれも俺にはできなかった。本当、未練がましいよな。友達なら友達の力になりたいのは当たり前の話じゃないか。俺とあいつらに一体どんな違いがあるっていうんだ? 奇化しものと人間? それがどうした。俺は……そんな枠組みなんか越えたかったんだ。本当に、過ぎたことを願ったと思っているよ」

「愛美ちゃんとクリスマスを過ごすことで、あなたの未練が晴れるのは、わたしにはどうでもいいの。わたしが優先するのは、わたしが守る縁野のおうちの人。恵ちゃんのときだって、わたしも力になりたかった。でも、恵ちゃんにとってわたしたち『奇化しもの』はむしろ枷。縁野のおうちに縛りつけられる『理由』でしかなかった。恵ちゃんは『奇化しもの』を恨んでなんかいなかったけど、『見えない』人を羨んでた。幸ちゃんとかね」

 そんな話はいつか聞いた。座敷わらしは何が言いたいのだろう。

「愛美ちゃんは『見える』人。でも幸ちゃんの娘だから、縁野のおうちを継ぐことにはならない。それはいいの。問題は、愛美ちゃんが出会ってしまった『奇化しもの』に悲しませられること。あなたは過ぎた願いを願って、その残された命すら削ろうとしてる。わたしにとってはどうでもいいけど、それが愛美ちゃんを泣かせるんだったら、捨て置けない」

「『かっぱの雨乞い』はただの昔話じゃないのか?」

「ただの昔話よ。でもね、お天道様がお決めになったことを変えるということは、とてつもなく大きな力に抗うことなの。散々『過ぎた願い』だと連呼しているあなたなら、もうわかっているでしょう?」

 お天道様とはつまり神様だ。それに抗うなんて、普通はできない。かっぱが命を尽くして雨乞いを成功させた話は、命を尽くすくらいの覚悟がないと雨乞いなんてできないという暗喩も含まれているのだ。

 お祈りの一つや二つで雨乞いが叶うなら、飢饉なんて言葉は存在しなかっただろう。雨が降るのは降らなかったせいで誰かが死んだからだ。それくらいの犠牲により、犠牲に見合った慈悲を与える。神様というのはそんな偉そうな気質をしているのだ。偉そうも何も、偉いのだから仕方ない。

 座敷わらしは知っているのだ。俺がメグミのために雨乞いならぬ雪乞いをしようとしていることを。

 ホワイトクリスマスをメグミはご所望だ……と俺は軽く考えていたが、座敷わらしは俺の命一つの重さを量っているらしい。

 それは俺がメグミの「友達」だから。喜んだらいいのか悲しんだらいいのか複雑なところだ。友達の死をあんなに情の深い子どもが悲しまないわけがない。お隣さんでしかないほたるのことを思って、俺に直談判に来るほどなのだから。

「それでも……叶わない願いなんて、なくしてやりたいじゃないか」

 それは、俺が前世で願いを叶えられなかったから。

 メグミには悔いなく生きてほしい……いや、これは。

「言ってしまうと、どうせ消えるなら悔いを残したくないんだ。友達の願い事、一度くらい叶えてやりたいじゃないか」

「だからって、命まで賭ける必要はないと思うの」

「俺はいつだって命の天秤にかけられてきたんだよ」

 命の重さが、人によって違うなんてことは、絶対にないと俺は考えている。それが奇化しものに通用するかはさておき。

 俺は人間だった頃、命のために友達を得られなかった。友達を得ようとしたばかりに命を失った。

 恵の願いは叶えられぬまま、恵は死んだ。ほたるの願いも聞けぬまま、俺はほたるを亡くした。

「来年には、俺はもういないんだ。メグミには、この冬を逃したらもう会えないかもしれない。だったら、今叶えるしかないだろう」

「愛美ちゃんが悲しむとしても?」

「……思い出くらいにはなるだろう?」

「辛い思い出だよ。恵ちゃんが死んだのだって、まだ苦しいままなのに、こんなのひどいよ……」

「でも、他に誰があいつの願いを叶えられるんだ?」

「……願いを、雪を降らせることだけなら、わたしにもできるかもしれない」

「なんだって?」

 聞き捨てならない。座敷わらしを見ると、かなり不本意そうな顔をしていた。

「あなたが情のない人じゃないってことはわかってるの。愛美ちゃんが好きになる人はみんないい人。だからね……わたしが、愛美ちゃんに幸せになってほしいから、わたしはわたしにできることをするだけ。あなたの寿命は伸ばせないけど……幸運程度なら」

 幸運を程度というか。さすがは幸運を司る神霊。

 素直にメグミの願いを叶えたいと言えばいいものを。

「叶えたくても、わたしは願われなくちゃ、叶えられない。恵ちゃんもそうだったけど、愛美ちゃんも自分の願いをそうそう素直に言ってくれる子じゃないわ。でも、祈ってる声は聞こえるの」

「それは……もどかしいな」

「うん。だから、代わりにあなたが願って。そうしたら、あなたが犠牲にしなければならない分の時間のいくらかを軽くできる。愛美ちゃんの幸せのために、その時間を使って」

「わかった」


 俺は座敷わらしに願い、俺は俺で雪乞いをして……雪は降った。

 けれど、座敷わらしが危惧した通り、愛美は泣いてしまった。

「そんなことのために……」

「そんなこと? 馬鹿言うな」

 俺に友達以上に大事なものなんてないよ。

 その囁きが届いたかどうかはわからない。

 愛美の雨の中で、俺は命を閉ざした。

 その後のことなど、知りようがない。

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