第8話

 十二


 浅草の花やしき。

 春休みだが、平日であり、また朝から小雨が降り続いているためもあってか、来館者の姿はまばらだった。

 中学二年生の健司は、クラスメイトとのデートの下見のために花やしきを訪れていた。

 園内を一通りチェックして一息ついた健司は用足しに向かった。

 男子トイレから出た健司は、隣の女子トイレからの女の子の悲鳴に気づき、思わずそちらへ走り寄った。

 女子トイレの中では、入り口付近に一人、その奥にもう一人と、計二人の少女が立ちすくんでいた。

 さきほど悲鳴を上げたのは、前者の少女であった。

 親が当園を経営しているため園内を自由に歩き回っていた由貴である。

 いつのまにか健司の背後には、少年が棒立ちになっている。

 小説の題材を求めて一人で訪れた夏雄だった。

 呆然としていた健司だったが、最も早く我に返り、物陰に他の三人を連れ出した。

 時間をかけて少女から話を聞き出し、大体の事情を察した健司は、「警察に行こう」と決然と言った。

 だが、所々が真っ赤に染まったピンクのハンカチを握りしめていた少女は「警察はぜったいにイヤ。このことは誰にも言わないで!」と強く首を振り、それからぽつりと「でも、ゆるせない・・・」とつぶやくようにもらしたのだった。

 四人の中に重苦しい沈黙が流れた。

 この時、由貴は十歳だったから、完全には事の次第を理解できなかったが、何かおぞましくて恐ろしい、許すべからざることが起こってしまったことを感じた。

 健司と同じく十四歳だった夏雄の感情は、やり場のない怒りに包まれていた。

 激しい怒りに突き動かされていることは、健司も夏雄と変わりはなかった。

 とはいえ、普通ならば、智実をなぐさめる程度で、無力感に囚われつつも解散し、四人の関係はここで断ち切られてもなんら不思議ではなかったはずである。

 だが、智実が事情を語り終えた後、遅ればせながら、全員が初対面同士だったからお互いに名乗りあったことで運命の歯車は回り始めたのである。

 その後の四人の会話は再び智実の身の上に戻り、打算のかけらもない少年少女の純粋な正義感が結晶したとでもいうべきか、まるで熱に浮かされたかのように、いつしかどうやって復讐を完遂するかという一点に収束していった。

 何か良い方法がないか知恵を出し合って考えるということで意見の一致をみた四人であったが、皆が都内に住んでいることが分かったので、次の日、上野で落ち合うことを約束して別れた。

 健司は叔父に取り残された智実を無事に送り届けてから帰宅した。


 十三

 

 次の日、健司たちは、上野のファストフード店で再会した。

 健司たちよりも年下である由貴の自宅に近い場所を選んだのだ。

 正義感が人一倍強い健司としては、もちろん真剣な気持ちだったが、つい昨日まで会ったこともない同士が同情と怒りで結ばれたとはいえ、それは束の間の感情に過ぎないのではと考えもした。

 だが、夏雄と由貴が現れ、智実も少し遅れて合流した。

 四人は声をひそめ善後策を話し合った。

 推理小説が大好きだという夏雄がある提案をした。

「いくら殺す動機がある人だって、逮捕されない場合がある。

 それは、アリバイがある場合だよ。

 つまり、犯行が行われた時刻、その現場にはいなかったってことが証明されるってこと。

 いいかい、僕たち三人は、いつかのある時ある場所で、それぞれの役割を実行する。

 それを今、決めておくんだ。

 もちろん、ある場所とは何年後でも存在していると予想できる所じゃないとね。

 で、同時に智実ちゃんは決行する。

 あとで、もし、疑われるようなことがあったら、今ここで決めたことを、その場で見たと証言するんだ。

 僕たちが、ちゃんと実行すれば、智実ちゃんの疑いは無事、晴れるというわけ。

 だけど、この計画を実行するには、残念ながら今の僕らでは若すぎるんだ。

 だから、智実ちゃん、つらいだろうけど、あと十年は待ってほしい」

「うん、わかった」とすぐに智実は強くうなずいた。

「ありがとう。

 で、この計画を実現させるためには」と夏雄がにこりと笑って続けた。

「僕たちは有名になる必要がある」

「有名に?」と健司と由貴が声をそろえた。

 そして三人はお互いの夢を打ち明け合った。

 夏雄は、小説家になること。

 健司は、プロ野球選手になること。

 由貴は、アイドルになること。

 二人の夢を聞いた夏雄はしばらくじっと考えていたが、やがて具体的な計画を語りだした。

「決行日は、今日つまり四月三日の十年後として、二〇一四年の四月三日としよう。

 場所は神宮球場。

 その日に試合がなければ、その日以後で最も近い日とする・・・」

 計画を確認し終えた三人の少年少女の瞳は、不安も恐れも知らない無垢な希望と誇りにあふれていた、計画の変更など想像だにしていないというように。

 最後に健司が宣言した。

「共犯を疑われては、まずい。

 だから、今後、絶対に会ったりしてはダメだ。

 電話もメールも、手紙もね。

 昨日まで他人だったように、今日これからも他人になるんだ」

 今日以後、お互いに一切の連絡を絶つことを堅く約束して、上野の雑踏の中で四人は散り散りに別れた。

 短いが、力強い誓いの言葉を最後に交わして。


「信じて」と夏雄。

「信じろ」と健司。

「信じてね」と由貴。

「うん。信じてる」と智実が言った。


(了)

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クリスタル トライアングル 鮎崎浪人 @ayusaki_namihito

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