焼きいも、いし妬きいも。

楠木千歳

焼きいも、いし妬きいも。



 突然ですが、焼き芋はお好きですか?

 僕は残念ながら、大嫌いです。



『やぁきいもぉー……いしやぁーきいもーぉ……』




 あー、来た来た。


 僕は床に寝そべったままで、おじさんの気だるい、気だるい声を聞く。

 冬の風物詩。日本全国、あちらこちらで聞かれるこの音が、僕の頭痛の種になっている事など、誰が知っているだろう。もちろん誰も知らないよね。それは自分に実害がないからだ。

 どこか郷愁を誘うような、昔なつかしい感情を想起させるような音色。この焼き芋音声を嫌う人間は、どうやら少数派であるらしい。全クラスメイトへの入念な聞き取り調査の結果、僕の味方はとても少ないという事が判明してしまった。 


「たーかーしーくーーーん」


 今にも踊りだしそうな、軽快な足音がこだました。階下から僕を呼ばわる声がする。

 ほら。災厄の種のお出ましだ。

 

「おーーい、いるでしょー? 返事しろーーーー」


 その声はどんどんどんどん近づいてきて、やがて僕の部屋の前でピタリと止まる。そして、やたらうるさい音でその扉をノックした。


「やーきいも。いしやきいもだよ、隆史たかしくん、ほれ、起きた起きた!! 買い出し係、仕事だぞ!」


 誰が係だ馬鹿野郎。

 床と引っ付いていた背中が突然むず痒くなった。「買い出し係」という単語に拒否反応を起こしたものだろう。

 ひとつ寝返りをうつ。が、それが良くなかった。足を思い切り強打してしまったせいで派手な音が鳴る。「いるんだ!!」と嬉々とした声が廊下へ響き渡った。


「いもだぞいも!! やきいもやさんだよ!! かってこい!! おいも!!!」


 本当に、本当に。

 

 うぜえ。


 そうは思えど、無視では全く収まらないノック音。鍵をかけてはいるものの、かえってそのせいで扉が破壊されそうな勢いだ。それは困る。

 

 たった扉一枚、されど侮るわけにはいかない。万が一にも扉が壊れるなんて、あってはならない。寒いのに一等弱い僕なのに、暖房が効かなくなる事態は何としても避けねばならない。

 そういえばその昔、クラスの馬鹿が教室の扉を破壊したせいで、タダでさえ寒い廊下席勢が大寒波にさらされるという事件があった。もちろんその被害を被った中には僕も含まれていた。

 指先がかじかんだ状態でノートなんて取れるわけがない。生きた心地がしない、という言葉の使い所を思い知らされた一週間、二度と味わいたくもない惨劇だ。


 話が逸れたけれども。

 とにかく今は扉の危機、いや生命の危機を回避すべきな訳でして。


「……あーもー、分かったよ! 行けばいいんでしょ、行けば!!」


 わざと乱暴に扉を開けた。真ん前に立っているであろう『そいつ』の鼻っ柱に思い切りぶつけてやろう作戦である。が、前回同じ手に引っかかって流石に懲りていたのか、手応えはなかった。

 扉を開けた先には、すれすれで避けたドヤ顔の『そいつ』が立っていた。


 僕の肩ほどもない身長から、見上げる視線と目があう。

 その瞳は勝ち気そうな光を宿している。ぱっちりとしていてまつげが長くて、良くいえば可愛らしく、悪くいえば幼い。

 お洒落を気取ったんだがなんなんだか、長い黒髪をいっちょ前に横へまとめていた。背伸び感満載の髪型だといつも思う。口が裂けても言えないけれども。


「ど、や! そう何回も同じ手には引っかからないよーだ、ばーかばーか、ばか隆史」

「偉そうに言えることでもない……」


 ちっ。もう一回くらい引っかかってくれたら面白かったのにな。涙目の彼女は意外とかわ……いや。愉快だった。

 僕はため息の裏に本音をしまった。

 喋りのうるささと勝ち気そうな雰囲気さえ取り除けば、おしとやかな女の子に見えなくもないのになあ。


「隆史の脳みそはいも以下だな。いやむしろ、美味しく偉大なるおいも様に失礼だ。おいも様に謝れ」

「ちょっと意味がよくわからないのですが。日本語喋って頂けますか?」

「ちゃんとした日本語ですけど!!」


 全く、とにかく色々と台無しアンド残念な人物である。

 まあいいや。もうなんでもいいや。

 僕は机にあった財布をポケットに押し込んで、極寒の下界へと踏み出した。





# # #





 人は僕らを、幼馴染みと言う。


 僕的にはたかだか長期休み中にだけやって来る、仲良くしているお客人程度の認識なのだが、みんなはそうは言わない。我が家が顔パスで通行可能なくらいだから、確かにお客人というのは些(いささ)かよそよそしいかもしれない。

 まあ彼女の兄とは幼稚園から腐れ縁という本物の幼馴染みだし、あながち間違ってはいないけど。


 都会っ子と仲良くしていることとか都会への憧れとか嫉妬とか、そういうのもあるんだろう。

 僕が住んでいるこの街だって、電車に乗れば割とすぐに都心へ出られる。だけど畑やら広い日本家屋がそのまま残されているくらいには、田舎な地域だ。『渋谷なら家から歩いて行けるけど?』レベルの人とは、やっぱりなにか垢抜け感が違う。そのなかなか抜けられない二流感が、僅かな嫉妬心を煽るのかも知れない。

 僕ら中学生というものは、意外と流行に敏感だ。


 とにかく、その『渋谷なら歩いて行けるけど?』レベルに住んでいる彼女は、(黙っていれば)可愛い容姿も相まって、小学生の頃から僕のクラスメイトに人気がある。人見知りが激しいらしく、僕の幼馴染み、つまり彼女の兄と僕以外にはおしとやかキャラで通っているから、それがまたいけない。


 だが彼女……黒木結衣には性格上の難点がもう一つあった。

 

 それは、極度の『いも好き』である。



「いっもー、いもいもー、いもいもいーもいもー」


 変な節回しの歌声が僕の家の廊下に響き渡る。僕の家族でさえ、誰も突っ込まないのは何故だ。

 焼きいも一つでこれだけ上機嫌になれる人間もそうはいるまい。

 結衣が好きないもは「焼きいも」のみに留まらない。

 じゃがいも、さといも、さつまいも。こんにゃくいもに至るまで、その食指は貪欲だ。つまり『いも』と付くものに関して、他人がドン引くほどに目がないのである。

 料理形態はなんでもいい。煮物でも炒め物でもスイーツでも、単にふかしただけでもいい。とにかくなんでも喜ぶ。


 『いも』それは、彼女を惑わせる最大の魔法の言葉…………



「いもっいもーいもいもいーもいもいもー、いもいもっいもー」

「思ってたけど、その歌毎回メロディー変わるよね」

「前のリズムなんて覚えてないもん」

「適当だなあ」

「隆史が細かいの」


 玄関を出ると身を切るような冷たい風がひょう、と首元をさらった。コートだけじゃなくて、マフラーくらいしてくるんだった。馬鹿だな、と北風小僧が嘲笑う。

 なんでこんな思いまでして、焼きいも買いに来てんのかな。

 僕は寒さと呆れの両方で肩をすくめた。





「焼き芋屋さんの呼び止めかたが分からないんだけど」


 結衣が泣きを入れてきたのは、ほんの数日前の話だった。どうして突然そんなことを言い出したのかと思えば、先日彼女の兄上が買ってきたほっくほくの人生初屋台焼き芋が格別に美味しかったからだとか、なんとか。

 これだけのいも好きで屋台の焼き芋を食べたことが無かったというほうが僕には信じられなかったけど、都会育ちは案外そんなものなのかもしれない。

 「グー〇ルでも調べてみたけど、大声で呼ぶとか恥ずかしすぎて無理!! 死ぬ!!」と突然の乙女モードを発現させた結衣の泣きにより、僕はじゃんけん3回戦を戦わされ見事に敗北を喫したのでありました。

 ……一度限りの約束が、二度三度に延びることにはもう慣れた。

 諦めている時点で僕も彼女にはとことん甘い。



『いしやぁーきいもぉ、おいも』



 遠くから聞こえていたスピーカー音が、すぐそばまで迫っていた。

 三つ向こうの角からひょっこり、白い車の頭が覗く。

 ぱああ、と結衣の顔が輝くのが、見なくても分かった。


「きたきたきたきたきたきたきたきた……!」

「南?」

「つまんね」

「すんません」


 視線も向けずに殺される。僕は少々凹む。

 渾身のボケを放ってみても、彼女にはウケた試しがなかった。都会はギャグも最先端を行っているのかもしれない。だとしたらお手上げだ。


 そうこうしているうちに、車は中の人間を確認できる距離へ接近してきた。焼きいも屋のおっちゃんに向かって財布をふると、にかっ、と笑っておっちゃんも手を振ってくれた。車が僕らの前で止まる。おっちゃんが「よう」と声をかけた。


「二人分」

「あいよ」


 これだけで通じるのが心地いい。僕はおっちゃんにお金を渡す。コンビニとかスーパーで買うよりもちょっと高めだけど、結衣が譲らないから仕方ない。結衣はじっと僕とおっちゃんの手元を見つめていた。小さいのが来たら速攻で文句を言うつもりかな。そんなケチじゃないのにさ。

 車から立ち上るほのかな甘い匂いが、寒さで麻痺した五感を刺激する。石を熱する暖かさが外まで漏れていた。


「まけといてやるよ」


 ほらね。ケチじゃなかった。手袋をしていない手にずしりと二つ、重みを乗っけると、おっちゃんはまたにかっと笑顔を作った。



「ありがとう」

「ありがとうございます」



 結衣も小さくお礼を述べた。『やあきいもぉー』の音楽を鳴らしながら、おっちゃんと芋を乗せた車はゆっくりと動き出して僕らを街へ置いていった。

 手元に残ったのは、かじかむ手にぬくもりを与えてくれる茶色い包みだけ。

 僕は一瞬だけ躊躇ってから、結衣への問を口にした。


「家の中、入る?」


 答えは分かりきっている。だけども、一縷(いちる)の望みを掛けないわけにはいかなかった。寒いんだもの。

 果たして。

 間髪入れず、結衣はぶんぶんと首を横にふった。


「……だよね。知ってた」


 “外で食べる焼き芋こそ至高”論を覆さない彼女に、僕が勝つ日は来ないだろう。

 焼き芋の包みを一つ渡した。結衣は大事そうにそれを両手で受け取って、「あったかい」と呟いた。

 口元がほころぶ。きっと無意識だ。目はキラキラと輝いて、吐く息の白ささえ何故か眩しい。


 なんか、悔しいよな。


 上手く言い表せないけど、うん。やっぱりなぜか、ちょっと悔しい。

 結衣なんか、いもいも星人のいも女の癖に。いや、いも女って確か「野暮ったい人」みたいに使うんだっけ? ファッションセンスは垢抜けてるから、「いも女」とは言わないのかな。そんなことはともかく、うるさくて泣き虫で普段は可愛げなんかこれっぽっちもないくせに、こういう時だけ。

 心底嬉しそうな表情の結衣は、まるであたり一面に花が咲き乱れた少女漫画のヒロインくらい可愛いのだから、悔しくもなる。


「なに?」


 僕の視線に気づいた結衣が、胡乱(うろん)げな目でこちらを見上げた。いつからだろう。同じくらいだった背丈を引き離して、この上目遣いにほんの少しの優越感を覚えるようになったのは。


「別に」

「……ふうん」


 納得いかなさそうだけど、これ以上の事を答えてやるつもりはない。

 見とれてましたなんて、口が裂けても言うもんか。



「心底嬉しそうだなあと思っただけ」

「当たり前じゃん。おいも様だよ? 美味しくないわけないし、嬉しくないわけないでしょう?」


 どんな高級食材も、いや、どんな高価なプレゼントさえも。

 きっと彼女の前では、おいも様に敵わない。


「クリスマスプレゼント、もうこれでいいかな。いいよね」

「ええー、それはないない。ていうか隆史のセンスがない」

「だっていもより貰って嬉しいもの、結衣にあるの?」


 僕が尋ねると結衣は真面目な顔をして考え込み始めた。うーん、と喉の奥から不明瞭な呻きが聞こえる。

 ほんとにそんなに考えても、出てこないものなのだろうか。結衣、それでもお前は多感な中学生か?

 こんなヤツでも一応、僕は男なんですけど。

 全く意識されてない、っていう認識でオーケー?


 真剣に思いつかなかったのか、結衣が眉をハの字に曲げた。


「確かにない、かもね……あと三回分奢ってくれるならまあ、それで許してやらなくもないけど」

「それマジで言ってる? けっこう車の焼きいもって高いんだよ、知ってるよね?」

「知ってるよ。だからこそプレゼントなんじゃない? 自分では買えないけど、もらったら嬉しいもの。ほら、隆史の大好きな理論理屈にかなってるよ?」

「話の論点ずらすなよ」


 そんな軽口を叩きながら、僕らの時間が減っていく。

 僕が『妬きいも』になってることなんて、きっと君は気づかない。

 ……上手くもないか。



「でもさあ」


 いものせいでもごもごなりながら、結衣がぼそり、と呟いた。


「ん?」

「焼きいもより、一緒に食べる時間の方が好きかな」

「……そ」


 お互いの頬が赤いのは、北風のせいってことにしておこう。




# # #




 突然ですが、焼きいもはお好きですか?


 残念ながら僕は大嫌いです――が。

 この瞬間だけは、一緒にいるのにこうやって顔も見ずに、誰かと焼きいもを頬張る時間だけは。

 悪くは無いかな、とも思ったりするのです。


 それもいっときの事ですが。

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