尻尾のない狐
倉谷みこと
尻尾のない狐
幽霊の気配を感じることができる人っていますよね。実は、私もそうなんです。幼い頃から幽霊の気配をたびたび感じていました。お盆の時期になるとその感覚が強くなるのか、幽霊の姿が見えることも何度かありました。
これは、そんな私と私の母が体験したお話です。
社会人になって四年目のある日のことでした。
夜、私はいつも通りお風呂に入っていました。浴室で頭を洗っていると、ふと背後に気配を感じました。それだけなら、わりと慣れているからどうということはなかったんです。けれど、ふいに白い狐が目の前に現れました。それも、尻尾がない狐です。目を閉じて頭についた泡を洗い流しているから、目の前は真っ暗のはず。なのに、暗い中に鮮明に白い狐の姿が見えたんです。その瞬間、背筋がゾクッとしました。
(私は何もできないから、どこかに行ってくれ!)
頭の中で、そう何度も願いました。幽霊を見てしまった時は、いつもそう念じることにしていたのです。そうすると、目の前にいる幽霊が消えてくれるからです。
しばらく必死に念じていると、狐の姿と気配が消えました。ホッとした私は、シャワーを浴びてから浴室を出て床につきました。
翌朝、身支度を済ませて居間に行くと、朝食の準備をしている母がいました。
「おはよう」
と、あいさつをかわしてテーブルにつきます。
食事の支度が終わり、さあ食べようと母もテーブルについた時でした。母の雰囲気が、どこかいつもと違う気がしたんです。でも、何がどう違うのかはわかりませんでした。単純に顔色が悪いからそう思ったのかもしれません。
「なんか顔色悪いけど、大丈夫?」
私が聞くと、
「大丈夫だよ。あんまり眠れてないだけだから」
と、母は弱々しく笑いながら答えました。
「大丈夫ならいいけど……」
私がそう言った瞬間、母の肩越しにあるはずのないものが見えました。
(――!?)
思わず声をあげそうになりましたが、なんとかこらえました。そこには、昨夜、浴室で見たあの狐がいたんです。心なしか、邪悪な笑みを浮かべているようにも見えました。
(なんで……!? たしかに、どっか行けとは思ったけどさ)
どうして母のところに行ってしまったのかと、愚痴を言いたくなりました。けれど、それは口にせず、母にも何も言いませんでした。あまり眠れていなくて辛いのに、余計な心配というか恐怖心を与えたくなかったからです。
その日、母は眼科医に行くと言っていました。母はもともと近視なんですが、いつも使っている眼鏡があわなくなってきたらしく、検査してもらうそうです。
前日にそれを聞いていた私は、
「眼科、送って行こうか?」
と、母にたずねてみました。
その日は平日で、食事が終わったら出勤しなければなりませんでした。ですが、事前に遅刻することを連絡しておけば、怒られることはありません。それに、背後の狐のこともあり、母が心配だったからです。けれど、母が大丈夫だと言うので、私はそのまま出勤しました。
淡々と仕事をこなし、十一時にさしかかる頃。一本の電話が鳴りました。それは私宛だったらしく、電話に出た先輩から受話器を渡されました。
「もしもし、お電話代わりました」
嫌な予感がありながらも私が電話に出ると、よく知っている声が聞こえてきました。父の声でした。
「お母さんが事故にあった」
父の声はわずかに震えていました。
その事実に、私は血の気が引きました。母が搬送された病院を聞き、「気をつけて来いよ」という父の言葉に機械的に返事をして受話器を置きました。
上司に母が事故にあったことを告げると、すぐに行けとばかりに早退の許可がおりました。私は一目散に母が搬送された、街で一番大きな病院へと向かいました。
病院のエントランスで父と合流し、母がいる病室に行くと、母は人工呼吸器をつけてベッドに寝かされていました。医師の話では、搬送後すぐに手術したおかげで、どうやら一命は取り留めたようです。けれど、意識はまだ戻らず予断を許さないとのことでした。
それからしばらくの間、私は父とふたりで母につき添っていました。
数日後、母の意識が戻ったので、何があったのか聞いてみました。
眼科医に行くために車を走らせていたけれど――眼科医は自宅から車で十分のところにあります――、気がついたら市街地からはずれて車道脇にある畑に突っ込んでいたそうです。その間の記憶はなく、なぜ市街地から出て畑に突っ込んでいたのかわからないとのことでした。
私は、あの狐のせいだと直感しました。ですが、直接の原因だという証拠はないので何も言いませんでした。
それから母は、数ヶ月入院することになりました。単独事故とはいえ、その衝撃は相当なものだったらしく、基本的に安静にしていなければならないそうです。それに、検査やリハビリなどが必要だとも医師が言っていました。
父も私も日常に戻り、母を見舞うのは毎週末だけになりました。見舞いに行くたびに、母の顔色はよくなっていきました。
数ヶ月後、母は予定通り退院しました。頭を強く打っていた後遺症か、少し言葉が出にくいようでしたが、日常生活に支障はないでしょうとのことでした。
それから、母は車を運転することをやめました。運動機能に問題がないとはいえ、あの事故がトラウマになってしまったようです。そのため、何か用事がある時には、父か私が車を出すことにしています。
あれから、あの尻尾のない狐は見ていません。それどころか、気配すらも感じなくなりました。あれがいったい何だったのか、今になってはわからないままです。けれど、もう二度とあれには出会いたくありません。
尻尾のない狐 倉谷みこと @mikoto794
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます