夫がいる未亡人

タカハシU太

夫がいる未亡人

 霊が視えるという人間は多い。かまってちゃんによくあるやつだ。

 ある飲み会で、霊感のある人物が二人同時に参加していたことがあった。霊がどこにいるか聞いたら、一人は壁の下のほうに人影があると言い、もう一人は天井付近に黒いモヤモヤが浮かんでいると言う。

 霊感なんてそんなものだ。結局、その人の精神状況を現わしているにすぎない。


 知人の女性も同じように、霊視ができると言った。本人がそう信じているのだから、話半分でいつも聞いてあげていた。

 彼女はアラサーだったが、半年前に夫を亡くしていた。

 元々、キャバクラで働いていたので、ヴィジュアルがそこそこ良い。化粧とお洒落が上手いともいう。性格もさばさばして、バイタリティにあふれていた。新しい恋、次の相手など、見つけようと思えば簡単にできる。現にアプローチしてくる男性はいくらでもいた。

 そのうちのある男性は、仕事も性格も申し分なかった。飲み会をセッティングしてあげて、彼女と男性がいい雰囲気になっているのも知っていた。けれども、彼女に問い詰めると、交際にまで至っていないという。もったいない。

「夫がいるの」

 彼女は打ち明けてきた。半年前に亡くなった夫の霊が、四六時中、自室に居座っているという。

 夫の霊は特に何をすることもなく、たたずむだけ。話すことも、触れてくることもない。いや、見返してくることもない。夫の霊には顔がないそうだ。


 亡き夫は大手総合商社のエリート社員だった。接待で彼女と知り合い、何度も通ううちに、恥ずかしそうに結婚前提の交際を申し出てきた。夫自身、地方出身の垢抜けない、そして朴訥な人柄だったという。

 恋愛下手な彼の告白を、派手な彼女が受け入れることにしたのは、同じ田舎出だったこと。彼女自身も都会の喧騒に疲れていた。この彼となら、穏やかな生活が手に入れられるかもしれないと思ったのだろう。

 こうして彼女は結婚し、専業主婦となった。

 夫はさらに仕事に邁進し、それがあだとなって、精神に変調をきたした。それを隠しつつ働き続けたため、業務上で致命的なミスを犯してしまい、自ら命を絶った。屋上から飛び降り、顔面から地上へと突っ込んで。

 それでも夫は霊として、彼女のそばに居る。それだけ惚れていたのだろうか。

 彼女の気持ちは分からない。元々、夫に恋愛感情があったのか。だが、二人が住んでいたマンションから、ワンルームマンションへ引っ越しても、夫の霊が現れてしまう。これでは新しい人生に踏み出せるはずがない。


 そんなある日、夫の母が突然、彼女の自宅に押しかけてきた。半年前の葬儀に会って以来だ。

 義母は東京の友人に会いに来たついでだと言ったが、見え透いた嘘である。彼女の暮らしぶりを観察しに来たのだ。最愛の息子が亡くなったのは、水商売をやっていたこの魔性の女に、人生を狂わされたからだと決めつけていた。

 義母と再会した彼女は散々に嫌味を聞かされた。それでも彼女はじっと耐えた。高卒女が玉の輿を求めて、旧帝大の男に狙いを定めた。保険金目当てじゃないのかとまで言われた。

 さらに彼女がお茶を淹れている間に、義母は部屋をチェックしていたのか。彼女が引き出しにしまっていた写真立てまで引っ張り出していた。その写真は彼女と夫のツーショット。だけど、夫の顔は黒いペンでぐしゃぐしゃに塗り潰されていた。

 義母は嫁、というか元嫁の仕打ちを非難した。しかし、彼女は自分がやったのではないと否定した。ある日その写真を見たら、知らぬ間に黒く塗られていたと。きっと、顔面を失って死んだ夫の霊が、自らやったのではないかと、彼女は思っていた。

 義母はエスカレートしていった。息子を殺したのはあんたのせい。息子を返せと。

 彼女もついに我慢の限界に達し、言い返した。

 夫……彼はずっと苦しんできたという。幼い頃からいい学校、いい会社に入れと、片親だった母からひたすら勉強を強要させられて。それで就職したら、今度は仕事、仕事、仕事。こんな人生にしたのは、母親であるあなただと。

 彼女は義母を帰らせようとした。けれど、義母は頑として動かない。彼女もおとなしく従うわけにはいかない。力ずくになり、揉み合いになる寸前だった。

 その瞬間、義母が固まった。元嫁の背後をじっと見つめている。義母は息子の名前を呼んだ。

「お義母さんにも見えるんですね」

 彼女は穏やかに言って振り返った。いつも通り、夫の霊が静かに控えていた。やはり表情は分からない。

 義母は嬉しさのあまり、息子に抱きついた。会いたかったと泣いて。

 夫も抱き返した。力強く、力強く、力強く。

 義母は痛いと言って離れようとしたが、夫の霊は放さなかった。締めつけがきつくなった。親子の愛ではない。まるで憎しみを現わし、仕返しをしているかのようだ。

 義母はもがき、うめいたが、どうすることもできなかった。義母の体内から鈍い音が響いてくる。ついに絶叫を上げると、白目を剥いて脱力し、義母は床に崩れ落ちた。ピクリとも動かない。


 義母の死因は急性心不全と診断されたらしい。だけど、今でも彼女は夫の霊がやったと信じている。

 そして現在も彼女は夫と、いや、夫の霊と暮らしている。これも運命だと思って、受け入れることにしたそうだ。

 そんな彼女が最後に告げてきた。

「お義母さんの霊も現れちゃったのよ……」


                (了)

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