第3話 寧々

 無人の神社で、寧々は二本の妖刀を抱えて、独り佇んでいる。


「コウちゃん……恭ちゃん……」


 いくら呼んでも二人が戻ることはない。




 寧々はコウのことを密かに想っていた。


 中学生の頃付き合っていた男は、最低の人間だった。コウが彼を悪し様に評したのは間違いではなかったのだ。


 コウには悪を見抜く力があった。その人並み外れた才能に、寧々は惹かれた。


 ある日の高校の帰り道、陸橋を上るのに苦労している老婆がいた。


 手助けしようと寧々が駆け寄ろうとすると、コウは険しい顔で腕を引っ張った。


「だめだ。行こう」


 気迫に押されて寧々は渋々その場を後にしたが、途中で別れた後、急いで陸橋へと戻った。


 老婆はまだいた。


 だが、それは先ほどまでのひ弱な老婆ではなかった。


「血をおくれ」


 にい、と笑って牙を剥く。


 寧々は悲鳴を上げて逃げ出した。目を爛々と輝かせている老婆の姿は、もはや人間のものではなかった。


 コウはわかっていたのだ。最初から老婆が普通ではないことに。


 それ以来その陸橋には二度と近寄ろうとしなかった。


 この世界には常識から外れたものがある。


 いや、常識というものは大多数の人間から見ればマジョリティであるというだけであって、必ずしも真理であるとは限らない。


 コウは常識に捉われない男だ。だからこそ普通の人には見えないものも見えたのかもしれない。


 そのことに気が付いてから、寧々はコウに惹かれるようになっていった。


 本当は、寧々はコウに斬られてもよかった。


 中学の時に、どれだけ酷い仕打ちをコウにしてしまったか。その罪の深さを考えるなら、命で償うのが妥当だった。


 コウのことが好きだったから、余計に強くそう思っていた。


「君を殺したいんだ」


 寧々の家に侵入してきて、屈託のない笑顔でそう宣言したコウを、寧々は、綺麗だな、と感じた。


 目を閉じ、刃に身を委ねようとした瞬間、恭介が窓ガラスを破って突入してきた。


「させるか、コウ!」

「あはは、恭ちゃん、間に合ったんだね」


 その場でコウと恭介は斬り合いを始めたが、やがてコウのほうから外へと逃げ出し、


「神社で待ってるよ」


 と言い残して去っていった。


「よかった、間に合って」


 そう言って、恭介は満足げに頷いた。


(何様のつもりよ)


 そのヒーロー然とした顔が鬱陶しかった。


 いつでも恭介はご立派な男だった。


 成績優秀で、スポーツ万能、交友関係も広く、正義感も強い。一緒にいると安心できる面はある。だけど、一緒にいると惨めにもなってくる。


 常に自分が正しい道を歩んでいると信じて疑わない。


 弱者の心を理解しようとすることもある。そういった「パフォーマンス」も含めて、恭介は正しい人間として王道を生き続けている。


 その態度こそが、弱者を踏みにじっているのだと気が付かずに。


 恭介のような存在は生きているだけで害毒だ。全ての言動が弱者にとっては悪だ。ただ生きているだけで他人を傷つけることができる。その可能性にまるで考えが及んでいない。


 寧々は恭介が嫌いだった。


 自分やコウのような人間にとっては、害悪。


 死んでせいせいした。




 妖刀が光る。


 白い鞘の妖刀も、黒い鞘の妖刀も、両方とも。


「嫌い、嫌い、嫌い」


 ずっと殺したかった。


 恭介のような人間を。他人の痛みを本当に考えられないような男を。


 寧々は二本の妖刀をいっぺんに抜いた。


 夜闇の中、提灯の灯りに照らされ、妖刀は紅色に輝く。コウと恭介の血がベットリと付着した刀身は、とても蟲惑的だ。


「きれぇ」


 寧々はうっとりと呟いた。


 神社の中に武装警官隊が突入してきた。


 シールドを構えて、拳銃を向け、状況によっては攻撃もやむなしといった物々しさだ。


 後方に立っている刑事らしき男が、拡声器で呼びかけてくる。


『刀を捨てなさい。捨てたらこっちへ来るんだ』


 冷静に、警察の人数を数える。


 この場にいるのは全部で二十名強。


「うふ」


 寧々は笑った。


 白い鞘の刀で、自分の全身を切り刻む。計六十箇所に切り傷を作り、血まみれだ。あさぎ色の浴衣はボロボロになり、乳房や太ももがむき出しになる。


 男たちに肌を見られているのもかまわず、寧々は扇情的にぺろりと指についた血を舐めた。


『何を――』


 交渉人が拡声器を持ったまま絶句している。


 寧々はパチンと指を鳴らした。


 途端に警官隊の眼球が一斉に切り裂かれた。


 神社の中に悲鳴と絶叫がこだまする。


 寧々の全身の傷は浅いものだが、眼球に対しては深いものだった。目から血を流し、全ての警察官が泣き叫んでいる。誰もきっと、自分たちが何をされたのかわかっていないのだろう。


 まさか寧々の全身の傷をコピーされたとは、思いもよるまい。


 ふわりと舞い、のた打ち回る警察官たちの中へと飛び込み、寧々は黒い鞘の妖刀を振るった。


 ポンポンと生首が弾け飛んでいく。


 虐殺が始まったことを理解した一部の警察官は、泣いて許しを乞うたが、寧々は聞き入れなかった。


 そもそも許す許さないの問題ではない。


 単純に、これは、試し切りでしかない。


 やめてくれえ、と交渉人の刑事が悲鳴を上げた。


 寧々は嬌声を上げた。


 絶頂に達し、淫らな表情で歓喜の涙をこぼし、交渉人の体を縦に真っ二つに切り裂いた。


 動く者は一人もいなくなってしまった。


 寧々の中身はいつでも空っぽだった。


 勉強ができるわけでもなく、特別に優れた才能があるわけでもない。コウをいじめに追いやった一事を省みれば性格だっていいわけでもない。


 空虚。


 自分という軸のない存在。


 だから男に寄った。中学で彼氏を作った。小学生の頃から彼氏持ちでいる同級生には負けていたが、それでも他の女の子より一歩先へ行っていると自負していた。


 でもそんな彼氏もダメだった。とても他人に自慢できるような男ではなかった。


 何もない。何もない。


 自分には誇れるような自分が何もない。


 恭介のことは嫌いではなかった。でも心の奥底では嫌いだった。


(どっち? 好き? 嫌い?)


 わからない。


 芯のない自分にはよくわからない。


 人が好きとか嫌いとか憎いとか愛しいとか温かいとか冷たいとか気持ち悪いとか心地よいとか清々しいとか禍々しいとか優しいとか薄情だとか。


 どれが自分の感情なのかよくわからない。


 生きるということの意味がわからない。


 なぜ人間は生きているのかわからない。


 恭介のように強く生きているわけでもなければ、コウのように弱いわけでもない。


 寧々という存在の芯はどこにあるのか。


 心の深部へと潜り込み、見つけたものは、無限に続く空虚。


 本当はわくわくしていた。


 コウと恭介の戦いに巻き込まれた自分は、何かの物語のヒロインになれるのではないかと期待していた。


 それも、二人の相討ちで終わってしまった。


(大好きだったコウちゃんまで)


 コウが勝ったときは嬉しかった。これで最後に自分が斬られれば、悲劇のヒロインとして華々しく人生の幕を閉じることができる。コウの心の中で永遠に寧々という存在は生き続けられる。


 空っぽな自分は、実のある存在へと昇華できる。


 そう思っていたのに。


 二人とも死んでしまった。


「コウちゃん……恭ちゃん……」


 私も混ぜてよ。


 どうして二人だけで先に逝っちゃうの?


 どうして私だけ独りぼっちなの?


 混沌とする頭の中が徐々に鮮明になってくる。


 二振りの刀を構えて、寧々は静かに神社の外へと出ていく。


 闇を切り裂き、機動隊のライトが一斉に寧々を照らし出した。


 武器を捨てるように促す声が聞こえる。ヘリコプターの爆音が聞こえる。


 空を見上げると、満月が天頂に鎮座している。


「とりあえず、みんな死んで」


 寧々はまたもや全身を切り刻んだ。


 数秒後、鎮守の森を取り囲んでいた機動隊は、全員が眼球をぐしゃぐしゃに切り裂かれ、戦闘不能の状態に陥った。


 阿鼻叫喚。


 無抵抗の機動隊を斬殺し、逃げ惑う一般市民も葬り去る。


 老人、子ども、男、女。誰でもいい。


 みんなみんな死ね。


 数分後。


 死体の山の上で、寧々は全身を自らの血でどす黒く染めながら、昂奮でブルブルと震えていた。


「あはあ」


 黒と白の刀を頭上に高々と掲げる。


 X。


 妖刀同士が交差し――黄金色の月光を背に、Xの字を象った。

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妖刀X 逢巳花堂 @oumikado

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