第2話 コウ
コウは、恭介と寧々が大好きだった。
恭介が東京で勤め始めてからは会う機会がなかったが、それでもメールのやり取りは絶やさずにいた。
いつまでも三人仲良しでいられればいいと思っていた。
ある日父が死んだ。
その後すぐに、母もガンを患い入院した。
もやもやとした不安に駆られたコウは、いても立ってもいられなくなり、東京にいる恭介を訪ねに行った。
恭介は昔と変わらなかった。
落ち着いた態度の恭介と話していると、自分の不安なんて取るに足らないものだと感じさせられた。
(恭ちゃんのそばにずっといられれば安心なのに)
明くる日の新幹線で帰るため東京駅まで見送りに来てもらったときも、離れがたい気持ちで一杯だった。
そして事件は起きた。
駅のホームから男が転落し、新幹線に轢かれた。
突然の出来事だった。
周囲が騒然となる中、コウはある一点を見つめていた。
転落した男の荷物だ。
ホームの上に大きなジェラルミンケースが放置されている。
ひとりでにケースは開いた。
「呼んでいる……」
横に立っていた恭介が、ぼんやりとした表情で呟いた。
コウにも声は聴こえた。その声音にはあまりにも禍々しい響きがあり、誘われてはいけないと本能で感じていた。
しかし恭介はケースに向かって歩き出した。
「恭ちゃん、行ったらダメだよ!」
コウは恭介の腕を引っ張った。だが恭介は抵抗する。コウの腕を振り払い、ケースのほうへと一歩ずつ近寄っていく。
ケースの中身が見えた。
ふた振りの日本刀が収められていた。
「あの刀が欲しい」
恭介はぶつぶつと呟いている。
彼にあの刀を触らせてはならない、とコウは身代わりとして、手を伸ばすと、黒い鞘と白い鞘の刀があるうち、咄嗟に黒い鞘の刀を掴んだ。
そこで恭介は我に返った。
「コウ、なにやってるんだ!」
その声は、もはやコウには届かなかった。
脳内に呪詛が渦巻く。世界中の人間に対する呪いの言葉。
コウは抗った。だが、体は意思に反して動いてしまう。
そのとき、恭介が動いた。
白い鞘の刀を取り、コウとの間合いを空ける。
「しまえ、コウ……」
恭介は刀を抜いた。
気が付かないうちにコウは抜刀していた。
鈍く光る刀身を見た瞬間、コウは己の精神が変質するのを実感した。
すでに何人かはコウたちに起こった異変に気が付いていた。遠巻きにして様子を見守っている。
そのギャラリーの中にいる、キャリアウーマン風のOLに向かって、コウは飛びかかった。
悲鳴を上げたOLを、一刀のもとに斬り伏せる。
頭がパックリと割れて、血を撒き散らせながら、OLは絶命した。
直後、脳内に彼女の声が響き始めた。
『なに、ここ? 気持ちいい、すっごく気持ちいい……』
続いて、コウはショートヘアの女子高校生に斬りかかった。
横薙ぎに首をスパンと刎ねる。
今度は女子高校生の声も聴こえてきた。
『わあ、なんて楽しいんだろう。外よりずっといい』
『いらっしゃい』
『あ、もう先に入ってる人がいたのね』
『そうよ。ここ、とてもいいところよ』
『うん。私たちを殺してくれたあの人に感謝しないとね』
女子高校生とOLが親しく会話している。どうやら刀の中から声は流れ込んできているようだった。
コウは嬉しくなった。
自分が誰かを殺せば、その誰かは幸せな刀の中の世界にいける。そこはとても気持ちのいい所で、殺人者である自分が感謝されるほどの幸福。
刀の中の世界にどんどん人を集めれば、彼らは寂しくなくなる。永遠に。
斬る。
斬って斬って斬りまくる。
その果てに、コウが好きな人しかいない世界を築く。
誰もいなくならない、誰も裏切ったりしない、誰も自分を侮らない。
そんな夢のような世界。
「おおおおお」
歓喜の雄叫びを上げ、コウは虐殺を開始した。
周りの人々を、次から次へとただの血にまみれた肉塊へと変えていく。
刀の中の声もどんどん増えていく。
「もうやめろ、コウ!」
ついに恭介が斬りかかってきた。
二人の刃がぶつかり、三合ほど打ち合う。
「やめないよ、恭ちゃん」
「どうしたんだ、コウ! なんでこんなことを!」
そこへ警官がやってきた。拳銃を構えて、コウと恭介に交互に狙いをつける。
「ふ、二人とも刀を捨てろ! 撃つぞ!」
コウは笑った。
とん、と軽く跳躍する。
一瞬にして警官の脇をすり抜け、拳銃を持った腕を斬り落とした。
「ああ、あ、あああああ!」
バシャバシャと血の噴き出す腕の断面を見て、警官は恐怖の叫びを上げた。
その胴体が斜めに分断された。
後ろに回り込んだコウが、袈裟斬りにしたのだ。
死体の山がホームの上に広がっている。
「恭ちゃん、僕、やっちゃったよ」
コウは笑った。
こんなに大量の人を殺した。自分の精神は彼岸へと行ってしまった。だけど悪いことではない。
むしろいいことだ。
「こんなにたくさん殺しちゃったあ」
「コウ。自首するんだ。罪を償え」
「やだよう、何も悪いことしてないのに」
恭介も刀の世界に招いたらどうなるのだろうか。やはり気持ちいいと思うのだろうか。
そこでコウはある考えに至った。
「そうだ、まず寧々を殺そう」
「なん、だと」
「うんうん、それがいい。ちゃんと寧々から殺してあげないとね」
それから、恭介を殺す。
病気の母も殺す。
みんなみんなみんな、いいことなんてひとつもない、この腐った世界から解放してやるのだ。
「よし決めた。それじゃあ恭ちゃん、また会おうね」
「待て、コウ!」
「待たないよ」
コウは駆け出した。
ずっと暗く沈んでいた自分の人生にやっと光が差してきた。
何をやっても馬鹿にされ、侮られてきた自分が、世界を創る。自分だけの平和な世界。
それはなんて素晴らしいことなのだろう。
※ ※ ※
故郷へ戻ったコウは、先に母のいる病院へと向かった。
フラワーアレンジメントを持って病室に入ると、ちょうど母はベッドに横たわりながら本を読んでいるところだった。
「気分はどう? 母さん」
「大丈夫よ。コウこそどうなの。あんまりお見舞いに来なくていいのよ」
「親孝行くらいさせてよ。いつか家出ていくかもしれないんだし」
「それまでに私が生きていればねえ」
「やめてくれよ、そういう話」
持ってきたフラワーアレンジメントを窓際へと置く。
「あら、ありがとう。本当に、コウは優しいわね」
にっこりと微笑む母の顔は、しかし頬が痩せこけている。
思わずコウは目を逸らした。
母がこのまま死んでゆくのは忍びない。
(母さんも、この刀の世界に入れてあげたい)
魂だけの世界で永遠の幸せを掴んでほしい。
「母さん、また来るね」
コウは手を振って、病室から出た。
力なく手を振る母の姿を見た瞬間、目頭が熱くなった。あんな弱々しい母は見たくない。早くあの苦しみから解放してやりたい。だけど、それはもう少し後にしよう。いまは誰よりも先に殺したい人がいる。
病院から出たコウは、強い意志のこもった目で、道の先を見据える。
目指す場所は決まっている。
寧々の家だ。
神社のある鎮守の森を横目に、橋へと向かって歩いていく。
青年会の連中が、欄干に灯篭を設置している。まだ日は高いが、いまから用意しないと夜には間に合わないのだろう。
今晩から祭が始まる。ちっちゃな頃、三人で一緒に出かけた記憶がある。いつまでも続くと思っていた幸せだった日々。また取り返したい時間。
人は、人生を短いと言う。
失われた時は戻らないと言う。
そんな諦観をコウは抱きたくなかった。
永遠に生きたい。幸せだった時間を取り戻したい。貪欲に全てを求めて何が悪いのか。自然の摂理であろうと抗うのが人間としての正しい姿ではないのか。
死に意味などない。
生きることにこそ意味はある。
だから、死ぬことは悪だ。
いかにして生き続けるか、それを一所懸命考えることこそが正義だ。
コウは袋に包んだ刀をギュッと握り締めた。
誰も理解者たりえない。だが、刀の中の世界に入ってしまえば、みんな同じだ。誰もがコウに感謝し、永遠の生を得られたことに歓喜する。
「僕は、みんなのために……みんなを殺そう」
橋の上で、コウは満面に笑みを浮かべた。
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