妖刀X

逢巳花堂

第1話 恭介

 祭囃子が、橋の向こうにある鎮守の森から聞こえてくる。


 夕闇に包まれるなか、川原の釣り人たちは帰り支度に取りかかっている。あるいはこれから祭りに向かうのかもしれない。


 夏も終わりというこの時期、ひぐらしの鳴き声が澄んだ夕焼け空に響き渡る。


「それで、どうなったの……?」


 寧々がためらいがちに、話の続きを促してきた。


 恭介はかぶりを振った。今でも思い出せる。血塗られた刀を手に、笑顔で突っ立っていたコウの姿を。


「犠牲者は全部で二十三人。俺が見ていないところではもっとかもしれない」

「でも、コウちゃんは悪くは」

「誰がこんな話を信じる? それに、あいつが刀に操られていたと言うのなら」


 恭介は背負っている筒に向かって、あごをしゃくった。


「俺が無事なのは道理に合わない」

「本人の責任だと、言いたいの?」

「少なくとも世間は妖刀の存在なんて信じない」

「私は信じるよ。恭ちゃんに助けられたから」


 子供たちがはしゃぎながら橋を渡っていく。その光景に、恭介はかつての自分たちの姿を重ね合わせた。


 いつも自分と寧々が並んで歩き、コウだけは後から追いかける形でぼんやりとついてくる。それが小学生のときの三人のあり方だった。


 橋を進んで、鎮守の森に近づいてくると、祭囃子の音がより一層大きくなって聞こえてきた。


 かつて三人でよく遊んでいた場所。お祭りにも行った。全ては遠い昔の話。二度とあの楽しかった時間は戻ってこない。


 橋を渡り切ってからの一歩一歩が重い。この先でコウが待っている。殺すと決意したはずなのに、いざその時が近付いてきたとなると、気持ちが揺らいでしまう。


「そう言えば、なんでお前まで、コウに命を狙われたんだ」

「どうしても知りたい?」


 寧々は話すのをためらっていたが、やがて諦めたようにかぶりを振った。


「コウちゃんが中学でいじめられていたの、知ってるでしょ」

「俺は学校違ったからよくわからないが、人づてに聞いた」

「あれ、私のせいなの」

「まさか」


 恭介は失笑した。信じまいと思ったが、寧々の思いつめた表情を見て、少なからず動揺した。


「中学二年になったころ、コウちゃんからラブレターもらった。でも私、付き合ってる人がいた。だから断った。コウちゃんは諦めてくれなかった。私のカレのことを悪く言ったの。それで腹立って、つい、コウちゃんのラブレターを破いた。教室で、みんなの見てる前で……」


 昔からコウは他人に侮られやすいタイプの人間だ。その事件をきっかけに、徐々にいじめへと繋がっていったのかもしれない。


「だから、きっと、コウちゃんは私のことを恨んでいるんだと思う」


 鳥居をくぐって鎮守の森に入り、道の両端に置かれた灯篭を頼りに参道を進んでいく。川の音が聞こえなくなってきた。意外と、鎮守の森は深い。


 境内が見えてきた。祭で賑わっている。


「……いる」


 提灯の明かりで紅く染まった神域の中、すでにコウが待ち構えていた。


 狐の面を斜め掛けにかぶり、着物を着ている姿は、祭りの場には合っているが、どこか異様な雰囲気があった。


「恭ちゃん、お願い。コウちゃんを殺さないで」

「保証はできない」


 提灯に照らされたコウの肌は驚くほど白い。昔から女性的なところがあったが、ますます磨きがかかっている。妖艶ですらある。


「来たんだね、恭ちゃん」


 祭囃子の音に混じって、かろうじて聞き取れる声を発し、それからコウは微笑んだ。


 腰に差している妖刀を抜く。


 真剣のみが放つ禍々しい気が露出する。


 周りを歩いていた人々は驚いてコウの方へ向き直った。


「コウ、ここでは――!」

「さっさと始めよ」


 コウは一切の躊躇なく前へと踏み出し、大上段に妖刀を振り上げてから、渾身の力で恭介に斬りかかった。


「バカヤロウ!」


 恭介は背中の筒を外し、コウの刃を正面から受け止めた。


 筒が砕け――中からもう一振りの妖刀が現れた。


「気は確かか! こんな人が大勢いるところで!」


 恭介は体をさばきながら、横薙ぎに刀を振った。


「当たらないよ」


 胸に迫った刃を、コウは低く屈んでかわすと、体を回転させてからの足刀で思い切り刀身を蹴り上げた。


「うお⁉」


 刀を蹴られた弾みで、恭介の腕は跳ね上がり、胴体ががら空きになる。


 そこへ追い討ちでコウの回転斬りが入った。


「ぐっ」


 間一髪で恭介は後退したが、服は破れ、胸から血が飛び散る。


 斬り合いが始まったことで、周囲の空気は一変した。


 人々が悲鳴を上げる。みな我先にと逃げていく。屋台に激突し、鉄板をひっくり返した中年男性が、火傷を負って絶叫する。ますます混乱は広がる。


「うるさいなあ」


 コウは煩わしそうに呟くと、妖刀を構え直した。


「やめろ、コウ!」


 恭介は怒鳴った。一人も巻き添えを出したくない。


「やだなあ、恭ちゃん。僕は殺人狂じゃないよ」


 コウは肩をすくめた。


「誰でもいいわけじゃないんだ」

「笑わせるな。人の生き死にを決める権利なんてお前にはない」

「あるよ」


 寂しげにコウは微笑んだ。


「あるはずだよ。僕は中学でずっと同じ目に遭ってきた」

「いじめと殺人は違う」

「同じだよ、恭ちゃん。人は心で生きる。心を殺されたら、もう死人として生きるしかない。僕はずっと死んでいる。殺され続けている。同じことさ」

「その復讐で、大量殺人に走ったのか」

「復讐?」


 コウは目を丸くした。


「何言ってるの、恭ちゃん」

「そうだろ! お前をいじめていた連中が憎いから、こうして世間に復讐してるんだろ!」


 静寂が訪れた。


 祭の客たちは皆すでに避難してしまっている。


 遠方からサイレンの音が聞こえてきた。


「なに、それ?」


 心底哀れむような顔で、コウはかぶりを振った。


「がっかりだよ」


 妖刀を構えて、再び臨戦状態になる。


「昔から恭ちゃんはそうだね。とても強い心を持っている。だから――僕のような人種の気持ちなんてわからないんだ!」


 コウは屋台へと飛び込むと、鉄板を蹴り飛ばした。


 熱せられた鉄板が恭介に向かって飛んでくる。


 恭介は刀で鉄板を叩き落とした。


 鈍い金属音が響く。


 その隙に、コウが目の前まで接近してきた。


「ここで死んじゃえば!」


 狂気の声を上げ、恭介の頭に斬りかかった。


 恭介は素早く体勢を立て直し、コウの一撃を正面から受けた。


 刃と刃がぶつかる金属音。


 そのまま鍔迫り合いになる。


 両者ともに体全体で踏み込み、一歩も譲らず、力の限り圧し合う。


 コウは咄嗟に、地面に落ちていた石を蹴り上げた。


 恭介は顎に石を叩きつけられ、痛みに耐えきれず、のけぞりながら後退した。


 そこへコウが飛びかかった。


「負けるかよ!」


 斜め袈裟斬りのコウの斬撃を紙一重でかわし、逆に恭介は刀を斜めに斬り上げた。


 攻撃が当たった。


 コウの胸部はパックリと裂け、血が飛び散る。


「やめて! もうやめてよ、お願いだから!」


 寧々の哀願も、二人の耳には届かない。


 もはやどちらかが死ぬまで、この戦いは終わらない。


 胸を斬られても、コウは怯まない。


 一瞬の隙を突き、恭介の腹部を斬り裂く。


「ぐぶ」


 恭介は血を吐いた。


 致命傷だった。腹はパックリと開き、血とともに内臓が溢れ出る。


「恭ちゃん!」


 寧々が悲鳴を上げた。


「こんなところで……死ねるか……!」


 力の限り恭介は吼えるが、この傷では手遅れだ。


「しつこいな、恭ちゃん。もしかして自分が何かの主人公だと勘違いしてない?」

「お前みたいな、やつが、勝って、いいはずが、ない」

「認めようよ。主客が間違っていた、って」


 コウは恭介の近くへとゆっくり歩み寄り、刀を振り上げた。


「これは僕の物語だ。最後に勝つのは、僕だ」

「違う、勝つのは、俺だ」


 次の瞬間、コウの頸動脈が斬り裂かれ、熱い血が噴き出した。


「……え?」


 恭介の腹部の傷から、煙のような赤い線が伸びている。


 赤い線はコウの頸動脈まで届いていた。


「これが、俺の刀の力、だ」

「傷の、コピー……!」


 さらにコウの首の傷が開いた。


 肉を裂き、骨にまで達し、より激しく血が噴出する。


「あ、は……すご、いや、恭ちゃん……やっぱ……」


 コウは微笑んだが、そのまま力尽きて、崩れ落ちた。


 二度と動くことはなかった。


「恭ちゃん、しっかりして!」


 寧々が駆け寄ってくる。


 片手を上げて寧々を制止した恭介は、最後の力を振り絞って口を開いた。


「しっかり、するのは、お前だ、寧々……なんの、ために、ここへ、来た」

「妖刀を元の場所に戻すため……二人に何かあったら、私が代わりに……」

「役目を、果たせ」


 寧々は泣きながらコウの死体に近寄り、妖刀を回収した。


 次いで、恭介の刀を受け取ろうと、彼のほうへ向き直った。


 恭介にはもう、寧々の顔がよく見えない。


(ああ、想像通り……死ぬのって怖いな)


 虚無が広がっている。そこへ飲み込まれたら、自我は消滅する。覚めることのない眠り。


(だけど俺は満足だ……)


 正しい道を貫き通して生き抜くことができた。だから、自分の人生に悔いはない。


(がんばって、生きろよ……寧々)


 声に出さずに、寧々へとエールを送って。


 恭介は目を閉じた。

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