第2話

 「Mr.ソニック、調子はどうだ」

 AIを起動すると、がらがらとしたおっさんの声がスピーカーから出て狭い宇宙ポッド内に響く。外を望む為のスケルトンフレーム一杯に広がる星雲の煌めきが、その声のせいでチープなゲーム画面の様に感じてしまう。そんなロマンを殺す様な声を出したのは、俺の担当AIであるレームだ。

 俺は、ポッド内で機器を操作しながら答えた。

 「まずまずだ。今日も良い天気だな、宇宙は」

 

 

 「ああ、視界良好。通信状況も問題無い。そいえば、成人おめでとう」

 レームはそう言いながら、今回のミッション内容をポッド内のフレーム全体に映し出した。

 「ありがとう。で、これが今回のミッション?光の浸潤、すごい良い響きだ!」

 俺は笑みで答えた。

 「ああ、伝説の、と言っても過言ではない位の上物ミッションだ。何せ、現象発生の可能性が発表されてから五十年は経ってる。これだけ長い間起きなかった現象は、滅多に無い」

 「五十年前。人間が地上に住めなくなった頃か」

 「ああ。人間が本格的に宇宙の探索を始めた頃だな。様々な概念を集めれば別次元の住人に成れると、人間が信じ始めた頃でもある。安っぽいSFの様な話だと馬鹿にする者も、当時は多かった様だがね」

 レームがそう言って、別次元のイメージをポッド内に映し出す。それは、今まで体験してきた希少な現象だった。

 「SFと現実の違いは、叶えようとする人間がいるかいないかの違いだよ。三次元も今や重力と情報と時間だ。三次元を縦横高さと勘違いしていた頃の人間にしては優秀な推測だったね。最後の軸、奇跡或いは運命といった名を持つ万物理論の計算が完成した景色を見てみたいね」

 俺はそう言って、星達を眺めた。

 「ああ。まったくだ。さながらアダムとイブの、神への面会だな」

 レームはそう言って笑った。

 

 俺は、この星を管理する仕事、衛星現調士が好きだ。

 ポッドに乗って宇宙へ飛び込み、様々な衛星を存続させる為に管理し、或いは人類が生息可能な環境に仕立てる。

 人類は、絶滅の危機から漸く脱しようとしている。AIが予見する希少な新しい現象を研究し、万物理論の精度を上げる事で、この宇宙で奇跡的に生じる出口を見つけ、宇宙からの脱出を図っている。

 新しい現象というものはどれも奇跡的で、刺激的で、いつも予想外の結末を見せてくれる。現象のどれもが紛れもなく真に美しい瞬間の劇だった。呼吸と瞬きが出来なくなる程、感動的なものだった。

 俺は幾度となく、それらを体験してきた。

 そしてその様々な現象が、俺の深く、価値観よりも寛大で考えよりも繊細な、そんな部分に溜まっていくのが分かった。

 それによって、様々な物事の見方が変化していくのだ。感化されていくのだ。この前は、美しさに意味の有無と意志の有無というものがあると思い知らされたりしていた。

 新しい現象というものは、新しい計算式をAIに与え、新しい感性を人間に与える。

 人間とAI、二つが協力し合う事で、宇宙からの脱出という壮大な目的を成し遂げられるのだ。

 自分がその事に貢献出来ている事は、素直に嬉しい事だった。それは、地下で何も出来ずに過ごしていた頃の無力な俺と比較して、出来る事が増えたという喜びでもあったりする。

 

 「ともあれ、そんな伝説の現象をこの目で拝めるなんて正直怖い位だ、運が良過ぎて。光の浸潤、早く見てみたいな!綺麗だと良いなー!」

 俺は今回の希少な現象を想像しながら、更なる感化の機会に喜び、無邪気に心を躍らせた。更には、光の浸潤という名に惚れてしまったりもしていた。

 まるで絶世の美女の様なその名を聞いた瞬間に、心臓は早く動き、恋焦がれた風に体が熱くなっていたのだ。

 

 「浮かれてる所悪いが、今回のは要注意だ。光と名がついてるから、恐らく恒星に纏わる現象だろう。十分気をつけろよ、ソニック。恒星の引力は急に牙を剥く、くれぐれも無茶はするな」

 レームが渋い喉を聞かせてくる。

 「ああ、分かってるよ」

 俺も気を引き締め、トーンを下げて返事をする。

 

 それから丸一日、俺は無数に広がる星達の煌めきを見ながら、光の浸潤への到達を待った。

 

 「ここら辺だな。予測されているのは」

 レームが落ち着いた口調でそう言った。

 俺は辺りを見回す。星達が輝く一面に、何か変わった事が無いかをくまなく探した。

 「ソニック、あれじゃないか?」

 レームのその言葉が聞こえる頃には、俺の眼にその光が到達していた。

 静かに青く光り始める球体、その真ん中から、眩い白光が徐々に強まっていく。

 

 「なんだ、あれ」

 俺はポッドを操作してより近くへと向かう。

 「おいソニック!勝手に近づくな!」

 「ごめんレーム、もう少し近づきたいんだ」

 

 近づくにつれ、青い光の正体が露わとなった。

 青白い不透明な氷の柱達。大きく太い何千もあるその柱が一様に核の部位から放射状に伸び、また一様に等しい長さの所で終わり、そして奇跡的な円を形作る。氷の半透明な地表が円の輪郭として計られた様に滑らかとなって、そして星のいきさつとして露わになっている。

 ポッドがその星の解析を終えていた。氷で出来た星、大きさはポッドの一千万倍だった。

 氷柱の星は、近づく一つの恒星によって照らされている。それによって、不透明な青白さをしっかりと俺に見せてくれていた。

 恒星は小さく、氷柱の星の核程しか無かったが、それでも十分眩い光を発している。

 

 俺は恒星と氷柱の星の双方を良く見える場所へ移動した。

 恒星と氷柱の星が、ゆっくりと近づいていく。

 氷柱の地表は、恒星の熱によってその近い所から融解していった。恒星の二つ分程の大きさまでゆっくりと溶けて穴となり、それはまるで恒星を飲み込む為に口を開けた様なものだった。

 氷柱の星に、何か生理的なものを感じ、その儚く溶ける様が切なくて仕方がないものとなっていた。飲み込んで恒星を早く潰してしまえばいいと、氷柱に想いを寄せたりしていた。

 

 「これは……」

 レームが呟く。

 俺も、レームも、目の前の出来事にある事を確信していた。

 その氷柱の星の中で、未だ輝く恒星が、氷柱の溶け具合の異なりによって不規則な光を外側へ晒す。青や白、はたまた赤を緩やかに変化させながら、氷を経てこちらに向けてくる。氷の揺らぎがとても色味のある柔らかさを表現し、まるで氷の中で女神が神聖な踊りをしてくれている様だった。

 「これが、光の浸潤」

 レームのその言葉が、フレーズが、目の前の壮大な宇宙の瞬きの題を的確に捉えていて、俺は自然と眼を潤ませていた。


 「凄いね、これ」

 言葉が口を突いて出ていた。そして俺は氷の揺らぎに見惚れながら、また一つ呟いた。

 「でも、どこかで見た事がある様な……」

 

 すると、視界の端の方で、ポッドが燃料を噴射しているのが見えた。

 良く見ると、氷柱の星の方へと燃料を噴射している。だが恒星の引力に負けている様で、どんどんと恒星へ近づいている。

 

 「まずい、誰かが引っ張られてる!助けないと!」

 俺はそう叫んで救出に急いで向かった。

 

 「駄目だソニック!あの距離じゃもう救えねえ!お前も恒星に焼かれるぞ!」

 レームの、そんな予想通りの嘆きを聞き流しながら、引っ張られているポッドと星の間に入り込んだ。

 「やめろソニック!死ぬ気か!」

 

 「もし死んだら、そうだったって事にして。死ななかったら、英雄として褒めてくれよ!」

 俺はそう言って、ポッドと恒星双方に向かって燃料を一気に最大出力で噴射した。

 

 俺の乗ったポッドは強い負荷がかかり、壊れそうな音を出しながら強く振動する。照明も消え、レームもシャットダウンしていた。

 危険を伝えるアラートが鳴る。だが、まだ引っ張られ続けている誰かのポッドを見て、俺はとうとうやけくそとなった。

 ポッドの方へ全ての燃料を向けて発射した。

 

 向こうのポッドの噴射も相まってか、勢いよく離れて行く。

 もしくは、俺の背にある恒星がより強く、俺を引っ張り始めたか。

 

 俺は、それならとポッドを反転させて恒星の方を向いた。

 

 まだ恒星を遠くに眺めている感覚の距離ではあったが、恒星の熱は容赦など無かった。恒星を飲み込んだ巨大な氷の星も、その輪郭を脆く散らし始めている。

 氷は解ける間際にちりちりと煌めいて無に帰ってゆく。それを見ている間に段々と、それと同じ煌めきを見せてくれた者の存在が脳裏に蘇った。

 

 それは、炎を纏った母だった。

 母は、己の身を陽に翳して綺麗な煌めきをその身で起こした。ちりちりと音を立てながら、端々を煌めかせて、火を生み出した。しかしその顔に苦悶は無く、安らかに解けていく顔だった。

 先程見た氷の揺らぎも、母の炎の揺らぎと同じだった。

 

 それらを思い出している内に、俺の目の前にある氷の星も、なんだかとても穏やかに消滅を迎えている様に見えてきた。まるでこの時を何億年と待っていたかの様に、散るこの瞬間を慈しむ様にゆっくりと、とてもゆっくりと。

 しかし、氷に見惚れている俺に恒星は容赦などしなかった。気づけば氷の輪郭も見えなくなる程、俺を近くへと引きつけていた。

 凄まじい熱と眩さに耐えられず、俺は目を閉じるしかなかった。その刹那、何か大きな重荷を漸く下せた様な気持ちとなり、額と目の辺りから力が抜けていく。

 気づけば俺は、母を失った時から、自分自身の手でその重荷を担ぎ始めていた。その重荷は、辛くとも生きるという事。

 母の死から逃げ出し、母を殺したという自分からも逃げ出し、どうすれば良いのかも分からなくなった俺は、己に、生きるという選択肢を選ばせた。いや、そうするしか無かった。何故なら母の様に、地下の老人達の様に、暗く何も無い場所での死を強く拒んでしまっていたから。あんな風になりたくないと、強く拒絶したからだ。

 だから、光しかない今ならその選択肢を選び直す事が出来る。その事に気づいてしまった。

 これが多分、安堵というものなのだと知った。母が燃え尽きる前に見せたあの笑顔も、きっとこんな感覚から生み出たものなのだと思った。

 

 自分の両手が自然と広がり、光を受け入れる姿勢になった。

 体は熱く、痛みも出てくる。けれども、それさえどうでも良いと心を静めたままにしたら、それも乗り越えられた。

 

 俺は、間もなく、光に成れる。

 

 俺自身が煌めきというやつに漸く成れる、その瞬間を喜んで俺は迎えていた。すると、何故か母の顔が目の前に浮かんだ。母は、笑顔で首を横に振っていた。

 「ソニック、今日も良い天気ね」

 その言葉が脳裏に蘇る。

 意味の分からなかったその言葉が、まるで絶対に溶けなかった氷が、目の前の灼熱によって俺の頭の中で溶け出したかの様に、頭がそのさらさらとしたもので満たされてゆく。

 母は、病になんか負けなかった、陽にも負けてなかった。母は母の見たい景色を、もぐらでも人間でもない、この世界に一つだけの存在である彼女として見つめていたのだ。そして母の生の中で、母自身が見つめてきたものへの、見つめ方を改めたのだ。陽の下で暮らしていた頃の母で。

 俺は、そんな姿勢を見せつけられていたのだ。生き方の姿勢を。

 対して俺はと言えば、地下の暗さでどうとか、光のある所でどうとか、そんな事ばかりを動機にして人生を消化した。母とは似ても似つかない、華奢で骨の様に貧弱な理由で。

 そして更に、溶けなかった氷が溶け始めた。母の最後の言葉が鮮明になる。

 「ありがとう、ソニック、夢を見せてくれて」

 夢、その響きを思い出して俺は体を震わせていた。火傷で痛み震える腕を動かして、僅かな燃料でも恒星に射出しようとレバーを動かしていた。

 夢。俺は思い出した。

 「ソニックは、大きくなったら何をしたい?」

 「宇宙!宇宙を見てみたい!」

 「そっか!じゃあお母さんが頑張って宇宙に出る仕事をする人になるから、ソニックを連れて行って見せてあげるね!」

 病の母は、それを希望に戦っていたのだ。暗く光も無い地下で幼子と生きる母は、病も暗黒も灼熱も、もろともせずに戦い抜いた。

 母は、俺の夢を希望に、そして俺の夢を守ってくれた。

 強く果敢な姿勢が、俺の礎となっていた。

 だから、俺はその守り抜かれた命という奴を、夢という光を、どんなものにでもくれてやれないのだ。

 その事に気づき、レバーを動かし続ける。燃料はもう無い。

 「負けてたまるか!」

  

 刹那、事が起きた。

 俺は、横から追突してきた何かによってポッドの中で吹き飛ばされていた。

 

 「ちょっとあんた、人の事勝手に助けておいて、英雄気取りで死ぬつもり?馬鹿じゃないの?!」

 ポッドの中に、女の子の怒鳴り声が響く。通信出来ている事を知り、ポッドの回路とレームの無事が分かり、俺は安堵した。

 一体何が起きたかをその子に聞くまでも無く、ポッド内の壁の凹みで事態を把握していた。

 先程助けた子が、今度は俺を助けに来てくれたのだ。 

 

 すると、それを待っていたかの様に、今まで照らしてきた恒星の光が徐々に衰えていく。

 恒星の光が白から赤へ変わり、やがて黒ずんでいく。体への熱も弱々しくなる。恒星をしっかりと見る事も出来る様になる中で、俺は氷の中の光を見守っていた。

 

 恒星は、やがて光を消した。まるで瞳がゆっくりと閉じられた様に、絶えたというより静かに眠った様だった。

 

 「ちょっとあんた、聞いてんの?!」

 

 「あ、ああ、助けてくれてありがとう」

 

 「別に!あんたが死んだらまるで私が殺したみたいになるから嫌だっただけよ!それに!あんたのせいで貴重な光の浸潤がちゃんと見れなかったじゃない!」

 

 「まあ、お嬢ちゃん、その辺で勘弁してやってくれ。それと、うちのソニックを助けてくれて、ありがとうな」

 レームの声を、とても久しぶりに聞けた気がした。そして、緊張が解けていき、なりふり構わず俺は泣いていた。

 

 「ソニック、お前は良くやった。だがな、無茶はするなと言った筈だ。良い事をしてえなら、無茶をせずに出来る様に、もっと心頭を鍛えろ。それが英雄だ。分かったか?」

 

 レームの優しく問いかける様な言い方とその言葉に、情けなく嗚咽しながら頷く。

 

 「あたしはきら。命の恩人の名前として魂に刻みなさい!」

 

 「ああ、分かったよお嬢ちゃん」

 「煌だって今言ったばっかでしょ?!」

 「悪いね、最近声認証の調子が悪くて」

 レームのふざけた具合に、俺は声を出して笑っていた。

 やり切った感で、俺は星達を眺めた。

 目が潤んでいたせいなのか、星の光がとても色とりどりな眩しい煌めきを見せてきた。

 生きていて良かった、俺は生まれて初めてそう思う事が出来た。 

 燃料を使い果たした俺のポッドを、煌が小言を言いながら引き連れて戻ってくれた。

 「さてMr.ソニック、喜べ。実はもう一つ観測出来た現象があるんだ」

 

 「そうなの?」

 

 「煌がお前を助けた時だ。二つのポッドが、消滅間際の恒星の光に照らされ暁色になる。ソニック、そして煌の行動がそれを起こさせたんだ。恒星に焼かれずに、恒星の終わりの煌めきをその身へ存分に受けた奇跡的な現象。名前は暁の心、だそうだ」

 暁の心。その名を口にすると、何故か胸が温かくなった。

 俺は、もう一度煌めきを見上げて言った。

 「ありがとう、大切にするよ」

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暁の心 陽登 燈 @Akari-to-minna

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