混沌トラブルメーカー

たてごと♪

混沌トラブルメーカー

 きっと、忘れはしないだろう。


 ボカロPなんてものをやっていると、ふと作曲依頼が飛び込んでくる事がある。

 何年か前の、ゴールデンウィーク明け。

 『某Twitterツイッター(意地でも「Xエックス」とは呼ばない)』の、ぼくのアカウント。

 こちらへ舞い込んできたDMダイレクトメッセージも、その一つだった。

 〝自作の歌詞があるので、それに曲を付けてほしい〟、そんな依頼である。


 そのときぼくはいったん、断わりの返事を出さざるを得なかった。

 ちょうど抱えていたトラブルがあったからだ。

 とある参加していたグループで、人間関係的に折り合いがつかず……いやトラブルというか、ふつうに暴行を受けた。

 それは警察にまで発展したけれど、最終的にはそのおやさんの取りしで、示談という結果に落ち着いた。

 まあそれはいい、示談なのだからつまり、もう決着したということだ。


 余談になるが、その経験からのアドバイス。

 暴行をうけて負傷に至った際に、それを訴えようとするならば、まずは早急に病院へ行って、事件にするむねを伝えたうえでしんだん書を取ること。

 ちなみに治療費については健康保険が適用されず、かつ支払いが保留となり、のちほどその相手が全額負担することになる。

 無保険だから、当然高い。

 そういう意味でも、安易に人を殴るのは損だと言えるだろう。


 そのあと、暴行事案のおきた場所をしょかつしている警察署へ、駆け込むこと。

 最近の警察官の皆さんは、すごく親切。

 なのだけれど、夜中となると来訪者が少ないのにくわえ、その時間帯に駆け込んでくるという状況までもが加味されて、事態をより急速に動かしてもらえる見込みが強い。

 あらかじめ意図していた事ではないけれど、ぼくがそのようにしたら、実際そのようになった。

 両手で数えきれるか、という刑事さんたちがいっせいにババーッと動き始めたその光景には、感動を禁じ得なかったものである。


 とまあ、なんやかんやで。

 1カ月くらい過ぎたあとの話。

 一度は断わりを入れたその依頼者さんに、〝手がいたけれど、まだ依頼は有効か〟と、確認を入れた。

 それで〝お願いしたい〟と連絡を受けたから、制作に掛かることになる。

 提示された歌詞の最終稿は、こんな感じだ。



     †



こんとんトラブルメーカー』

   作詞:犬神 静香  作曲:たてごと♪


  ぼくのハートだけでは

  この世界は 救えないけど

  君と一つになれば

  この世界は にじ色に笑う


  ああでもない こうでもないと

  うつむくばかりの日々を捨てて

  ぼくとともににじを作り出して行こう


  星が見える夜に

  また迎えに来るから

  きっと


  ダンス ダンス ダンス

  流れ星と踊るように

  奇妙な歌もくちずさむ

  ダンス ダンス ダンス

  世界の上で踊るぼくたちは


  ケイオス

  こんとんトラブルメーカー


  ずっとこうやって居たかった

  だけど

  もう時間は来てしまったようだ


  イタズラに 笑うぼく

  精一杯 手を伸ばす君に

  また会えるから なんて言葉は言えない


  けど約束 君を

  また迎えに来るから

  いつか


  ダンス ダンス ダンス

  泣いている君を横目に

  新しく生まれ変わるよ

  ダンス ダンス ダンス

  にじ色に移り行く世界の上で


  ぼくと君はまた やがてめぐり会う

  ケイオス

  こんとんトラブルメーカー



     †



 ぼくからはあえて解説を控えたい、というか「」が、ひと言だけ感想を述べるとすれば、おもしろい世界観かと思う。


 依頼者である犬神静香さんは、いわゆる「なろう作家」だ。

 同業の他サイトさんの話で恐縮なのだが、『小説家になろう』さんにおいてオリジナル作品を発表しており、200万PVをマークした実績をお持ちの、物書きさんである。

 今回のこの曲は、新作のプロモーションとして用いるのだと言う。

 前途洋々というやつだろうか、それは見ていて小気味のよい姿勢に思えた。


 ところが、しばしのち。

 それはぼくが曲を仕上げ、引き渡して、しばらくってからの事だったのだ。


 ……犬神静香さんの、アカウントがこつぜんと消えたのは。


 『Twitterツイッター』からはもちろん、『小説家になろう』からもだ。

 やり取りはすべて『Twitterツイッター』のDMダイレクトメッセージでやっていたから、彼女の住所と氏名と電話番号どころか、メールアドレスもわからない。

 というか、彼女が実際に女性なのかどうかすら知らないのだが、とにかく連絡手段のいっさいが、突然にそうしつされたわけだ。

 これでは何があったのか、き出すこともできない。


 自分がなにか粗相でもしたか、と疑った。

 とはいえふりかえっても、何をどうしたものかどうなのかすら、見つかるものではなかった。

 なによりぼくだけを理由として、なかなかの人気を博していたはずの『なろう』のアカウント、これまでをもとざす必要性になんか、まったく思い当たらない。

 だからぼくはたぶん原因ではないと、そう思いたいが。


 落ち着いたら読もう。

 そう考えていた、彼女の作品。

 とうとうぼくは目にすることが、できずじまいになっている。


 そこからまたしばらく、今度は体調的なアレでどうにもならなくなって、沈没の時期がおとづれていた。

 もちろん、彼女に何があったのか。

 それが頭から離れることは無かった。



     †



 ところで〝ボカロ〟こと『VOCALOIDボーカロイド™』は、音声の合成によるボ―カルシンセサイザ。

 音符データに仮名を割り振っていくことで、コンピュータに歌を歌わせることができる歌唱ソフトウェアだ。

 ソフトウェアベンダ各社より、多種多様なボイスライブラリが発表されていて、それらには個々キャラクターが割り当てられているもの。

 なかでも『初音ミク™』が有名だ。


 ただ逆を言うと、それ以外のキャラはあまり知られておらず、ぶっちゃけ「VOCALOIDボーカロイド™=初音ミク™」だと思っている人も少なくないらしい。

 でもまあ、世では『トッカータとフーガバッハのアレ』も『新世界よりドヴォルザークのアレ』も「ベートーヴェン」らしいので、まあそんなもんだとは思う。

 何かに対して敬意払ってない人に、敬意払えと言いつけたところで敬意持ってもらえるかというと、ね。

 事をただすことよりも、まずは自分がけんを起こさない方向に注力してかないと、そのまま戦争に至るものだから。


 かん休題、ボイスライブラリには当然ながら、発売日というものがあって。

 これをそのキャラの誕生日と見立てて、〝生誕祭〟と称してその日に何らかの記念投稿をする、みたいな文化もあったりする。

 ちなみにそれが『初音ミク™』なら、生誕祭は「8月31日やさい」だ。

 ネギ持ってるからすぐわかる!(

 以前に一度、そのミク誕に長ったらしいミク曲を作ってたら、なんかうっかり演奏時間が「8分31秒やさい」になった、とかいう作り話じみたアホ話もあったりするが、さておき。

 ぼくは、インターネット社の『kokoneココネ(心響)』のボイスを多用している。

 理由はいろいろ有るが、もっともわかりやすいものを挙げるなら「声質がぼくむ」から。

 その生誕祭が「2月14日バレンタインデー」なのだが、これに合わせて『こんとんトラブルメーカー』のMVミュージックビデオを、投稿してみればどうかと。

 そういう事を、やがておもった。


 それで彼女に、もしかしたら届くかもしれない。

 そう思ったし、あるいは彼女と作品をひとつ作り上げたのだ、という事について証拠を求めたのかもしれない。


 ただこれは勝手にやった事であり、つまり無許可でやった事である。

 いま載せた歌詞についてもそうだが、ふつうに著作権が絡んでくる話であるから、当然よろしくはない。

 全文まるまるであるから、引用にもあたらない。

 ただ、動画化の話はすでに彼女へ出していたもので、色よい返事ももらえていたから、きっとかんべんしてくれる、とも思うのだがどうだろう。

 それに実は、歌詞にもぼくの手が入っていたりして、権利関係はかなりあいまいなままちゅうらりんだったりする。

 そんなでは専門家でも判断に迷うだろうし、ちらりとでも出てきてもらえるならぶっちゃけ訴えられても構わない、みたいな心情でもあったりして。

 もはや、破れれの境地。

 こぶるグレー、良い子がマネをしてはいけないやつだ(



     †



 ともあれ、ボカロ曲というのはふつう、動画化するもの。

 音のみで、目に見える情報が皆無だとだれも寄ってこないから、一般に音楽データ単体でなく、動画というかたちで公開するのだ。

 これは、れいめい期にはことばの発声があまりめいりょうでなく、字幕にたよらない事にはどうしようもない時期があった、という経緯にも起因する。

 そしてこの、ボカロのMVミュージックビデオというものには、イラストがき物。

 無くてもべつに、動画としては成立するだろう。

 ただ投稿サイトでは、みんなしてな演出のものを出してくる。

 大半の視聴者だって動画サイトでは、視聴する動画をサムネイルでもって選んだりしてると思う。

 だからめてイラストくらい無いと、なかなか人の目には留まらない、という面倒な問題がまたあったりするのだ。

 これを無料で描いてくれる人もいるのだが、『Twitterツイッター』をずっとやっていれば自然、いろんな人とつながってくるもの。

 なかにはセミプロのような方も、いらっしゃる。

 なので交流もかねて、ちょうどその時期につながった伊達だてろう(仮)かっこかりさんに、イラスト制作をお願いした。


 セミプロなのだから、もちろん画力は確かなものだけど、もちろん有料である。

 そういった作家さんに依頼をする場合には基本、5けたに届くというくらいの謝礼を考えたほうがいい。

 ここを値切り始めると、価格破壊が起こってイラストレーターを失業させたり、「だれかのために描いたりなんかするものか」のような気運まで、発生させたりするからだ。

 実際、ほうしゅうをめぐってのトラブルは絶えないものだけど、そんな迷惑をポンポン振りくような人はそのうち、総スカンをらうものでもある。

 「ヒューモ・サピエンスヒト」ではなく「人と人の間で生きるものニンゲン」でありたいなら、値切りはダメだ。

 そもそも相場を知らないと依頼すら出せない、みたいな事もあるかと思うので、参考までに。

 ちなみにそれは、作家さん側も当然わかっていることで、この伊達だてろうさんからは仕上がりのレベルに応じた値段のメニューを、サンプル付きで提示してもらえた。

 有りがたい事この上ない。


 ぼくはイラストの依頼を出すとき、先方からどうしてもと要求されない限りは、細かな注文をいっさいけない。

 それをしてしまうと、だれに頼んでも同じような結果になるわけで、それでは作家が複数いる価値もせるからだ。

 そういうわけでお任せに、自由にやってもらったわけだが、上がってきたイラストは素晴らしい出来だった。

 提示された歌詞から、「はかなにじの世界で踊り狂う」という世界観を独自に読み取って、「にじのシャボン玉の遊園地」をモチーフにした一枚絵を仕上げてもらえたのだ。 

 デキる作家さんというのはこういうモノを平然と出してくるのである、ムカツk……ゲフンゲフンありがとうございます(いっけな〜い敬意敬意‼

 動画はぼくが作ったもので、正直これをかしきれてるかわからなくもあるけれど、とにかくMVミュージックビデオは投稿に至った。


 ただそれが、成功と言えたものか。

 そもそも何をもって成功とすればいいのかは、いまだ知らない。



     †



 いやな想像がある。


 思えば彼女のアカウントで発信されていた、のようなもの。

 そんな感じのものが、たしか有った。

 もうそれは消えてしまっているから、記憶にたよるしかないのだけれども。

 〝学校〟。

 〝勉強〟。

 〝親の言いけ〟。

 そんなようなキーワードが、みられたように思うのだ。


 察するに、彼女は高校生で。

 大学受験というものが、おそらく控えていて。

 そのために親から、創作活動を禁じられた……。


 そんな想像を、した。

 いや、はっきりとした事は、わからない。

 ただ現在、彼女の復帰はやはり確認できていない。

 あるいは別の名前で、再出発をした。

 そんな前向きな想像だって、できなくもないのだけれども。


 ……彼女は筆を、し折られてしまったのではないか。


 だとしたらそれは、どうなのだ。


 〝いい大学へ行って、いい会社に〟。

 そんなスタイル……というか宗教が、昔の時代からあったものではあるが、これは現在ではほとんど否定されたも同然、と言っていい。


 まずもって、大学の真髄とは「院」を極めた先にあるもの。

 この「院」とは、発展のために必要な研究機関である一方、ただの「大学」は実質的には、そのための資金源に過ぎなかったりする。

 もちろん、支えているならそれも必要、とは言えはするだろう。

 しかし結局、「院」へ進まないなら「大学」の講義自体は、ほかの事にはあまり転用が利かない内容なのだ。

 専門性の高い知識というのははんよう性を捨てた知識のことなのだから、どうしてもそうなる。

 これは高等教育課程でも同じで、普通の生き方をしていれば三角関数や積分など、世間でわれているとおりに役立てる機会が無い。

 高校以上がのはそれが理由で、仮に必要になるとしても、必要に応じてで間に合う。

 壊滅的な高校成績でありながら、IT技術者として一歩ぬきんでてると職場で評価された上、合格率1割ちょっとの国家資格試験を事前勉強いっさい無しに、熱出した状態で一発合格もぎ取ってきたぼくが言うんだから間違いない(

 だったら大半の、専門家志向でない学生ら生徒らとしては、そんなものは就職への足掛かりとしてしか、用途が無かろう。


 ところが今では、東大生や京大生ですら、ふつうに就職活動で落ちこぼれる始末。

 学歴が本格的に、役に立たなくなってきているのだ。

 これは、合理化合理化という風潮のせいで、人員的なゆうや、実質何も生産しない新人用の仕事などが、企業から奪われまくったせい。

 即戦力でないとやっていけないような状況に、いずれの職場も追いやられてしまって、新卒人材をかつに採用できなくなったわけである。

 昔からアメリカで、日本よりも失業者が多かったのは、とっくにその状態だったからだ。

 もちろん、どんな技能が実際に必要かはその企業しか知らないから、事前に習得しておくには限界がある。

 高校や大学の側だって、職業訓練なんか基本しないわけだから、適応機会をけずりまくるこの体制の何が合理なのかは、ぼくには見当がつかない。

 そうしてよしんば就職果たそうとも、企業の平均寿命。

 これがあまえ、かつては75年ほどとわれていたのが、今では10年から15年ほどまでに落ち込んだ、なんて指摘まで出されているのだ。

 最近の企業は、すぐ死ぬのである。

 これでは苦労に見合わない。


 つまり、「」という可能性のほうが、現状では強いのだ。

 しかも年々、その傾向は勢いを増している。

 ぼくの勤めていた、法的に中小企業にはあたらない規模の、東証いち上場までしていたIT会社だって倒産したんだから、でかい所ですら何も安心はできない。

 ゆえに、これからの人は価値というものを、金銭やら生活水準なんかよりも別のところにいだしていったほうが、圧倒的に豊かに生きれるはずなのだ。


 そもそも、その〝当たり前〟。

 これは経済を強引に回す二大要因、すなわち朝鮮特需とバブルのおかげでウハウハだった、昭和時代。

 そのおかげで、ただがんるだけで報われる、とかいううそか冗談のような約束が、保証されてた異常な時代。

 そんなおめでたい状況でつちかわれた、「歴史的・世界的にみて異常な、現状無視した見込みの甘い常識」に基づくものだ。

 そう、この〝当たり前〟を出してくる人というのは、甘えているのだ。


 そんなくだらない幻のために、だれかの筆は折られると言うのか。

 折ったらそれで、いったい何になると言うのか。

 そんな無益な迫害を、まさか許して当然だと言うのか。


 そして、それに対して、しかしぼくは結局、何もできない。

 何もできない。



     †



 想像の話ではある。

 それでもこの事は、投稿した動画とともに、いつまでもぼくの心の中で、りとして残り続けている。

 きっと、忘れはしないだろう。


 〝移り行く世界の上で〟〝新しく生まれ変わる〟彼女の姿に、まだえれてはいないわけだが。

 それでも彼女のあらわしたそのことばが、まさに現状を体現させることだまであるかのように、思えてならず。

 何度もそれを沿り返しつつ、だから何度も問うのである。


 いま彼女は、息災か。



゠了゠






(為参:ブラッシュアップ版の当該動画)

🎦 https://youtu.be/ZQRMEwPMKIA

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