第19話 羨望


 二曲目【ロマンシングナイト】は妖艶なベースラインが特徴的で官能的な様式美を兼ね備えたヘビーメタルである。

ひとたび譜面に起こせば、旋律のうねりを律動的な重厚サウンドが執拗的で、あたかも身体中を舐められるような感覚を覚える。


その底知れぬテクニックから下半身が無意識的に熱くなる媚薬的な効果さえ感じられることから、彼らの放つ先導的エクスタシーに達してしまうバンギャもいる程だ。


ファンの間では【艶盤えんばん】と親しまれ、孤独にふける際の隠された多目的存在である。

PVプロモーションビデオこそはないが、ファンからの製作オファーがレーベル側に殺到しているのだ。


曲中でのボーカルがマイクスタンドをポールダンスに見立てて、官能的な摩擦を連想させるセクシャルなアジテーションも人気パフォーマンスのひとつだ。


喘ぐ・舐める・噛む・叫ぶ・魅せる・感じる・果てる……。


ボーカルの多岐にわたる扇動的役割は非常に大きい。


その演出から醸成される、極めて凄艶なエロスの色声と色彩。

会場は滑らかな舌触りを感じるように、身体の底から舐められ染め上がっていく。


ふと横目を働かせると、百合ゆりと思わせる絡みがバンギャの隙間から見えたような気がした。


ウソっ、ここ、会場だよ? 公の場でそんなこと……。


彼女たちの開放的になっている仕草を見て、金美は思わず困惑する。


上気していく艶めかしい声音。

汗と蜜とからなるえた厭悪えんおなる臭気。

美醜びしゅうなる果実は極限まで酔いしれようと本能に身を任せ、理性の見えない膜を突き破ろうとしていた。


桂くんと一緒に来なくてよかったかも。


会場の雰囲気に、金美は思い改める心地だった。



  ❇︎



ライブは最終盤を迎えようとしている。


ヘドバンする者、快楽に身を任せる者、この機を見て前列へ向かい出す者、

秩序の乱れた観客席は恐ろしい様相を呈していく。


演者からはカオスのふちが見えていることだろう。



―― こんなライブ初めて見る……



金美は未だ動揺を隠せないでいる。


ヘドバン女子の狂い咲いた頭髪の波が、前からも横からも襲いかかってくる。


まだ後方から押されて倒れそうになるのを必死に抑えて、金美たち三人は何とか態勢を維持している。


異様な熱気に体力が徐々に奪われていく。


最後の曲に差し掛かった時、後部から更に強い力で押されて、金美は繋いでいた手を離してしまう。

誰かの背中の上に乗っている感覚さえあり、上下左右、訳がわからない。



―― 最終章【サクリファイス】の始まりだ。



二曲目とは異なり、音響に暴力的な威圧感を感じる一方で、サビのキャッチーなフレーズがライブの一体感を生んでいく。


観客席の柵に捕まって渾身こんしんのヘドバン。

華々しい頭髪色が不規則な方向へ一定のリズムを刻む。

皆ハイになって頸部けいぶの疲労感・疼痛感など感じなくなっているのだろう。


金美は一瞬、眩暈めまいのような感覚に陥る。

方向感覚がわからない。

音の聞こえる方向がステージであることくらいしか。

まるで富士山の樹海を大勢の人混みに紛れながら、ただ時に身を任せて漂っている異常感覚のように。


混沌とした雰囲気が高まったところでギターソロに突入し、いよいよ最後のクライマックスを迎える。


「サクリファイス! サクリファイス! オーイェー、サクリファイス!」


キャッチーであるが、実にシンプルな歌詞でありながら、ある種の中毒性が秘められている。

金美の耳にアキたちの声が微かに届く。


「金美こっち! 金美こっち! 手ぇ伸ばして! こっち! 手ぇ伸ばして!」


もみくちゃになりながらも声の方向を向くと、エミと繋がっているアキがこちらに手を伸ばして必死に叫んでいる。


金美の前に一体のバンギャが我を失って押され彷徨さまよっているが、すぐに前方から倒れてきたバンギャにすっ飛ばされて姿を消した。



「危ない!」



叫んだアキの方から金美の頭上へと、髪の長いバンギャが一体のしかかって来た。


もはや正気の沙汰ではない。

押し潰されそうになるのをギリギリのところで回避してアキと合流を果たす。


「金美! 大丈夫?」

「こ、こ、このライブ、ヤバい! 皆ゾンビみたいになってる! うわっ!」


前方のバンギャが意識を失って仰向けに倒れかかってきた。

目を見開いたまま、あの世の世界を向いている。


もう誰にも止められない。  

その予感が心中を支配していく。

ライブが終わるまで、サクリファイスが終わるまで、このカオスは続くだろうか。



「サクリファイス! サクリファイス! さぁ、今日の生贄を誰にしようか?」



遠くを眺める仕草でボーカルが左右へ視線を往復させる。

過剰反応するバンギャ。

皆生贄になりたがって我こそはと前進を試みようとする。

悲鳴があちこちから聞こえてくる。


最後の曲がギターのサステインによって終えようとするが、その有り余る残響音が伸びきっては中々消えないでいる。


ボーカルはバイバイの仕草から投げキッスを振りまいて下手に消える。


ベースの金髪が叫ぶ。


「決めたぜ! 今日の生贄チャンは……」


会場からの叫びが続く。



「だぁぁ――れ!!?」



「――キミだぁ!!!」



ベーシストのウテナが右手で指差すと、その先には金美の顔があった。


金美はキョトンとしている。


金美周囲のバンギャは自分の事を指差して猛烈にアピールしている。


ウテナはそれを払うように続ける。


「キミだよ! キミ! ほら、前から三列目! そこの茶髪のセミロング! グレーのカラコン! 可愛いじゃーん!」



金美はまさか自分とは思わず、言葉なく立ち尽くしている。


「うそ! 金美? 金美なの?」


アキは信じられない面持ちで瞳を開く。


「スゴー! マジ奇跡じゃん! やったぁ!」


エミの歓喜も続く。

二人から背中を押された金美の腕は、ステージから伸びたウテナの手に繋がる。


会場から沸き起こる拍手。


ステージ上に引き上げられると、金美は信じられないような面持ちで両手で口を塞いで瞳を大きくした。


観客席からは羨望の眼差しを一身で受ける。

アキもエミもこちらに手を振っている。



――どうして私が?



「キミ、名前は?」


ウテナがマイクを持って訊いてくる。


「か、金美と申します」

「金美! オーケー‼ 今日の生贄は、金美ちゃんに決定だぁ!!!」


ライブ後の清々しい歓声が上がる。金美は赤面する。



「金美! 金美! 金美!」



大声援のコールが続き、ボーカル以外のメンバー三人が金美を中心に手と手とを取り合い両手を上げた。



「ありがとうございました!」



両手を下げて深々と頭を下げる。



割れんばかりの拍手が祝福してライブは閉幕した。



無事に終えたライブであったが、ボーカルが控室からステージへ戻ってくることは、なかった。

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