第15話 アイジ


 金美と別れたのはそれから三十分後のことだった。


さきほどの電話は金美の友人からで、本日十九時からのライブへの誘いだった。

キャンセルでチケットが余ってしまい、それを譲るからライブに参加しようよ、という内容。

残り二枚あるから桂自身も誘われたが、音がうるさいところは嫌う性分で、金美には悪いが断ってしまった。

このあと自宅で父親と将棋の対局の約束をしていることを理由に。


結果、友人二人と金美の三人でライブに参加する運びとなった。


金美はスマートアイズをしばらく慣れるまで使って欲しいとの依頼から、専用の保存液の小さいボトルとレンズケース、充電器とを桂に渡す。


桂は嬉しさの反面、後ろめたさを否めなかったが、金美の気にしていない様子にどこか安心した。

桂は約束の時間に間に合うよう、足早にその場を後にする。



――これでよかったんだ。きっと。



そう胸に思い聞かせ脇目も振らずに帰途に着くつもりだった。


しかし、どうしても解せない。

なぜあんな不良のような奴らが神聖なキャンパスに来ていたのだろう。


先程のスキャンモードで見たレファレンスを参照して、居場所の同定を試みる。

すると、二ブロック先の角を曲がった所に、さっきの馬の骨たちがいるのを突き止めた。


時刻は十四時半過ぎ。尾行開始して十分。

キャンパス内で見た三人がある建物に入っていく。

近づいてみると楽器屋だった。


【OPEN】の看板には十時から二十時の営業時間が書いてある。

【B2スタジオ・ヘルズ】との文字も確認できた。


――地下にスタジオがあるのか。

ここで引き返すのは意に反する。

えぇい、ままよ。銀のドアバーを引き入店する。


カランという乾いた音の後に「いらっしゃい!」と、若い男性の張りのある声がカウンター奥から聞こえてきた。


黒いワイシャツに黒のスラックスの出立ちで、頭はパーマがかかっている茶髪のロングでポニーテール調に結いている。


日焼けしている肌は健康的な印象を与えたが、頬が痩せこけているせいもあり、不釣り合いなコントラストを禁じ得ない。


この男がこのお店の店長であることを、スマートアイズのステータススキャンモードから割り出している。


名前は【レオ】。二十七歳。特技はドラム。


それから……、と調べていると、

階下からギターのフィードバック音の後に、ピックスクラッチからの激しいドラムの入りが空間を切り裂いてきた。


桂は音の衝撃に思わずビクッとしてしまう。

【関係者以外立ち入り禁止】の黄色い札がかかる階下のほうへ顔を向けた。



レオは笑っている。



「アイツら、防音扉を開けっぱでやってやがるな」



唸るベースラインが心臓に突き刺さるほどの重低音を響かせれば、メロディアスなギターアルペジオへと展開される。


桂は聞いたことのない激しい音の集合体に、不協和音としての不快感を抱いたが、それも疾走感に乗せたマイナーコードの哀愁にかき消されていく。


1分程でセッションが終わり、同時に野郎共のふざけた笑い声が聞こえてきた。

桂はこのタイミングで切り出す。


「あの、さっき赤と茶色と金髪の男の人が三人、この店に入って行きませんでしたか?」


するとレオは白い歯を見せ笑いながら答える。


「あぁ、アイツらなら今地下のスタジオで練習しているぜ。さっき聞こえてきた音がそれだ。今日この後【エンブ】でライブ控えているから、軽く打ち合わせするって言って音合わせしているんだろうよ」


桂は奴らがバンドマンだと、この瞬間悟った。


エンブって、ライブハウスの名前のことかなぁ。


「その人たち、ヤバいもの持っていませんでした?」

「ヤバいもの?」

「ナイフとかスタンガンとか、それから……」

「バンドマンにはそういうものが似合うからな。特別不思議でもないよ」

「演奏には必要ないですよ」

「若気の至りさ」


レオは取り合おうとしない。逆にレオが質問してくる。



「ところで君は何か楽器をやっているのかい?」



唐突である。

こんな質問には答える義理はないのだが……。



「何もやっていないです」と馬鹿正直に回答したことに若干後悔の念を抱くことになる。


「そうか、折角の機会だ。何か試奏するか?」

「シソウ?」


桂には試奏の意味がよくわからなかった。レオが解説する。


「試し弾きさ。ギターやベース、ドラムもあるぞ」



――そんな目的で来たのではないのに。桂は慨嘆がいたんした。



「キミ、これなんかどうだ?」


おもむろにギターを一本取り出してみる。


桂は目を見張る。

なんだコレは。こんなギターありか?


レオはボディが将棋の駒の五角形を象ったエレキギターのセキュリティーを解除した後、チューニングをして桂に渡してきた。


桂は生まれて初めて、エレキギターというものに触れた。



思いの外、軽い。



レオにアンプとギターとをディストーションのエフェクターとを挟みジャックで繋いでもらい感触を確かめてみろという。


弾き方がわからないため、適当に弦に触れてみると、ジャーンという歪んだ音が増幅された音量がアンプから発せられる。

結構うるさいと思ったが、周りには誰もいないから余り気にならなかった。


レオは今度は左手で弦を押さえずに軽く触れた状態で右手のピックで掻き鳴らしてみろと催促する。

するとさっきとは全く違うジャキジャキ音に変わった。


「おぉー、スゴイ、何コレ」


好奇心が桂の心をくすぐる。

レオはそれを【ミュート奏法】といい、ロックでは欠かせない弾き方のひとつであることを教えてくれた。


「ギターって初めて触りましたけど、色々な音が出て面白いんですね」

「そりゃあ面白いさ」レオは口角を上げて笑う。

ギターの値札がチラッと見えた。


【将棋の駒ギター 十万円】

高っ! と思ったが、スマートアイズに比べれば安いモノだと不思議に思える。 



――カラン。



レオのいらっしゃいの言葉に「うぃす」と覇気のある返事が聞こえてきた。


イレクトした黒髪の長身の男。

黒の皮パンに黒の革ジャン。

右目には黒の眼帯。


腰からチェーンがベルト通しに繋がれて存在感のある金属音を奏でている。

見た目は少しヴィジュアル系っぽい印象だが、その端正な顔立ちから桂は思わず見惚みとれた。


なんてカッコいい人なんだろう。


無意識的にスキャンするとこの男からは【ノーデンジャー】陽性反応は出なかった。

この男の名は【アイジ】、【身長 百八十五センチ、体重 五十六キロ、痩せ形】のところまで追えたところでアイジが店長のレオに何か聞いている。


「あいつら、もういんの?」

「あぁ、さっきセッション始めたとこだ」


レオは返す。


「そぅ、いーす」


アイジはそう言うと彼の澄んだ瞳が桂を捉える。


「お客さん?」


桂は目を丸くする。察したレオは顛末てんまつを話す。


「あぁ、さっきセッション前に入ってきたんだ。当店開店以来、将棋の駒ギターを最初に手にした客第一号だ。嬉しい悲鳴さ」


「えっ、いや、手に取ったの、あなたですけど……」


「ウケる。てか、不思議なくらい似合っているぜ。そいつには顔がないんだ。将棋の駒のステッカーで好きなのを貼って色々楽しめられるように作られているのさ」


「あー、なるほど。そういう楽しみ方かぁ」


アイジの説明に腑が落ちる。


「ステージに上がったら一番目立つぜ、なぁ?」


レオの気分は上々だ。


「ある意味、ヴィジュアル系だな。ははは」


アイジも屈託のない笑顔で返す。



桂は気にかかっていたことを訊いてみる。


「それにしてもなんでこのギターを選んだんですか?」

「キミの顔に将棋と書いてあったからだよ。この後の予定は大丈夫なのかい?」


レオはさり気なくサラッと答えては訊いてきた。



桂はハッとした。



「ヤバい! 父ちゃんと将棋の約束していたんだった!」

「マジか! はっはっはっ! じゃあこんなところでギター弾いている場合じゃないな」

「桂、将棋頑張れよ!」アイジの言葉が桂の背中を押す。

「ありがとう」


桂はギターを返してから急いで家に向かおうとした。



しかし、その道中、桂は不可思議な気持ちになった。



なんであの人、オレの名前を知っていたんだろう。



てか、どこかで見受けているような気がする。



それともうひとつ。



あの人の眼帯の下、赤く光っていたような……。

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