第14話 翼のない天使


 天使は飛翔する。


その白い両翼をはためかせ、大空を舞う。


その腕の中に傷だらけの少年を抱えながら遠い場所へと運んでいく。


黄昏に染まる天使。


誰の手も届かない場所へと、翼を休めながら飛んでいく。


本島を離れ、小さな島に辿り着く。


誰もいない緑の中でそっと降り立ち、翼で少年を優しく包む。


天使は微笑む。あどけない少女のまま。


少年は見つめている。いたいけな瞳で。


ふたりの距離は次第になくなり


重なる想いに光は


ふたりを優しく溶かしていく。



  ❇︎



 瞼の裏にやわらかい光を感じる。

宙空より白く美しい人影が舞い降りてきたように見える。



――誰?



優しい瞳で見つめる。



「おはよう。桂くん」



その笑顔は桂の視界に光のように溢れている。

今にも溢れそうな笑みで包みこんでいる。


「天使か」


眩い光に溶けていく。


「おはよう。起きてますかー?」


現実なのか。夢なのか。俺は生きているのか?


「おーい」


――覚醒。


ふたりの瞳は視界ギリギリのところで像を結ぶ。

慌てるように桂は身を起こす。


しばらくしてきょとんとした金美の顔を見て、それから、頬を少し赤らめてからまた遠くを見る。



「――天使か……」



木漏れ日の揺れる空間に、刹那に舞い降りて光にきえる。


「天使? 桂くん、天使が見えたの?」

「天使が、見えた。翼のはえた天使」


「本当に、天使が見えたの?」


桂は金美の顔を見て破顔して答える。



「キミが翼の無い天使で、よかった」






「桂くん」


はにかんだ彼の笑顔は可愛くて何だか清々しかった。


翼の無い天使がいいってどういうことなんだろう。

よくわからないけど、桂くん、大丈夫かなぁ。


しばらく遠い目をしていた桂に金美は笑わなかった。

彼の紫紺の瞳には確かな光を宿していたからだ。


彼の眼に何が映って見えたのだろう。

噂の予知夢なのだろうか。


足元の地中深くで微かにうごめく赤い何かを予感したが、金美は気にしないことにした。


現実に戻った桂の意識は丘の向こうに雄大に構える【聖棋大附属病院】の建物に向いていた。

大学と病院とが連絡通路で繋がっている。


この大学を卒業して医師国家試験をパスしたら、あの病院で働くのかなぁ。

金美の将来をぼやけた頭で整理してみたが上手くいかなかった。



金美が話題を切り出す。



「あのね、桂くんをここへ連れてきたのには理由が二つあるの」

「理由?」


「うん、以前も伝えた事あるけど、念のためスマートアイズの簡単な使い方を確認したかったからなんだぁ」


桂はレンズを装用していることを忘れていた。


「今はレンズ起動していないから何ともないと思うんだけど、使う時には五回連続で瞬きするんだよ。こうやって」


高速で瞬きをする金美。

グレーのディファインを選んだ金美の瞳が一瞬鈍色に光ったように見える。


桂も見様見真似でやってみる。



――スマートアイズ、起動しました。



脳内に流れる無機質なアナウンス音。

耳に聞こえたわけではなく脳内チップ・センサーと連動し、脳内で知覚したと感じる。


「止める時は目を閉じて五秒間維持」


桂はスマートアイズの稼働・停止を繰り返し、やり方を身に覚え込ませている。


「メガネタイプのスマートグラスみたいにスイッチがあるわけではないから、電源オン・オフには瞬きによる微弱刺激を与える必要があるの。機能は多岐に亘るから、まずはスマートグラスにはない機能から紹介するわ。超基本のステータス・スキャン機能はマスターしてね。脳内イメージで選択すると視野の範囲内における動体・静止体のプロパティが表示されるようになるの」


「おぉーっ! スゴイ」


金美の身体に合わせてステータス・スキャンを実行すると、年齢・体重・BMIをはじめ、様々な指標が速やかに表示される。


「まぁ、相手が桂くんだから言ってしまうけど、変態には堪らない機能よ」

「んー、たしかに」


桂は金美のステータス一覧からスリーサイズを割り出し少しニヤけた。

金美は桂くんならやるだろうなって愛想笑いした。


「次はデンジャースキャン。一言で言えば危険物のチェック。相手が危険なモノを隠し持っていたりしたら知らせてくれるの。もしもの時に使うといいわ。盗聴だったり、盗撮だったり、そのような物騒なモノにも敏感に反応してくれるの。様々なシーンで護身的な働きをしてくれるからイザという時に助けてくれるわ」


「護身用ですか、出来ることなら使いたくないですけど」


「丁度よかった。あそこ、あそこを歩いている赤髪の男子見て。懐にナイフ持ってる」


金美は約五十メートル先の三時の方向へ歩いている男子学生を指差して桂にスキャンを促す。

桂の脳内に【Danger危険】の赤文字がアラーム仕立てで発生し危険物の詳細を示す。


刃渡り五センチのバタフライナイフ。

映像が3D仕様で回り始め、細部まで見通せる。

桂は思わず舌を巻く。


「コレ、スゴいですね。スマートグラス超えてますよ」


「うん、きっと使う時が来ると思うよ。それと大事な機能がもう一つ。ユースキャン。お互いの位置情報を共有できるの。ストーカーには堪らないわね」


「これ市場に出回ったら犯罪多発しますね」


「こんなに多機能を一点集中すると悪事を働かせる輩が必然的に現れるわ。ディープ・レッド社が独自で開発したスマートアイズなんだけど、社会的・倫理的問題に直面していて中々実用化できないのが現状なの。正しい目的で使うためには越えなければならないハードルが依然高くて、最近では闇市で高値で売買されている代物よ」


「いくらくらいで売買されているんですか?」


「少なく見積もって五百万」


桂は思わず大きくした目で金美の瞳を見る。


ディファインのグレーの虹彩が瞳を一際際立たせている。


「それが左右それぞれあるから両目で一千万」

「うおぉーっ、高っけぇー」


「それだけの価値があるのよ。あ、電話だ。ちょっと待ってて」


金美が桂に背を向けて話し込んでいる。


桂はさっきデンジャースキャンした赤髪が金髪と茶髪の男とつるんでいるのを見つけた。


仲間か? と思い、再度スキャンを試みると全てに陽性反応が出た。

ナイフにライター、34G注射器、そして小型のスタンガン……。


「なんだ、アイツら。ここの学生じゃなさそうだな」


吐き捨てるように独り言を空に切らして金美を振り返る。


金美の話し声がまだ続いている。

話が終わっていないようだが、この時、桂は一抹の不安を抱いていた。



木陰の形が伸びてきている。



不意に振り仰ぐように空を眺めてみた。



さっきまでの晴天に陰りが見え始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る