第10話 トラウマ  ★

 魔性の瞳に捉われ、思考が破壊される。


理性が希薄していく。



―― 抗え、抗え、抗え……!



女は髪を振り払うようにタイトスーツを脱ぎ出した。

華奢な両肩、つやめく鎖骨、誘うデコルテ。

上半身の黒皮の下から現れたのは、嫣然えんぜんとしてみだらで甘美たる人間の裸体だった。


あろうことか、私はしばらくその身体に見惚れた。

その表情はさぞ闇堕やみおちに似ていたことだろう。

魔香が蘇る。


「あっはは、そのようだと初めてのようね。坊やにはちょっと刺激が強すぎるかしら?」


―― 抗い、抗い、抗いたく、ない……


目を固く閉じて歯を食いしばる。

俺は目の前のAIに完全に支配されつつある。


心が、身体が……

今という現実が、そして未来が……


「うっふふ、私の魔香ジャヌラを吸ったら最後。理性が壊れて本能のまま脳が暴走を始めるの。そう、さっきあなたが感じたように」


「お兄ちゃん! そんな女の言いなりになんてならないで!」


妹は組み敷かれた身体を渾身の力で振り解こうともがいている。


「うぅあぁ―――っっっ」


男は尚も取り押さえていると、女に訊く。


「俺ぁ、もう我慢できねぇ。始めていいか?」

「好きにしなさい。但し、殺しちゃダメよ。その子はダイヤモンドよりも価値のある宝石の原石なんだから」


「わかってるって」


男の表情は猥雑わいざつを帯び、下卑げひた笑い声がほころぶ口元から漏れると、汚言へと移ろうと舌舐めずりする。


「オマエ、処女なんだろ? 守り続けた純潔を奪ってやろうか?」


「や、やめろ!」


私は抵抗したが、女はすかさず私の口元を手で押さえてきた。

そこから高濃度の麝香を肺へと流し込まれる。


「うぐっ」


わたしは再び理性と本能との渦巻く相剋そうこくさいなむ。


「私だけを見て」


魔性の女は一糸纏わぬ姿となった。

その艶冶えんやな容姿は二十代前半を思わせる、張りのある血色の良い肌と、典雅てんがなる重力Gと言う名の果実。

その自然の力に逆らうことなく、蠱惑的こわくてきな曲線は女が動くたびに執拗なまでに私の本能をしゃぶり尽くす。


瞳が強烈に焼き付いていく。


最低限の前戯を終えるように、手早な欲情は私の貞操をもてあそぶ。

たおやかな四肢は繰り返される上気なる蹂躙じゅうりんにぶるんとたわんだ。


馬乗りの夢魔むまのように。

これ見よがしに見せつけて悦にいる。


中心に位置する二つのつぼみは上下に複雑で猥褻わいせつな軌跡を描きつつ、最後の一つまで意識を持った生暖かいひだの動きと連動する。



軋む音と快楽の喘ぎ。

高まる感度に芽吹いて、花ひらき、狂い咲く。



妹は絶句した。

雷光がその女の猛る壮絶美を、皮肉にも光と影のコントラストとして、灼熱の如く脳裏を焦がしていく。


稲妻に呼応し、部屋全体がまるで取り憑かれた悪霊の如く震撼しんかんする。

それは凄絶せいぜつなる躍動美と艶絶えんぜつで無情なる叫びとがブレンドされ、夢魔の春画の一枚として描かれていくアトリエのようだった。


男は妹の着衣を強引に引き剥がし、舐めるように陵辱りょうじょくしていく。


「まだ幼いのに育ちがいいじゃねぇか、中々の上玉だ」


妹は必死に堪えている。

声を押し殺して。


ふたつの影は形を変えながら淫靡いんびに重なる。

私はそれを見て感じたことのない美しい恐怖に打ち震えた。

妹が人間ではない得体の知れないAIに泣きながら犯されていく。


「お、お願い。やめて、やめて、やめて、ください……」


妹は懇願している。

しかし、男の動きはエスカレートしていく。


「感度が高まってきているな、いい感じだ。今なら最高の気分を味わえるぞ」


男はサーチアイで妹のステータスをスキャンし、高まり続けるリビドーレベルを最高潮に近いところで愚行を意図して止めた。


私は今にも達しそうだった。


女は随時私のボルテージレベルを監視下に置きながらコントロールしている。

寸止めと言えば伝わりやすいだろうか。


わだかまりを残す不完全な快を共有したのち、女は私からつながる糸が切れるように離れると、雅な所作で妹を指差した。


「今のは準備運動。これからが本番よ」


妹の方を向いて女は顎をしゃくる。

今度は妹と性行為をしろと示唆している。


「な、何をバカな。そんなこと、できるわけ、ない」


震えながら発した怯え声は、恐怖に張り付いたように掠れていた。

裸の女は私の首の後ろ側を鷲掴みし、私の頭部を妹の胸元に押し付けた。


そして、女の右手は私の頚部を離れたかと思うと、今度は指先が鋭利なナイフに変異し、私の首元に当てがってきた。

雷光に反射する不気味な秩序に、冷たい刃物があざ笑う。


「できるわよ、ね?」


不気味に光る、赤い双眸。

全身が粟立ち、本能が、命が、戦慄する。


できないなら殺す、その意思表示だった。

言葉はなくとも、妹と私は瞬時にそれを悟った。


私は妹の裸に視線を落とした。


羞恥の至り。

涙に沈む妹は恥ずかしそうに恥部をそれぞれ腕で隠している。


雷の落ちる音が、せき立てるように脅し、妹の美体をこれ見よがしに、妖しく光らせる。



―― 死にたくない。



私の顔はそう訴えるように見えただろうか。

涙と鼻水とで歪められた惨めな顔だっただろうか。



「お兄ちゃん……」



妹は、泣き顔に恐怖と羞恥を宿しながら、私の命を気遣っている。

それらがない混ぜになった表情で口元を震わせていた。


私は妹の身体の上に四つん這いになって、しばらく見つめ合った。


ふると、ここぞとばかりに、妹からもあの魔香が薫ってくる。

私から発せられる残り香を共有し、妹にもそれが伝わったような気がした。


女はナイフを解く。


妹は依然泣いていたが、その涙の色が変わっていく。

どこか、恐怖とも悲嘆とも取れない、ある種の妖しさをまとって。


妹は少し安堵したのか、目元と口元とが、少し綻んだ。


――それは雷鳴に隠れた香魔が降り立つ瞬間だった。



そして艶然と微笑む。










「お兄ちゃん……」










「―― シよ……」

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