第8話 逃げられない  ★

 妹は抵抗しなかった。


なぜ? こんなことして、まさか、妹も?


そんなことはないと、

そんなはずはないと、

理性を取り戻そうとするも、

私の身体は目の前の欲望の塊からは逃れられなかった。


首筋を吐息で愛撫する。


「お、お兄ちゃん。あぅ……」



―― その時だった……






妹の右肩にかけた顎先からの視線、無意識のうちに前方へ這わしていた。

すると、眼前の薄闇の中で妹が黒づくめの男に両腕を後ろへ回されていた。


猿ぐつわを嚙まされているのか、苦悶くもんのくぐもった声が時折漏れている。


妹の目元は隠されていなかった。


これ見よがしにとも言わんばかりに。



妹は泣いていた。



えっ、妹が二人?



私は混乱した。


私が触れているのが、妹で、 目の前で泣いている少女は妹じゃない別人?



「お兄ちゃん、気は済んだ?」



――声色が変わった?


それは妹の声ではなかった。

無感情で電子的で、かつ虚偽的な声質だった。



――稲光。



私は思考停止に陥った。


どうなっている? 俺が抱いているのは妹ではないというのか?



その証拠に――



突如としてその女は首を真後ろへ回転させ、

おぞましい半狂乱の面持ちと赤い両目で笑う。


「欲求不満ないやらしいお兄ちゃんだねぇ、うっふっふっ」


「ひぃっ」


私は思わず飛び退いた。玄関のタイルの上に受け身なしで尻もちする。


一見、女の首の骨が折れている。

その衝撃は、臀部でんぶから走り抜ける疼痛を、いとも簡単に吹き飛ばした。



「私の身体で興奮しちゃって、ウフッ、カワイイ……」



女の身体が一瞬、宙空に浮いたかと思うと、胴体部分のみが機械的に回転し、頚部でのねじれが解消し整合する。


私の欲望がズボンを突き破ろうと、尚も隆起をやめない。

痛いくらいに膨れ上がっていく。


囚われの妹は、悲しみに憐れみが重なるように、激しく眉根を寄せている。

沸き起こる羞恥心が、恐怖を色濃く上塗りしていく。


「よく出来ているでしょう? 妹さんにそっくりだったかしら?」


妹の模倣体は両手で胸を中央に寄せる仕草をしてから、腰部を執拗しつようにくねらせる。

かつて時代を彷彿させた、シャネルの五番のように。


次第に本来の姿へとグラデーションを帯びながら変化していく。

冷淡な顔つきが現れると、満を辞して艶然と微笑む。


小さな顔に細い眉、その下に佇む怜悧れいりな双眸。

その美しい蛾眉がびは切れ長の瞳をより一層強調する。


ウェーブの効いたセミロングに小顔が包まれて大人の色気を醸し出す。

細いウエスト、突き出た胸、華奢きゃしゃな肩へと流れるような優美な線。


極めて妖艶な体躯たいくを目の当たりにした私の視線は、恍惚として舐め上げていた。

タイトなレザースーツに身を包んでいる女体の躯幹四肢が、まるで1本の曲線美で繋がっているようだ。


ポルノ映画などで出てきそうな妖姿なる媚態びたいがそこにはあった。


私は泣きたくなった。

こんな恥ずかしいことを妹の目の前でさらし続けていたなんて。


妹の涙の色が変わった気がした。

悲しみの色に怒りが滲んでいたように見て取れた。


私は女をにらみつけた。



「お前は誰だ」


「ウッフフ、誰でもイイでしょう?」



女はおどけてみせる。


「俺たちをどうするつもりだ?」


「ちょっと私たちと遊びましょうよ。人間たちと遊ぶの、久しぶりなのよ」


――人間たち? 不可解な言葉に一瞬戸惑う。


妹は背後の男から強引に振り解いた手で口元のかせを外す。


「お兄ちゃん! コイツら、人間じゃない! さっきのAIだよ! ここまでつけてきたんだ!」


―― ハッ!!!


目が覚めた。


そうだ、さっきは透明で姿が見えなかったから分からなかったのか。


悪夢が蘇る。


男の両目も悍ましい赤色に光っている。



「どうしてここが……」


「どうしてって、調べればすぐに分かることよ。あなたたちの居場所くらいね」




私は絶望した。



考えが甘かった。

甘過ぎた。



AIはもはや、人智を超えた存在。



そんな奴らから逃げるなんて、ハナから無理だったんだ。



暗澹たる諦めの境地が、胸中を支配していく。



「でもよく自宅まで帰れたわね、褒めてあげるわ」



私は震えていた。
















もう、おしまいだ。











自宅を特定されている以上、


もうどこへ逃げても、


どこまで逃げても、逃げ切れない。






せっかくここまで逃げ帰ったのに。
























殺される。










男は笑っている。



そして赤い瞳の女は一呼吸のあと、鷹揚おうようと告げる。



「ウッフフ。言ったでしょう? 私たちからは逃げられない」

















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