第7話 邪魅の吐息  ★

「ご武運を……」


はじめはその意味がわからなかったが、別れの挨拶の一種だろうと、勝手に解釈した。


Xiは後部ドアノブに突き刺さっていたスマート電磁パルスナイフを解除し、私に渡すと、運転席に滑り込んだ。


音もなく走り出す黒い車。方角的に元の場所へ向かっていく。

AIの残した車体への銃痕が、恐怖の痛みを代弁している。

私たちは言葉なく、その場に立ち尽くし、行く末の景色に消えるまで見送った。


死という恐怖から救ってくれた二人の顔が、今では頼もしく思えた。

妹と手をつなぎ、心の中でお礼を言った。


周囲の様子を観察する。

スマートアイズでデンジャースキャンを実行したが、反応はなかった。



――異常なし、追手はいない。



振り仰げば、鉛色の空から薄闇が降りていた。


ゴロゴロと、遠雷が聞こえてくる。

西の方角だろうか、時折、空が鈍い黄色を放って唸り声を上げる。


叢雲むらくもの隙間からの稲光。

雨が近いと感じた。


安堵感に満たされつつある。

妹とコンビニに入り、トイレへ向かう。

極度の緊張感から解放されて、強い尿意を感じたためだ。

妹も同じだったのか、駆け足でついてくる。


長いこと緊張状態だったため尿意が生理的に抑えられ、今の今まで我慢できたのか、ある意味で怪我の功名だ。

用を済ませ、簡単な食べ物や飲み物を買おうとしたが、家に着けばそれなりにあることを思い出し、思いとどまった。


自宅はここから歩いて二分の距離。

傘を買う必要もないだろう。

走れば数十秒だ。


私たちは自宅まで無事に帰還した。

途中、紆余曲折はあったものの、今までの時間が何十時間という長きにわたる幻のように感じられた。


街灯の明かりが闇の深さを強調し、小雨の存在を細かい透明な線で描いている。

閑静な住宅街の一角にある庭付きの戸建て、そこが私たちの自宅だ。


あまり広くはないが、四人家族で過ごすにはちょうど良いと今更ながらに思えてくる。


表札の明かりはセンサーでついていたが、家の中は暗かった。

両親はまだ帰っていないのか、と少し落胆しつつ、私は自宅のチャイムを鳴らした。


こだまする、か細いリピート音。

暗闇に溶けていくようにフェードアウトしていく。



――反応がない。



どうしてまだ戻っていないのか、携帯の着信もなく、電話も繋がらない。

帰りにしては遅い、もう夜の七時を過ぎている。

私は舌打ちした。



―― 雨音が聞こえ始めた。



それは次第に雨足を強め、闇の音として誇張するかのように、牙を剥き始める。



仕方なく家の鍵で玄関に入る。

中は暗澹あんたんとしていて、高い湿気にむせ返る心地だった。


雨の音が感覚の隙間を詰め尽くすように、激しさを増しながら耳朶じだを打ち続けている。

少しして雨音が小さくなった代わりに、室内の闇は深みを増した。



妹がドアを閉めたのだ。



「あ、ごめん、お兄ちゃん。暗くなっちゃった」

「いや、大丈夫。今明かりをつける」


妹も疲れているのだろうと、心の中で労った。

極度の疲労感が足元を襲うように、膝の力が抜けるようだった。


電気をつけようと感覚で伸ばした左手の指。

しかし、スイッチに届く前に上がりかまちつまずき、前方に派手に倒れ込んでしまう。


床に打ちつけた身体の一部に鈍い痛みが走る。


くっ……。


「お兄ちゃん、大丈夫?」


自宅なのに、慣れた場所なのに、まだ先程の恐怖が私の心身を深くむしばんでいるというのか。


嘲笑あざわらう雨音。

叫び散らす雷鳴。


私は苛立ちながらも呼吸を整えると、痛みが身に沈むように鈍磨どんまを覚える。



「大丈夫だ」



妹が私の袖を後ろからつまんでいる。

振り向いた私は暗闇で妹の顔がよく見えない。

ドアが閉まっているから余計に暗いのか、目がまだ暗闇に慣れていない。


それに構わず私は、正面から妹を抱き締めた。



「無事でよかった」


「う、うん」



妹もそれを返すように両手を伸ばして背中へ回す。



嬉しかった。



妹の耳の後ろ側に顔が位置していたのか、

その時、凄く心地よい香りが鼻腔をかすめる。



なんだ? このかおりは? 香水?



経験のない多幸感を呼ぶその麝香じゃこうは、まるで麻薬のようだった。

全身にうずく痛みと、恐怖で塗り潰された残留思念とを最後の一滴まで掻き消した。



私は不思議な感覚に包まれた。



兄妹なのに抱き締め合うなんて、妙に恥ずかしかったし、少しぎこちなかった。


それだけ恐怖から解放された疲弊心は大きかったのだろう。


芳烈ほうれつ暗香あんこうに任せていると、私は無意識のうちに抱き締めている腕に力を込めていた。


「い、痛い、強いよ、お兄ちゃん」


「ご、ごめん」


少しだけ緩くする代わりに妹の頭に手を回した。


サラサラとした髪質。手櫛てぐしが無抵抗に通っていく。


二人だけの空間。


暗中の視界は皆無に近く、それでいて妹の妙に色気のある艶声つやごえに背徳的な高揚感を覚える。



愛おしい、そして狂おしいまでの欲情。



底知れぬ支配欲が湧き起こる。



私は我慢できなくなり、気づけば妹の唇を埋めていた。



――んっ……。



柔らかい唇。

上気する感情。


私の心臓は燃えるように早鐘を打っていた。


息が出来なくなるほど求めてしまう。

目の前の妹を兄妹としてではなく、一人の女として。



なんだ、どうしてしまったんだ、俺は。

こんなこと。


私は何とか途切れそうな理性を保ち、唇を離した。




その時、 理性の砕け散る音が聞こえた。




それは震え上がるほど美しい破壊音とともに、脳内の奥底を恍惚こうこつに染め上げる。

この上ない耽美たんびとして響きわたる、その残響が、眠っていた欲情を覚醒させる。


本能が暴走を始める。


暗闇を盾にして、抗い難い性欲がとめどなく溢れ出す。



「――ごめん……」



最後の理性の言葉が口元を離れると、私は妹の背後から両腕を回して抱き締めた。


そして、服の上から柔らかな双丘そうきゅう掌中しょうちゅうに収めていた。


「あっ」


妹はビクッと震え、少し身を捩る。


小さな快楽が鼓動と共に次第に膨れ上がるのを感じる。


てのひらから脳天へと駆け上がると、反射的に秘部への血流が猛烈な勢いで増していく。


同時に官能の扉が闇の中で勢いよく開け放たれると、無意識に口角を吊り上げた。



「はぁ、はぁ……」



呼吸が荒くなる。



目の奥が熱い。局部がたける。


「お兄ちゃん……んっ」

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