花びらメロディ

イエスあいこす

花びらメロディ

「こいつ、まだ動くかな」

引っ越しのための片付けの最中。押し入れの奥から、いつか彼女に貰ったオルゴールを取り出した。

埃を被った、前時代的なネジ式のもの。

試しに回してみると、メロディが流れ出す。音質は新式のプレーヤーには遠く及ばない酷いものだ。

……そうなのだけれど。

「……あーあ。言っときゃ良かった」

女々しいやつだとは思うが、俺は未だに彼女を忘れられずにいるらしい。

俺は回顧する。三年前のあの頃、淡く辛く、儚い初恋のことを、回顧する。



……………



彼女との出会いは運命的でもロマンチックでもなんでもなかった。単なる友人の友人で、互いに顔と名前は一致する程度の繋がり。ふとした機会に話して、あるアーティストの話で意気投合して、連絡を取り合うようになった。

『新曲どうだった?』

『最高だった!』

みたいな、何気ないやり取り。アーティストの話から話題は色々と広がり、時間を忘れるほどに楽しくて。

自然に、気がつくと恋に落ちていたような。いつから恋に落ちたのか自分でも不明瞭になるみたいな感覚をよく覚えている。

ある春、俺の誕生日。都会の会場でそのミュージシャンがライブをすると知り、二人で行くことになった。駅までの道には公園があって、そこの桜並木は名物と言われている。

その日の桜並木は本当に美しくて。

……いや、本当は何に見惚れていたのか曖昧なのだけれど。

とにかく、美しかったんだ。

そこを歩いている時、彼女が不意に何かを手渡してきた。その時の何かが、今メロディを流しているオルゴールだ。

後から知ったことだが、これは手作りのものだった。

それを渡した後、彼女は

「あのね」

と俺に耳打ちをしようとして、耳に口を近づけてから少し間を空けて

「わっ!」

と大声を出した。何かを期待したのが馬鹿らしくなってちょっと腹が立った。

彼女が期待通りのことを言おうとしていたのかを今の俺が知る術はないが、その時俺が言いたくて言えなかったことは今でも鮮明に覚えているし、多分いつまでも忘れはしないだろう。

その後盛り上がり疲れたはずの俺たちは、帰宅後眠ることもなくライブの感想を互いに電話で共有しあって夜を明かした。

そしてその翌日、彼女は亡くなった。

事故だった。その日のことは、ある少しを除いてよく覚えていない。

多分茫然自失としていたと思う。

そんな中、俺はあの桜並木に立っていた。満開の花びらがはらりと散る。

ひとひら掴もうと手を伸ばすが、風に吹かれて掴めない。

その横を、ゆっくりと一台の車が通りすぎた。

霊柩車だ。

何となく察した。きっとそこには彼女の遺体が乗せられている。

「待って」

嗚咽のように出た一言。しかし聞こえるはずもなく、無情に車は過ぎていく。

膝から崩れ落ちた俺は、多分ぼろぼろに泣いていたと思う。ぼろぼろに泣いて、更なる嗚咽が溢れ返った。

「好きだ……好きなんだ……」

言えなかった言葉が風に吹かれて飛んでいく。さっきとはまた違った風向きだった。地に落ちる花びらに俺の涙が混じる。

……今更、意味はないのに。

後日、俺は導かれるように近所の墓地に向かった。この地域で亡くなった人は、大体この墓地に埋葬される。俺の予想は的中し、彼女の名前が刻まれた墓石を見つけた。

「………………」

言葉が出ない。何かを発そうとすると、首を強く絞められたような痛みを何故か感じた。けれど絞り出した一言は

「ありがとう」

だった。そして俺は逃げるように踵を返す。この世にいないとはいえ、彼女の前で俺はどうも億劫になってしまうらしい。

その後、俺は彼女に貰ったオルゴールを押し入れの奥へとしまった。

思い出したくなかったのだろうけど、捨てる踏ん切りもつかなかったんだろう。

そうして今まで、思い出と共に埃を被っていた。

けれど埃を払えばオルゴールも思い出も苦しいほど綺麗に残っていて、どうにも言葉にしがたい気持ちになる。

ふと、オルゴールの音が止まった。

「……」

何も言わない、言えない。結局のところ、俺の悲しみと弱さを掘り返すだけの回顧だった。意味なんてなかった。

そう思っていると、俺はこの蓋が開くことに気がつく。そして、その裏には小さな紙が挟まっていた。

そこには一言、こう書かれてあった。


『好き』


……数日後、俺は彼女の墓へと赴き、一言述べて去っていった。

奇しくもあの桜並木は満開で、また薄桃色の花びらが舞っていた。

ひとひら掴もうと手を伸ばせば、俺の右手には確かに一枚の花びらがあった。

きっと、それには意味があった。

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