桜 (ローバの充日 第31話より)

@88chama

第31話  桜 

 私の住むマンションの目と鼻の先に、区立の大きな公園がある。野球場や屋内外のプールもある公園には、子供達が交通ルールを学びながら自転車やゴーカートなどが走るコースもあり、蒸気機関車や消防車、電車、船なども置かれている。沢山の木や草花は四季折々に見事な花を咲かせてくれるし、夏には子供達が大喜びして遊ぶ人口の川が流れ、高く吹き上がる噴水の傍で涼みながら、音楽を聴いたり読書したりするにとてもいい場所となる。


 こんなにも近くに絶好の散歩コースがあるというのに、この私ときたら日がな一日、PCの前に座りっぱなしで動こうとしない。桜便りが聞かれる頃になると、今年こそは咲き始めから満開まで眺めて、最後は花吹雪の中を歩こうか、などと考えたりもするが、考えているうちにすっかり葉桜となってしまうのが毎年のことだ。


 そんな私だがよく考えてみると、我家は桜には不思議と縁があったなぁと思える。今から三十五年ほど前に夫が家を建てたのだが、その家の向かいにはその地域一帯で多くの土地や借家を所有する地主さんの、まるでお寺と間違えてしまいそうな佇まいの立派な家があり、門の横には樹齢何十年かの大きな桜の木があった。


 工事が始まって鉄骨の柱が組み立てられる日、私達夫婦は桜の木の下に立ち、その作業をじっと見守った。バブルがそろそろ弾けそうになった頃だったが、会社の経営は順調だったし、親会社は大企業だったから、銀行に多額の融資を勧められるまま、大きな家が出来上がった。その五年ほど前に義父の病気を機に後を継いだ夫は、工場も大きくし当時先端を行く機械も何台か入れて仕事に精を出した。頑張れば頑張ったなりに成果が表れるのが嬉しかった夫は過労になり、それが元でなった突発性難聴で片耳の聴力を失った。


 そんな夫の苦労の結晶のような三階までそびえる鉄骨の柱は、まるで天にも届きそうに感じられた。夫も感慨深い気持ちで見上げていたことだろう。家が建ち始めたこの時から、この桜の大木には我が家の暮らしぶりを、ずっと見続けられることとなった。


 大きな樹は春に沢山の花を咲かせると、真っ青の空の色と薄いピンクの色との取り合わせは何とも言えない美しさで、まるで四月のカレンダーの写真にしたいようであった。その見事な姿は通りすがりの何人もの足を止めたし、立派なカメラを担いだ人がよく撮影したりもしていた。


 新築を祝って訪れる客も、先ずは家全体を眺めると必ず、まるで家との取り合わせかのように桜の木を眺めて、春にはここで花見ができるねえと、この景色を喜んでくれた。次男が中学入学の日にも、この桜の木との記念撮影は、校門横の桜よりも先であった。


 夫のゼミ担当だった教授が、大勢の学生達を連れて立ち寄った際、皆は立派な桜の木を眺め感激していた。中小企業論で結構名の知れていた教授は、我が家を指さしながら、零細企業の主の努力の証だ、今後も励んでこの木のようになれよと大いに喜んでくれ、急遽三十人の賑やかな宴会が始まった。


 もう四十年近くも前のことになるが、夫は町内の仲間達と洒落で落語研究会を作ったことがある。最初は落語は口実で単なる飲み会のようなものだったが、いつしか本格的に活動するようになって地域に知られてくると、地元のケーブルテレビや民放のテレビ番組で紹介されることにもなり、テレビ局のスタッフ達も我が家にやって来て撮影が始まった。


 そのスタッフさん達も我が家に入る前に、向かいの桜の見事さに驚いた。満開の季節だったらきっと映像に取り入れられたかも知れない。子供達の友達が来たり、親戚中が集まって新年を祝ったりと、我が家はいつも賑やかだった。


 のんびり暮らす私の姿を見ていた桜の木だったが、二十年近く過ぎた頃から、次第に変化しだして来た我が家の様子を見せられるようになった。それは義母や義妹が同居したり、認知症の進んでいく義母の様子だったりで、最後の頃には訪問客が、返済を迫る銀行員や裁判所の職員達となって、ついには競売が決まった家から、慌ただしく越して行く住人の様子を眺めることとなった。


 横浜の実家や工場や多くの機械など、義父や夫の全ての苦労の証がさっぱりと無くなってしまった我ら一行は、大慌てで探し当てた新居に落ち着いた。物に溢れていた住まいの処分は大変な作業で、引っ越し当日も積み残りの荷物を夜遅くまで運ぶ有り様だったから、長い付き合いだった桜に別れの挨拶も忘れてしまった。


 長男と義妹は其々で住み、我ら夫婦と義母と次男で新生活が始まって、落ち着く間もないある日、子供連れの娘も同居することとなった。定員オーバーで住宅事情は酷いものになったが、認知症の義母の手助けにもなってもらえたし、孫との毎日は辛い事情を忘れさせてくれるものになった。


 余分な部屋が幾つもあったのに、今ではひしめき合って暮らしている、そう思うことは前の家への心残りかとも思えるが、実はスーパーや病院は近くに幾つもあるし、駅にも近いこの住まいの生活の方がずっと気に入っている。不満が出ないのは衣食住や物に対して、あまり欲のない性格のお蔭かもと感謝している。


 認知症が進みだした義母や孫の世話に忙しく過ぎていた時に、ふと向かいのお宅の桜に目が止まった。それまでは大きなお宅の庭を取り囲む木々の中に、二階程の高さから柳のような枝が垂れ下がっている、という位の気でしかなかったが、綺麗に咲いた花を見て枝垂桜だとわかった。


 急変した生活リズムに合わせるのに精いっぱいだったから、大好きな目の前の花にも気がつかなかったようだ。喜んで義母に教えたが義母も以前の花の大好きな義母とは遠い人になっていた。私は寂しく一人で、毎年この見事な満開の枝垂桜を楽しんだ。


 転居から十年の間には義母が亡くなり、夫がガンを患い私の心臓が故障がちになりと色々あった最中に、マンション建て替えの為に、現在の住まいへ引っ越しとなった。今度は住まいの真ん前ではないが、それでも桜は直ぐ近くの公園で満開の美しい姿を見せてくれている。


 今はもう八重桜が見ごろになっている頃だ。黄色い桜を初めて見たのもここの公園だったが、そろそろ満開になっているだろうか。そういえばこの桜と同じ名のお酒があったなぁ、とぼんやり考えながら、三十五年もの桜との縁を懐かしんだローバの一日でありました。

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