『revenge on the monkey』(『猿蟹合戦』)

獅子鍋

短編

 ネット番組「真剣! 料理魂」の収録会場では、数名の撮影スタッフがキッチン設備と食材の最終チェックを行っていた。

 第1回、しかも、ネットによる生放送という事で、スタッフの表情や声は真剣だった。背景セットから少し離れた椅子に座っている、コックコート姿の若い女性だけが、周囲の喧騒の中、動かないでいる。

 女性は、小刻みに震える自分の体を落ち着かせようと、腹式呼吸を繰り返していた。空気を吸うたびに、〝朱果渋美〟と書かれたネームプレートがゆっくりと上下する。

「打ち合わせ通りにやればいいから」

 いつの間にか横に来ていた若いプロデューサーの言葉に、渋美は震える手を抑えながら頷く。

「審査員の方々が入ります!」

 撮影スタッフの大声と共に、3人の審査員が長テーブルに着席するのを、朱果渋美は両目を大きく開いて、目で追った。

「確認作業、完了しました!」

 厨房チェックをしていたスタッフが、足早に撮影機材の後方へ移動すると、入れ替わるように司会の中年男性がカメラの前に立った。

 プロデューサーがスタッフに頷き、撮影開始の合図をする。司会者は満面の笑みを作り、大声でタイトルコールと趣旨の説明を始めた。

「真剣!料理魂は、才能ある新人シェフが審査員と味で勝負をする番組です。審査員三名から合計で25点以上獲得すれば、殿堂入りになります。ただ得点が15点以下の場合は失格となり、料理人を引退して頂きます!」

 ガヤのスタッフが、同情する様な声を上げる

「しかし、引退になったシェフは審査員を一名、番組から退場にできます」

 スタッフが驚きの声を上げた。

「審査員の先生は、辛口の審査をすると自分も番組から追い出される危険があります。でも甘い評価ばかりだと、審査員としての沽券に関わりますよね。正に真剣勝負です」

 司会者の興奮した言葉を聞きながら、朱果渋美は目を細める。

「それでは、審査員の方の紹介に移ります!」

 カメラが動き、長テーブルに座る3名に向いた。

「化粧品会社・ビーネの社長 八尾花子さん」

ワンピース姿の美しい女性が、笑顔でカメラにお辞儀をする。

「洋菓子店カスターニャの店長・鬼皮シバさん」

 痩せた神経質そうな男性が、無表情に会釈する。

「現職の国会議員で政界の美食家と言われる、猿山勝先生」

 スーツ姿の短髪の中年男性が、笑顔で手を振る。

「そして、三名の審査員に挑戦する新人シェフを紹介します!」

 朱果渋美は椅子から立ち上がると、ゆっくりと司会者の元へ歩き出した。

「ご紹介します。女性シェフの超新星、朱果渋美さんです!」

 拍手の中、司会者の隣に立った朱果渋美が、深々とお辞儀をする。それから、型通りの自己紹介と意気込みを話すと、朱果渋美はキッチンへゆっくりと移動し、少し俯いて目を閉じた。

「制限時間は15分です。それでは料理を始めてください!」

 司会者の言葉に、朱果渋美は目を開けると、はじかれた様に動き出す。撮影スタッフが朱果渋美の後を追い、司会者が一挙手一投足を解説し始めた。


 料理開始から10分が経過し、朱果渋美は白い皿への盛り付けを行う。司会者は三名の審査員に代わる代わる、感想を尋ねて行った。

「いよいよ完成の様です。待ち遠しいですね」

 八尾花子社長が、少し興奮した様に感想を口にする。

「緊張しているのかな。手際が悪い所が目に付きました」

 鬼皮シバ店長が、無表情に告げる。

「女性の更なる社会進出の為にも、頑張って貰いたいですね」

 猿山勝先生が、笑顔で司会者に話す。

「先生は選挙も近いですから、好感度アップの為にも、優しく採点されるのではないですか?」

 司会者の思いがけない質問に、猿山勝先生は真顔になるが、直ぐに笑って審査は公平にしますよと言った。

 その後、15分の経過のタイマーが鳴り、朱果渋美は手を止める。キッチン台の上には三皿分の料理が完成していた。

「いよいよ審査員の方々の実食です。採点が低い場合、渋美シェフは料理人を引退しなければなりません。真剣勝負です!」

 スタッフが配膳をする中、渋美が司会者に料理の説明をする。

「柿と蟹とアボカドのミルフィーユ仕立てです。ほぐした蟹の身とアボガド、柿の果肉が三層になっています。その上にハニービネガーのソースと刻んだ栗の実を振り掛けました」

「通常、柿ではなくトマトを使う料理のはずでは?」

 司会者からの質問に渋美は微笑み、同意する。

「はい。でも私は柿に思い入れがあり、トマトの代わりに使用しました。この柿は審 査員の猿山先生の関連会社の果樹園で採れた物を使用しています」

 渋美の言葉に猿山は驚き、次いで笑顔になった。

「先生、これはポイントが高いのではないですか」

「うちの柿を選んで貰うなんて嬉しいですね」

 少し場が和んだ後、審査員による実食が開始された。


 料理を口に運んだ猿山は、舌に広がる味に戸惑いを見せた。

 蟹の旨味に柿が全く合っていない。ハニービネガーのソースも栗の実の食感も味わいがあるが、全てにおいて柿の味が邪魔をしている。しかし、自身に関係がある柿が使われている手前、酷評は出来ない。もし、低評価をしてシェフが引退になれば、女性の社会支援のアピールの為、この番組に出た意味も無くなる。

 困った猿山は二人の審査員を横目で見るが、更に困惑する事になった。

 八尾花子社長は、泣きながら料理を食べている。終始、無表情だった鬼皮シバ店長も、目頭を抑えながら料理を味わっていた。異様な光景に猿山は自分の味の評価に疑問が出てきた。自分は不味いと思っていたが、実は美味いのかもしれない。

 猿山は当初の予定通り高得点を出す事にした。

「各審査員の持ち点は10点です。それでは審査員の方、採点の札を上げてください!」

 司会者の声に、審査員は一斉にフリップボードを掲げる。

「猿山先生、10点」

「八尾社長、1点」

「鬼皮店長、1点」

「合計12点という事で、残念ながら朱果渋美シェフは引退となります!」

「え!?」

 驚きの声を上げたのは猿山だった。渋美は特に取り乱す様子は無い。

「それでは朱果渋美さん、退場させる審査員1名をお願いします」

 司会者に促され、渋美は落ち着いた表情で頷いた。

「猿山先生の退場をお願いします」

「え!?」

 二度目の驚きと共に、猿山は事態が吞み込めなくなる。高得点を出した自分がなぜ追放になるのか。

「理由を聞かせてください」

 動揺を隠しながら、猿山が渋美に尋ねる。渋美はキッチンに残った柿を手に取ると猿山の方へ向けた。

「こんな不味い柿を作っている猿山先生が許せないので退場にしました」

「なんだと!」

 生放送という事を忘れて猿山が怒鳴り声を上げる。猿山がスタッフに抗議しようとすると、他の審査員が口を挟んだ。

「確かに柿は不味かったわ」

「酷いものだった。こんな物を使った料理に10点も出す人の気がしれない」

 八尾社長と、鬼皮店長の予想外の言葉に猿山は真っ青になる。

「あんた達も、泣きながら食べてたじゃないか!」

 猿山が、喰ってかかるも二人は表情を変えない。

「泣いたのは蜂蜜の味が懐かしかったからよ。私の家は養蜂場をやっていたから。猿山先生の地上げに絡まれて潰れてしまったけどね」

「僕も栗農家だった両親を思い出しただけだ。猿山に脅されて農家は廃業になったが……」

 二人の言葉に猿山が絶句していると、渋美もゆっくりと話し始めた。

「私の両親も可児農園という柿農家でした。でも、猿山先生の口車に乗ってしまい全て取られてしまいました。甘い話に乗ったのは両親の落ち度です。でも思い入れのある柿の味が落ちてしまった事は許せませんでした。猿山先生、退場してください」

「どうなってるんだ! 石臼プロデューサー!」

 猿山は渋美を無視して撮影側に向かって怒鳴った。

「なんで私が退場しなければならない。出ていくのは失礼なこいつらだろう!」

 呼ばれた石臼プロデューサーは申し訳無さそうに、猿山に頭を下げる。

「おっしゃる通りです。先生が退場する必要はありません」

 猿山はプロデューサーの言葉受けて、渋美達を蔑む様に睨んだ。

 その背後に向かって、プロデューサーの石臼が補足をした。

「もうすぐ収賄の容疑で先生を逮捕しに警察が来ますので、退場はその時にお願いします」

「え!?」

 愕然とする猿山を見詰めながら、石臼が話を続ける。

「この番組は猿山先生の被害者に向けた企画です。因みに私も先生に買収された製粉会社の息子です。裁判前に思い出してほしかったのです」

 遠くから、サイレンの音が聞こえてくる。

床に座り込む猿山の姿を見ながら、渋美は来週の石臼との結婚式の事を思い、笑みを浮かべた。


おわり

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『revenge on the monkey』(『猿蟹合戦』) 獅子鍋 @inosisinonaka

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