第4話

またあの子に会えるかもしれない。

朝の散歩は、くっきりとした輪郭の目的を持つと日々の欠かせない日課になった。彼女に会えても、会えなくても、朝霧のかかる田んぼや連なる山々を見ながらの散歩は僕の疲れ切った心を温めた。


 アーリアが持っていた様な草刈り鎌を、近くのホームセンターで購入し、叔父の古民家の納屋に置かせてもらった。

 山間部は昼間こそ温度が上昇するものの、朝晩は一気に冷え込むこともある。毎朝、薄手のジャケットを羽織り、叔父の古民家に着くとそれを脱いで納屋のテーブルに置いた。早速、草刈りを始める。季節は七月。温暖化の影響か草の伸びは早く、毎朝通ってってもやる事は尽きなかった。無心で草をむしっている時間が僕にとっての朝の至福の時間になっていた。


僕とアーリアは四つほど年が離れていた。何一つ共通点は無かったが、不思議とすぐ、簡単に打ち解けることができた。彼女の敬語が普通語になり、僕が彼女をアーリアさん、では無くアーリア、と呼ぶまでそう時間はかからなかった。

古民家の漆喰の壁の前でほうきで草を集めている姿は、純粋な日本人に見えたし、僕が英語が少し話せると分かってからは、英語と日本語を織り交ぜて話すことが多かった。


 アーリアは、日本人特有の「何となく空気を読む」ということを小さいころから身に着けた様だった。休憩の雑談中、「とりあえず東京の会社を休んでいるんだ。」、と、さりげなく伝えると、「へー、そうなんだ。」と顔をほころばせるだけでそれ以上は何も聞いてこなかったのだ。ほっとする反面、打ち明けるタイミングを失った僕は、何となくどこかで彼女と自分の気持ちを共有したいと思う様にもなっていた。


「ねぇ、結さん。この素敵な古民家、空見さんが戻ってくることは無いのかしら。」

 アーリアは刈草を燃やす為の焚火を棒で突きながら、二階建ての家屋を見上げた。

「そうだね。。。おじさんの年齢を考えるとね。。。息子さんも新しいお家を買ったしね。」

「そう。。。かわいそうね、このお家も。大正時代からずっとここの方が住んでいたんでしょう。」

 お家が可哀そう、か。僕が抱いた事の無い発想だった。


 アーリアは本当に寂しそうな表情をして家屋を見上げると、ぱっと僕の方を振り返った。何かいいことを思いついた、という顔だ。

「結太郎さんが住めばいいんじゃないかしら?」

「えっ。」

 彼女の言葉に僕はふいに胸を突かれた。

「東京の暮らしは合って無い気がするって言っていたでしょう?」

「まぁ。。。そうだけど。。。」

「いいじゃない。きっとこのお家、すごく喜ぶと思うわ。」

「主人公はお家なんだ。」

「家ってね、人が住まなくなるとすぐに分かるんだって。あっと言う間に廃墟になってしまうわ。ねぇ、どう?ここも車があれば長野市内の企業に通えるし。会社が東京でもリモートワークという働き方があるでしょう。」

 アーリアはしばらく時間をかけて、僕にこの日本家屋に移り住むように説得を始めた。今まで僕には見せたことのない高揚感にあふれた赤い頬で話を続ける彼女の顔をしばらくみつめていたくて、僕はしっかりと相槌を打ちながら彼女の話に耳を傾けた。


 東京の会社を辞めて、この地に移り住む。今の会社でリモートワークで勤めを続ける。

 テレビの特集では聞いた事がある話だ。

 現実味が有る選択肢では無かったが、その後も必死に説得を続ける真剣な彼女の話を聞くうちに、不思議と「意外にありかもしれない。」、という気にさせられてくる。

焦げた色の土壁と瓦屋根を交互に見上げた。

 「文化財保護の観点からもいいわよ。」

 アーリアは自信ありげな笑みを見せている。

 彼女の言う通りかもしれない。

 そろそろ今後のことも考えていかなくてはならない。僕は黙って何度か頷いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

坂の上の古民家 美琴 @MikotoT

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ