流猫群の夜
楂古聿
第1話
朝っぱらからなんだか外が騒がしいと思ったんだ。
まだ半開きの目を無理やり開けながらカーテンの隙間に手を差し込んで覗くと、斜向かいの薄田さん家の窓辺で、網戸に爪を立てるチャコと目が合った。
首輪の小さい鈴を揺らしながら、しきりに赤茶の交じった黒毛の、小さな前足を動かしている。
チャコの手に釘付けにされていたら、机の上で盛大にアラームが鳴ったから、制服に着替えてリビングに朝ごはんを食べに降りた。
リビングへ行くと、母さんが忙しそうに行ったり来たりしている。どうやら、騒がしいのは外だけの話じゃ無いらしい。
4枚切り食パンのトーストを食べていたら、お天気お姉さんの明るい声と入れ替わりに、テレビから耳慣れない単語が聞こえてきた。
「本日はサビ猫流猫群の極大日ですね。」
「今日は天気も良いですから、綺麗に見られそうですね。」
右手のトーストから、塗りすぎたマーマレードジャムのかたまりがボタッと落ちた。
ちょっと待って。なんだよ、サビ猫流猫群って。
白猫流猫群とか、三毛猫流猫群なら毎年聞くけれど、サビ猫流猫群なんて初めて聞いたぞ。
「サビ猫のなんて何年ぶりだろう、珍しい。楽しみね。」
猫好きな母さんはテレビを覗き込むと、楽しそうに鼻歌を歌いながら洗濯物を干しに行った。
どうやらサビ猫流猫群てやつは、いつも陽気な母さんが更にご機嫌になるほどに、楽しみなものらしい。
通学カバンを背負って家を出ると、玄関のひだまりで猫が伸びをしていた。一瞬、こちらを見たと思ったけれど、猫は僕を無視してゴロンと寝転がり、日向ぼっこを始めてしまった。
確かに、今日みたいな天気のいい日は、めいっぱい陽の光を浴びたくなるのかもしれない。
そう思って視線を上に向けたら、鼻がムズムズしてクシャミが出た。それに、直射日光に目が焼かれた。朝イチから幸先が悪い。
目を擦りながら歩いていると、猫がニャーニャーいいながら足元スレスレをすり抜けていく。
本当に、猫っていう奴らは、とことん愛くるしい生き物だ。
立ち止まって猫に時間を使いたい気持ちと、始業時間までに登校しないといけない義務を天秤にかけて、後ろ髪引かれながら歩き出した。
その後も、田んぼのあぜ道や酒屋の交差点の近くで、ぐでんと寝ていたり、数匹でじゃれ合ったりしている猫たちに遭遇した。
全部チャコと同じ色の毛の猫。太った猫や子猫もいるけれど、全部が同じ模様なんて、珍しいこともあるもんだ。
学校に着いて机に教科書を入れている時も、トイレに行った時もみんなサビ猫流猫群の話をしている。しまいには、朝学活の時には先生まで話題に出していた。
「今日のサビ猫流猫群は6年ぶりだぞ。今日を逃したら次は5年半後らしい。」
なるほど、前回は小学生の時だったから覚えていないのか。
流猫群の見頃は、だいたいいつも夜も深けたような時間だけれど、小さい頃はそんな時間にはもう寝ていたんだもの。
白猫やトラ猫なんかの大きい流猫群だと、暮れてきたら見られるようなのもあるけれど。
もっとも、そんなに見慣れた流猫群だと、ニュースで取り上げられたりもしないし、わざわざ見ようと準備するようなことも無い。
数年に1回しか見られないサビ猫流猫群だからこそ、こんなに大事になっているんだ。
今日は一日中そこかしこでサビ猫流猫群の話題で溢れている。普段は飼い犬の自慢をしている犬派の斎藤さんですら、目を輝かせて話に加わっている。
「サビ猫流猫群楽しみね。」
「見逃さないように、帰ったらお風呂済ましちゃったほうがいいかな。」
「あーあ、今日の部活早く終われたらいいね。」
まるで、お祭が平日にかち合ってしまった日みたいだ。
窓際の席で、机に突っ伏しながら教室のざわめきに心が浮き足立った。
珍しいのはわかったのだけど、それでもどうしてみんなが、そんなに特別楽しみにしているのかがわからなかった。
その疑問は、給食の時間の放送で解決した。サビ猫流猫群は、見られると願い事が叶うらしい。みんなが、躍起になって見ようとしていることに合点がいった。
「一番の見頃は23時頃だが、明日も登校日なので早く寝るように。」
なんて、先生が終学活で言ってはいたけれど、何人が言うことをきくのだろうか。
せっかくなら僕も見てみたいな。
願いが叶うなんて非科学的なこと、にわかには信じ難いけれど、珍しいものなら見てみたいじゃないか。
宿題も夕飯も風呂も早々に終わらせて、時計を見ると21時過ぎ。見頃まではまだ少し時間がある。
スマホの検索窓で、サビ猫と入れて検索してみた。
実のところ、僕はサビ猫がいったいどんな猫か知らなかった。
だって、三毛猫なんかはそこら中にたくさんいるけれど、サビ猫なんて聞いたことが無かったんだもの。朝のニュースで初めて聞いたくらいだ。
検索結果に表示されたのは、斜向かいのチャコと同じ模様の猫たちだった。
チャコが今朝やたら騒がしかったのは、そういうわけでだったのか。
納得して、スマホを閉じて外を見下ろした。
薄田さん家の網戸は半分開いていて、チャコの姿は見えなかった。
家の前の道には、もうチラホラと猫が走り始めていた。
そのままボーッと眺めていると、真夜中が近づくにつれて、だんだんと走り去っていく猫が増えてきた。
少し欠けた月明かりと、点いたり消えたりしている街頭に照らされて浮かび上がるのは、流れる猫たちの群れ。
もれなく全部、黒と赤の混じった毛のサビ猫たち。
この街のどこに、こんなにもたくさんのサビ猫がいたんだろう。
家の前の道が、瞬く間にふわふわの毛玉で埋め尽くされて、まるでひとつの大きな塊みたいにみえた。
あの中に立ったら、足元を掬われて流されてしまいそうだ。
元気にどこかへ向かって走っていく猫たちの中に、チャコが楽しそうに走っているのが見えた。
いいな、猫って生き物はやっぱりかわいいな。
あの中に混じって、さらふわの胸に顔を埋めて控えめに吸い込んだり、顎の下を撫でてグルグル気持ちよさそうに喉を鳴らしてくれたりしたら。くるんと丸まったしっぽをするりと腕に絡ませてくれたり、小さなおでこを足に擦りながらじゃれついてくれたりしたら。それってもう、天国じゃないだろうか。
ぼうっと流猫群に見入っていて、気が付いたら日付が変わっていた。
さすがに寝ないとまずいから、カーテンを閉めて布団に潜った。
翌朝のニュースで取り上げられていたんだけど、猫は年に数回、異常に活発化して走り回る時期があって、それを流猫群と呼んでいるんだって。猫の種類によって活発化の周期が違っていて、白猫は年に2回、キジトラだと2年に1回とか。それがサビ猫は、一番周期が長くて、5年に1回有るか無いかくらいで珍しいから、見られたらとても幸運というところから、願いが叶うなんて噂があるみたい。
そんなことを、ニュースキャスターがニコニコしながら伝えていた。
学校でも、2日連続で話の種になっていた。やれ好きな人と両思いだの、やれ部活のレギュラー入りだのって。窓際の席でウトウトしていると、色んな声が耳に届いた。
ところで僕の願いごとが叶ったかっていうと、外に出る度に必ず猫が擦り寄ってくるし、爪を立てて体に仕切りに登ろうとしてくるようになったから、きっと叶ってしまったんだろう。
願ったつもりはなかったんだけれど、神様は聞き届けてくれたみたいだ。
だけど勘弁して欲しい。僕は猫アレルギーなんだ。
流猫群の夜 楂古聿 @sacoichi_
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