第1話 一人の少女❶

 十二月八日、日曜日、その日の空は、普段より透き通っていて、とても青かった。

 

「あの子可哀想かわいそうね……なぎ君だっけ?」


「そうね。両親に続いて妹まで……」


 妹の紗由莉さゆりが亡くなってから、今日で一週間。僕の心は、冷め切ったままだ。


 この一週間、生きる為の意味を探し続けている。しかし、考えれば考えるほど、僕の心の熱は、冷めていく。


「なんで……僕だけ……」


 弱々しいささやきの中、大粒の涙がこぼれ落ちて止まらない。苦しい、辛い、そんな思いが僕の心を強くむしばむ。


「紗由莉を……妹を返して……」


 無意味だと分かっている。それでも、僕は強く願い続けた。


 ひとりぼっちの朝食。パチパチとソーセージの焼ける音が静かな空間に響く。いつも一緒だった妹の姿は、もうそこには無い。朝食を終え、僕はなんとなく家を出た。


 まぶしく街を照らす太陽。そんな、優しいの光を受けても、僕の心は閉ざされたままだ。


「寒い……」


 白くにごった息と共にそんな言葉が、僕の口からこぼれ落ちた。

 いつもの公園の角を曲がり、車の通りが悪く、ひとけの少ない、いつもの交差点が見えてきた。

 信号が赤になっていることにも気づかず、僕は道路を横断し始めた。

(キィィー)、車のブレーキ音が街に響く。と同時に、僕は後ろから、勢いよく体を引っ張られた。


「大丈夫か、君!」


 突然の出来事だった。そこには、肩に茶色いカバンをかけ、少しゆったりしたパーカーに、グレーのスカートをき、首にヘッドホンをかけた少女がいた。


「君……聞いているのか?」


 少し強めな口調で彼女は言う。


「ぁぁぁ……えっ…」


 いきなりの出来事に僕は声が出なかった。


「君、ちょっと来て」


「え……ちょっ…」


 彼女は、僕の手首を強く掴み、そのまま走り出した。黒く長い髪をなびかせ、息を荒立てながら走る彼女。その姿は、夜空に流れる流星のようにはかなくも美しかった。


 四〇メートルほどの枯れ木道を抜けると、人が少なく静かな場所に出た。交差点、近くの公園だ。。そこには、一つの、小さな屋根付きのベンチがあった。雨風にされされ続け、ボロボロになった屋根。座るときしむベンチの音。そんなことは気にもせず、彼女は、僕をそこへ座るよう促した。そして、軽く息を整えてから、彼女は尋ねた。


「君、ケガはないか?」

 

「……はい」


 覇気のない声で僕は、答える。

 

「君、本当に大丈夫か?」


「……はい」


 またも、僕の声に覇気はなかった。明らかに元気のない僕の顔を見て、彼女は一息ついてから言った。


「何か……あったのか?悩みがあるなら私が聞くぞ」


初対面なはずなのに、こんな遠慮のない人を僕はみたことがなかった。でも、そのたった一言が、僕の心の傷をほんのわずかだけ、癒してくれたのだと感じた。

 そして、少し考えてから、僕は今までのことを全て彼女に話すことにした。


「僕には、両親がいました。家族思いのとても優しい二人でした……」


「今、両親は?」


 彼女は、僕のうつむく姿を気にしながら尋ねた。


「僕が、幼い頃に亡くなりました。それからは、妹とずっと二人で暮らして来ました」


「ごめんなさい……」


 彼女は、申し訳なさそうに頭を下げた。


「ぁぁ…気にしないでください。両親のことは、もう……大丈夫ですから…顔を上げてください」


 彼女は、僕の言葉に少しだけホッとした様子で頭を上げた。


「でも……」


 僕は、妹のことについても話そうと口を開いた。


「…………」


 (あれ・・・)言葉が、声が出ない。

 やけにかわのどを唾でごまかす。それでも声は出ない。 急激に上がる息の音。締め付けられたように痛い心臓。冷たい雨に打たれたようにガタガタと震える身体。また、そこに追い討ちをかけるように吹く冬の風。思い出したくもない記憶が次々と蘇る。そんな時だった。


「どうした、君?…大丈夫か?…聞こえているのか?」


 そこには、先程までとは違った様子の僕を心配する彼女の姿があった。

 僕は、その言葉でハッと我に帰った。そして、失った分の酸素を大きな深呼吸で取り戻す。次第に、さっきまでの身体の震えも収まり始めた。


「少し待っていろ、君」


 彼女は、スッと立ち上がりスカートについた埃をはらう。そして、その場を立ち去った。それから、二分もしない内だった。


「おまたせー」


 明るく透き通るような声が、街に響く。そこには、両手に缶のコンスープをもった彼女の姿があった。


「はい、どうぞ」


 彼女は、右手にもった缶を僕に差し出した。


「……ありがとうございます」


 僕は、少し歯切れ悪く、お礼を言う。


「いいえ、気にしないで」


 彼女は、優しく微笑みながらそう言う。それと同時に、左手に持った缶を開け、それを飲み始めた。

 それから、少しの沈黙が流れた。たった十秒ほどだ。その間は、冬の風がより一層強く感じられた。しかし、それと同時に、僕の手に握りしめられた缶は、じんわりと熱を発する。


「あの…さっきは大丈夫だった?なんだか苦しそうだったけど?」


 先に声を発したのは、彼女だった。彼女は、心配そうに尋ねた。

 僕は、一度大きく息を吸いそれを吐き出した。それから、少し俯きながら、話し始めた。


「僕には、まだ小学二年生の紗由莉という妹がいました。明るく元気な奴でした」


「それって……」


 彼女はそれを聞いてすぐに悟った。そして、口に手を当て彼女は、僕にかける言葉を失った。口に当てた彼女の手は、震えている。そんな彼女の様子を少し気にしながらも僕は、話を続けた。


「ちょうど一週間前、交通事故で亡くなりました。その日は、あいつの誕生日の前日で、僕はプレゼントを買いに行ってました。そうしたら、突然、連絡が来て……紗由莉が亡くなったことを知らされました」


 僕は、涙を必死にこらえながらそこまで話した。そして手に握りしめた缶を開け、こぼれ落ちそうな涙を隠すようにゴクゴクと飲み始めた。少し時間が経ってぬるくなった缶は、猫舌の僕にはちょうど良かった。飲み終えた缶をボロボロになった机の上に置いた。

 

 バッ、突然のことだった。甘く優しい香りに包まれた。何の匂いだろう。少し考える。やがて、答えに辿たどりつく。ああ、桜の匂いだ。


 途端に身体の力が抜けるのを感じた。まるで、春の花畑にいるような心地よさを感じた。 僕を抱きしめたまま彼女は尋ねた。


「まだ聞いてなかったね。君、名前は?」


 背中にまわされた彼女の腕。細くて柔らかい。乱暴にしたら折れてしまうほどに。それでも、その手からは確かな魂のこもった温かさを感じた。


桐生きりゅう なぎです」


 涙を堪えながらの声は、少し震えている。


なぎ君ね。私は、白浜しらはま 有希ゆき。よろしくね」


 明るく透き通った声。とても心地のいい声だった。どこか懐かしさを感じる声。ああ、そうだ。思い出した。亡くなった母の声によく似ている。ふと、そんなことを考えていた。もう巻き戻せない昔の記憶……分かっていても星に願ってしまう。


 ふと、声がした。声の主は、自分を抱きしめて離さない目の前の有希だ。


「大丈夫だよ、凪君。今まで辛かったね。本当に大変だったね。大切な人がどんどんいなくなって。でもね、もう大丈夫。その苦しみを、その悲しみを、私がすべて受け止めてあげる。だから自分の心を、気持ちを殺さないであげて」


 穏やかで心地のいい声。気持ちが安らぐ声。そんな有希の声は、街を照らす太陽の光よりも眩しく輝いて見えた。

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君の温もりに包まれて ゼロ @ZERO5505

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