彼女の一等星は可愛い
星雷はやと
彼女の一等星は可愛い
「可愛い」
「むっ……」
向かいに座る幼馴染みから漏れた言葉に、僕は眉を顰める。今日は桜子に誘われ大学の帰りに、以前から来たいと言っていたカフェを訪れた。お目当てのパンケーキの写真をスマホで撮り、その味に舌鼓を打つと不意に彼女は冒頭の言葉を口にしたのだ。
「こっちを向いてくれないか?」
「……嫌だ」
スマホを構えたままの幼馴染みが、何をしたいのかは分かる。だがそれに従う気にはなれず、僕は横を向いた。
「ふふっ、拗ねてしまったか。でも可愛いな」
「むっ……カッコイイって言えよ」
桜子は僕の行動なんて気にした様子もなく、楽しそうに声を上げる。その様子に僕はとうとう不満を口にした。無理して何時もとは違う強い口調に、舌がもつれそうになる。
「無理だな。玲は可愛い」
「……っ、可愛いじゃあ……駄目だよ……」
きっぱりと告げる彼女の声に、寂しさと悔しさがこみ上げてくる。僕は『カッコ良く』ありたいのだ。何故ならば大学で友人たちに、幼馴染みが好きなタイプが『カッコ良い人』と話しているのを聞いてしまったからである。
桜子は容姿端麗で文武両道、大学の教授や学生達からの信頼も厚い。今日の待ち合わせや、今だって老若男女の視線を集めている。魅力的な人物だ。
昔から人見知りで鈍くさい僕にも、優しく接してくれる素敵な人だ。『幼馴染み』として同じ大学に居るが、僕はその関係を変えたいと思っている。僕は桜子のことが好きなのだ。だからこそ『カッコ良く』なりたい、『可愛い』僕では彼女の視界には映らない。
「もしかして……この間の話を聞いたからか?」
「あ……う、うん……ごめんね……」
周囲は騒がしいが、彼女は僕の小さな呟きを正確に聞き取ったようだ。首を傾げると、彼女の綺麗な黒髪が揺れた。呆れたような表情を浮かべる彼女に、僕は頭から冷水をかけられたかのように冷えていく。
盗み聞きをしていたことを知られ、桜子に嫌われてしまった。僕は彼女の視線から逃げる為に、空になった皿を睨む。皿の上には生クリームとチョコレートソースが混ざり合い、僕の気持ちのように雑然としている。
「あれさ……噓だ」
「………え? うそ? なんで……」
幼馴染みの言葉に、何が噓なのか思い至るまでに数秒を要した。顔を上げゆっくりと瞬きを数回繰り返し、漸く僕が聞いた好きな人についてであると理解した。何も分からず首を傾げた。
「私の好きな人が聞いていたからさ……。告白をする前に本人に私の気持ちを知られては困るからね。告白は絶対に私からで、ロマンチックにするって決めている」
「そ、そっかぁ……」
想い人に思いを馳せながら、語る幼桜子はとても美しい。『人は恋すると綺麗になる』と聞くが彼女は元からの美貌に加え、恋という魔法が掛けられ誰もが惚れる美しさを放つ。まるで僕とは別世界の住人のような錯覚さえ覚える。
これだけ美しい彼女に想われる人は幸せだ。ただ、それが僕であったらどれ程良かっただろうか。醜い感情を喚き散らしたい衝動に駆られるが、情けない姿を晒すのは憚れた。僅かな自尊心で相槌を打つ。
「昔から如何すれば私に惚れてくれるのか、どんな告白をすれば了承してくれるのか沢山考えたよ」
「……そう」
幸せそうな幼馴染みの顔を見るのが耐えられなくて、僕は窓の外に目を向ける。優しい声色が鼓膜を揺らし、僕を逃がしてはくれない。今の状況に陥るのが予想出来たならば、彼女と出掛けることは絶対にしなかった。桜子から誘われ、有頂天になっていた僕を殴ってやりたい。そう考えていると、視界が滲み始めた。
「だが……実に情けないことに……目の前にすると、何万通り考えた告白の文章が一文字も出てこない」
不意に頬に柔らかく温かいものが触れ、導かれるように幼馴染みと視線が合う。そして僕の右頬に触れているのが、彼女の手であることに気が付いた。彼女は真面目である『人と話す時は人の顔を見ろ』ということだ。
正直これ以上、桜子の口から想い人へと気持ちを聞きたくない。だが、これが僕への罰なのだろう。幼馴染みとして地位に甘んじていた癖に、今更その関係を変えたいなど虫が良すぎる。今は無理でも、彼女の隣に立つ誰かを祝福出来るようになろう。
「だ、大丈夫だよ……。君に好きだって言われて、断わる人なんていないよ」
参考までにと僕の気持ちを隠して伝える。きっとこれが桜子と視線を合わすことは最後になるだろう。意を決し、彼女の黒水晶のように澄んだ瞳を見上げた。
「好きだ」
「……っ」
凛とした声が鼓膜を揺らす。いつになく真剣な幼馴染みの表情に見惚れてしまう。しかし僕に告げる言葉ではないのは確実だ。告白の練習であることを理解する。好きな相手の告白の練習に付き合わされるなんて、今日の僕はとことん運から見放されているようだ。
「愛している」
「……い、良いと思うよ。きっと、相手も喜んで頷いてくれる筈だよ」
甘く愛しそうな表情を浮かべる彼女を僕は知らない。その表情から一刻も早く逃げるべく、感想を口にした。これ以上は耐えられない。店を去る為に伝票を掴もうと左手を伸ばした。
「……鈍いとは思ってはいたがこれまでとは……。甘く見ていた私の落ち度だな……」
「な……なに?」
伝票に触れる前に、その手は幼馴染みに掴まれてしまった。何か小さな声で呟き内容は分からないが、とても焦燥感が漂っている。僕の感想が気に入らなかったのだろうか。だが今の僕の心情では先程の言葉を紡ぐのが精一杯である。僕は恋に敗れた情けない負け犬なのだ。
「玲、私は君のことが好きだ。愛している」
右頬に添えられていた手が、僕の顎を掴んだ。そして真剣な表情の桜子に僕が映り、滑らかな親指の腹が僕の下唇を撫でた。
「…………ん、え? ……えぇ?」
彼女の突然の行動に、僕の脳は機能を停止した。言葉が出て来ず、金魚のように口の開閉を只々繰り返し、ただ彼女の瞳を呆然と見上げる。
桜子は僕に何と告げた?
「ふふっ、混乱している姿も本当に愛らしいなぁ」
「……え? だ、だって……告白の練習……」
蕩けるような甘い笑みを浮かべる桜子に、僕は混乱する頭で思ったことを必死に口にする。
「練習? 私は愛の言葉を、想い人である玲に贈っただけだが?」
「……は、う、噓……」
彼女の表情からして噓を吐いていないことは分かるが、それを脳が否定する。先程まで練習相手だと思っていた筈が、僕が本命だったなんて急に告げられても無理があるのだ。
「心外だな。玲があの時、聞いていることに気が付いたからワザと噓を吐いた。それに私は君に対して酷く狭量だ。万が一にでも、玲が私以外と恋人になる可能性を考えると正気を保つ自信がない」
「な……なんで……」
形が良く艶のある唇から流れるように、彼女の気持ちが語られる。熱を孕む言葉の数々に、僕の顔に熱が集まるのを感じる。
「私は玲の全てを愛しているから。これじゃあ不満かな?」
「ひやぁ……」
桜子は僕にだけ聞こえるように、耳元で囁いた。彼女の香りと息遣いに、情けない声が漏れてしまった。彼女からの告白は純粋に嬉しい。だが彼女は本当に、僕のことを好きだと信じていいのだろうか。都合の良い夢ではないだろうか。素直に喜ぶことが出来ずに、疑念が心に浮かぶ。
「ふむ……此処に口付ければ信じるかい?」
「……なっ、ちょ……まって……」
僕の心情を察した桜子が、再び僕の唇を自身の親指でなぞる。そしてゆっくりと彼女の整った顔が近づいて来る。桜子の言っていることは全て真実で、僕を本気で好きだということを遅れて理解した。だが恋人同士の行為をするにはまだ、僕の気持ちが追い付けていない。僕は目をつぶった。
「……君が嫌がることはしなくないからね。今はこちらにしておこう」
「ひゃぁ……」
予想していた場所ではなく、左手に触れた柔らかい感覚に瞼を開けた。すると、僕の左手の薬指にキスをする彼女と目が合う。全身の血液が沸騰するかのような暑さに見舞われる。
「この薬指は予約済みだ。いいね?」
「う……うん、僕も桜子が……好き。愛している!」
言い聞かせるように、しかし否定することは許さないと彼女の瞳が僕を射抜く。心臓が五月蠅く、身体全体が暑い。嬉しいのに泣きたい。だが返事をしないといけない。僕は声が裏返るのも気にせず、気持ちを叫んだ。
「いい子だ。私の可愛い一等星」
慈しむように満足気に微笑む彼女に向かい。
この日、初めて僕は笑顔を見せた。
彼女の一等星は可愛い 星雷はやと @hosirai-hayato
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