十八話

 最後の長い仕事を終えてから二年が経とうとしてる。街を離れた俺は、緑に囲まれた山のふもとに小さな家を建てて、そこで隠居生活を始めた。毎日新鮮な空気を吸い、近くを流れる小川のせせらぎを聞きながらソファーでくつろぐ……そんな自由な時間を謳歌してる。現役の頃はせわしなく進んだ日々も、今は慌てたり急いだりする必要はまったくない。すべてが自分に合った速さで進む。三十七で隠居は確かに早過ぎるかもしれないが、こんなに心が満たされた暮らしができるんだ。決心してよかったと思ってる。


 その直前まで面倒を見てたヘンリクだが、結果から言えば、一流の盗賊にはしてやれてない。だがそれは当然のことだ。たった二年鍛えたところで一流になれるなら、街の金持ち連中は軒並み引っ越してるだろう。別にヘンリクに才能がないとか、俺が見限ったわけじゃなく、一流になるには技術の他に経験も必要だってことだ。場数を踏んで、盗みの技と勘を自分のものにできれば、あいつはいずれ一流になれるはずだ。俺はそうなれるものを教えたつもりだし、ヘンリク自身も向上心を持ち続ければ、後は時が叶えてくれるだろう。俺が隠居してからは、ここへたまに顔を出しては食料やら日用品やらを持って来てくれるが、独り立ちしたせいか、二年前より顔付きが引き締まり、頼もしさを感じるようになってきた。あれなら多分心配ない。いい仕事をやってくれるだろう。数年後には王国に名を馳せる盗賊になってるかもな。まあ、それはそれで目を付けられて捕まる心配が出てくるが。でも盗賊にとっちゃそれは名誉だ。


 そんなヘンリクからは王国の話題もいくつか聞いてる。俺は買い出しで街へは行くが長居はしないから、世間がどうなってるのかいまいち把握してない。最近聞いた一番の話題は、王妃がようやく懐妊したって話だ。それで街は祝福に盛り上がってるらしい。誰もが長いこと待ち続けてた待望の報告だ。その間、王妃が呪われてたなんて想像するやつはいないだろうな。七年がかりで授かった子――表向きはそんな感じで受け止められてるんだろう。大事にされ過ぎて暗愚に育たなきゃいいがな。


 もう一つ気になる話題があった。王国軍に新たに創られた騎馬部隊の隊長に、定かじゃないが、どうもミカが抜擢されたらしい。というのも、発表された隊長の名前がステンヴァルで、確かあいつも同じ名前だったと思う。もしそうだとしたら、護衛隊の隊長補佐から、一部隊の隊長を任されるなんて、それなりに出世したってことだよな。きっと王妃の呪いを解いたことが評価されたんだろう。つまり、俺のおかげでもある。ちょっとだけでも感謝してもらいたいもんだが、あいつなら、賊に礼を言う筋合いなどないとか言いそうだ。俺の助言聞いて、少しは愛想よくなってるといいが……まだ無理っぽいな。


 そして最後の話題は、呪いから解放された先住民のことだ。ミカが言ったように、あれから彼らの元には王国から調査員や使者が送られたみたいで、先住民について調べつつも、同時に交流をはかろうと何度も接触してるようで、それは今も続いてるという。順調に進めば、そのうち先住民は王国の一員として俺達と変わらない扱いになるかもしれない。彼らも王国の助けが必要だろうしな。


「――水が減ってきたな。汲みに行かないと」


 コップの水を飲みながら、俺は水がめの底の少ない水に気付いた。散歩がてら川へ行ってくるか――水を飲み干し、部屋の隅に置かれたバケツを手に、俺は家を出た。


 時間は昼前。周りも頭上も木が覆うように立ち並んでるが、その隙間からは突き刺さるように陽光が差し込んでくる。山や森は比較的涼しい場所なんだが、近頃めっきり暑くなった。昼間の空気にも熱気が混ざり始めてる。自然も動物も活発になる季節か……そうだ。ついでに仕掛けた罠も確認しておくか。基本食料は街で買うが、保存食作りのために罠猟もしてる。時間があり余ってる俺には、ちょっとした楽しみでもあったりする。やることがないとやっぱり暇だからな。


「……ん、何だ、この匂い……」


 川へ歩いてた途中、ふと感じた香水のような匂いに俺は足を止めた。その出所を探して見回すと、茂みの陰に隠れた姿を見つけた。


「これって……!」


 そこに近付いた俺はドキリとした。白い花びらのユリに似た花……後ずさり、息を止めようと思ったが、すぐに思い止まる。匂いを嗅いでもおかしな気分にはなってない。大丈夫。あの花はもう焼かれてこの世には存在しないんだ。それに呪いだって消えた。冷静になればわかることだ……。それにしても、よく似てる花だ。もしかしたら、元にして使われたのがこの花だったのかもな。あの出来事は今も俺の中で強い印象を残して記憶されてる。いい思い出か、悪い思い出か、その判断は難しいが……。


 空の罠を確認しつつ、きらきら流れる川で冷たい水を汲んで家へ戻った時だった。


「ヨハンさん!」


 不意に呼ばれて振り向くと、そこには微笑むミンナを先頭に数人の先住民達がいた。服装以外はすっかり王国人と変わらない容姿だ。


「よお、また来たのか」


 駆け寄って来る皆を俺は笑顔で出迎えた。隠居してからも彼らとは交流があって、実は王国と接触してる話も彼らから聞いたことだ。この家の場所は限られたやつにしか教えてなかったんだが、どういうわけか探し当てられ、時々こうして顔を見せに来るようになった。彼らとは別に真面目な話をするでもなく、他愛のないおしゃべりをするだけだ。いわゆる茶飲み友達みたいな感覚だ。住んでる森から遠いのにわざわざ来なくてもいいと言ったんだが、それでも俺に会いに来てくれる。俺は彼らにとっては一生の恩人らしくて、そんな人を放っておけないと毎回土産持参でやって来る。俺は生活に困ってはないんだけどな。


「はい、これお土産だす。どうぞ」


 葉で編んだかごに干し野菜がどっさり入ったものをミンナは差し出す。


「今日も量が多いな……ありがたく貰うが」


 見た目は干からびて色も悪いが、料理に使うと結構美味かったりするから侮れない。


「バケツだばたがいで、何が仕事の途中?」


「いや、水汲みに行って来ただけだ。そっちは暇つぶしに来たのか?」


「実はこの後、初めで王国さ行ぐの。使者さ招待されでで」


「へえ、そりゃすごいな。やっと王国に行けるのか」


「ええ。どんたどごろが、楽しみの前さ、ヨハンさんに会いに来だの。その、王国で注意するごどどが聞いでおぐべで思って」


「緊張してるのか?」


「そりゃさっとはするわよ。初めでの場所なんだんて……」


 皆のそわそわした様子は何だか笑えてくる。


「平気だよ。挨拶されたら挨拶して、質問されたらそれに答える……集落での振る舞いと何も変わらないさ」


「ほんに、普段通りで平気……?」


「変に作った自分じゃ逆に怪しまれるぞ。自然に接すればいい。……落ち着くために、一杯飲んで行くか?」


「どうも。そうさせでもらうわ」


「おいは酒がえな」


「酒なんてやざね! あだは酔っ払うど手さ負えねんだんて」


 ミンナに一蹴された仲間は残念そうにうなだれる。幼さが消えて立派な大人になったミンナだが、集落では意見のまとめ役もしてるらしい。毅然とした態度もなかなか様になってる。本当、成長したな……何だか姪っ子でも見てるような気分になってくる。


「……ヨハンさん、どうがした?」


「いや……美味い酒はあるんだが、確かに酔っ払って城へ行くのはまずい。今日は入れ立ての茶で我慢してくれ。……さあ、入って」


 俺は家の扉を開けて皆を招き入れた。礼を言いながらゾロゾロ入って行くのを眺めてると、立ち止まったミンナが笑顔で言った。


「えっかだどうも」


「こっちこそ、ありがとう」


 盗賊引退の最後に力試しをしたせいで、俺は捕まり、あんな苦労をするはめになった。その事実は後悔してると言える。だがその後悔がなければ、先住民を呪いから救い、今こうして笑い合える仲には絶対なってなかっただろう。あの出来事は俺の失敗から起きた嫌な思い出には違いないが、それ以上に俺を変えてくれた、掛け替えのない大事な思い出なんだろう。目の前にあるいくつもの笑顔を見て、たった今、そう思えた。

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残された花はかぐわしい 柏木椎菜 @shiina_kswg

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