第44話 ベアトはガシアス総統府を制圧する

*第44話は4700文字と通常より文字数が多くなっております。ベアトリーチェの情緒をあつかった話ですので、時間をとってゆっくりご覧になることをおすすめします。

 また、物語的にルーヴェントの過去を理解していないと全く意味が通じない話になりますのでルーヴェントの過去を扱った第34話をご覧になっていらっしゃらない方は、まずはそちらを御一読下さいませ。

第34話 幕間回・重要『彼がクレイヴァスだった日』 ルーヴェントの過去

https://kakuyomu.jp/works/16817330667950508394/episodes/16817330668706997510

 


 ガシアス帝都。

 高級娼館。


 紅色の煙が、【高娼セントリーシア】の理性を狂わさんと、その色気づいた肢体をさらに押し包む。

 エメラルドグリーンの美しい長髪は乱れ、黄金の瞳がゆがむ。

紅抹香(べにまっこう=媚薬)は通常の五倍の量が焚かれ、息を吸うだけで彼女は悶えた。



「もっ、申し訳ございません。すぐに奇麗にしますゆえ」

 フルーツを差し出そうとした陶器の皿が落ち、床に割れていた。


 鋭く尖った皿の破片が散らばっている。


 彼女の床に伸ばす指先は、男を惑わすようなしなやかな表情をみせる。


「ほうセントリーシアともあろう者が、この程度の淫気で脳を溶かされたか、かかかかっ」

 高級娼婦をいやらしい目で眺め、でっぷりとした腹をかかえた『ガシアス皇帝』は卑猥な笑い声をあげる。


「そんなもの後で片付けさせればよい、早う、早う、その豊満な尻を差し出さぬかっ」

 髪をつかまれたセントリーシアは、白いシーツにうつ伏せに押し付けられる。

 皇帝はテーブルに置いてあった壺から、ドロリとした媚薬を自らの指と剛直に塗りたくる。


 セントリーシアの体は背骨が折れんばかりに反り、汗と媚薬に濡れそぼる。豪華な天蓋と白いカーテンに覆われた寝台で、彼女は注挿の衝撃に揺れつづけた。




 淫らな液体が沁みをつくるの乱れたシーツ。

 情交の部屋は、未だに紅抹香の赤い煙に覆われている。

 セントリーシアは放心したように、ゆらりと起き上がると装飾の施された赤い下着を身に着ける。

 レースから透ける陰毛は、獅子のたてがみを思わせる力強さがあった。


 そして、その傍らに横たわるのは、割れた陶器の破片で―――心臓を刺し貫かれた皇帝の寝姿―――だった。

 彼女は、皇帝が履いてきた剣を手に取り、皇帝の首を切り落とす。



 高級娼館は、忍びで訪れた皇帝の臣下に囲まれている。


 彼女が窓を開けると、乾いた風が部屋に入り紅抹香の煙をすこし持ち去った。


 セントリーシア ――― かつてフロストハイム王国王女の【セントリーシア・ファンデュ・フロストハイム】は闇夜のかなたへ、ハヤブサの鳴き声の指笛を吹く。


 深夜の帝都に侵入しているであろう、弟クレイヴァス(=ルーヴェント)にむけて。



 □



 千の精鋭を引き連れ、白銀の鎧をまとったベアトリーチェはガシアス帝都の地下水路に潜んでいた。


 地下水路とはいえ天井は高く、加えて通気もよくなっており、窮屈な感じはまったくない。


 古代より組み上げられてきた石造り。

 所々には、むき出しの鍾乳石がぶら下がる。

 ヒカリゴケが自生しており、北部山脈から流れくる清流の透明さにあいまってそこは神秘的な風景となっていた。


「まさか、傭兵団長から派兵の命令を受けるとは思ってもいませんでした」

 

 ベアトリーチェはルーヴェントから、ガシアス攻略のための派兵の命令をうけていた。現実的に考えれば、一国の王女が傭兵団長の命令に従うのは変な話なのだが。


 これからルーヴェントの合図で、千のエフタル兵が帝都に躍り出て、ガシアス総統府を制圧する手はずになっている。


 ベアトリーチェは、自分より先にルーヴェントがガシアス帝国に仕掛けるとは思ってもいなかった。さらに、そこにエフタル王国の精兵を利用するとは。


「派兵とかじゃなく、で呼ばれたかったのにね、ベアトリーチェ」

 黒いジャケットを着たカシスは、ベアトリーチェの尻をなでつつも、笑顔で強烈な皮肉を言う。

 ベアトリーチェは口をとがらせると、カシスの腹に冗談で拳を打ちつける。


 ベアトリーチェが王権を奪い、エフタル王城に住まいをうつしても、ルーヴェントからすると彼女の立場は『奴隷』のままだった。

 始めのうちは三日に一度はロンバルディアの館に呼ばれ、ルーヴェントと夜を共に過ごした。


 しかし日数が経つにつれ、呼び出しの頻度は四日に一度、週に一度と減っていった。


「私って結局、傭兵団長にとって都合のいいオモチャだったんですよ」

 ベアトリーチェは透明な水の流れる水路を見つめ、悲しそうにつぶやく。


「私、遊ばれたんです、きっと」


 カシスは穏やかな笑顔で、そう言うベアトリーチェを見つめた。

「そうじゃないわ。あの人は貴女のことを、とても」


 しかし、笑顔を作ったカシスの胸中には複雑なものが去来していた。

 突如、口元を押さえると何度も咳をした。聡明な顔つきが、苦し気にゆがむ。


「だ、大丈夫ですか?」

「ええ、最近……調子悪いみたい」

 心配いらない、という感じでカシスは喉のあたりを押さえた。




 カシスが落ち着いたのを見計らい、ベアトリーチェはまた喋り出す。

「私、賭けをしていたんです。傭兵団長が本当に私を好きなら、ですね。……いつか」

「うん? いつか?」


「いつか、私を叱ってくれるって思っていたんです」

「叱る?」




「はい……。いい加減に俺を『傭兵団長』と呼ぶな、俺にはルーヴェントって名前があるんだぞ、って」




 この時カシスは、息が詰まった。

 一瞬だけだが、目の前が真っ白になり、詰まった息を無理にのみ込んだ。


「ベアトリーチェ……、貴女、あの人のこと、名前で呼びたかったんだ」

「はい……結局、賭けは負けでした」



 ―――― そんな賭けなど、せずとも!

  この女王の少し、いや、かなりズレた感覚 ————


 カシスの心に、空虚をつくような風が吹いた。

 それはいつの日か、愛する者と共に見た……舟の上から見た、燃え崩れ落ちる城からくる風と似ていた。


 そして、悲しいとも寂しいとも、さらに苦しいとも……しかし、そのどれとでもない感情につつまれた。

 


 何かを感知したかのように、カシスは上方の通風孔を見上げる。

 二人は耳を澄ませた。


 ――― ハヤブサの指笛が、乾いた風に乗って聞こえた。


 作戦開始だ。

 ガシアス帝国、総統府を制圧する。


 その道筋は、先に侵入した私兵マティウス達の手で火が焚かれている手筈だ。



 ベアトリーチェは振り返り視界に入る配下を見渡す。


『長く続いた争いに決着をつける時が来た、親愛なる精兵たち……剣をとれ!』


 ――― 我がエフタル王国の宿敵、ガシアスを落せ。


 その手を高くかかげた。



 □


 一夜にして『皇帝』を暗殺され、国主の首を取られたガシアス帝国上層部は混乱に陥る。


 娼館にて姉セントリーシアを救出したクレイヴァス(=ルーヴェント)は三百ほどの兵を率い、悠然と帝国の中心である総統府をめざす。

 その三百の兵は、手塩にかけ鍛え上げた傭兵団員と、かつて滅ぼされたフロストハイム王国の遺臣たちだった。

 鎧を身にまとった姉セントリーシアと並び騎乗すると『皇帝』の首をかかげ、それらの兵と共にガシアス帝都の夜の石畳に足音を響かせた。


 総統府を目指す道すがら、沢山の貴族・ガシアスの臣下が合流して来る。

 彼らは、セントリーシアが娼館で篭絡ろうらくしていた者たちだ。

 

 *篭絡 巧みに手なずけて、自分の思い通りに動かすこと




 深夜のガシアス帝都、要塞のようにそびえていた主無き石造りのガシアス総統府は、ベアトリーチェ率いるエフタル軍の精鋭の手であえなく陥落する。


 二万の兵を擁するガシアス軍も、内側から精鋭に攻められればあっけないものだった。しかも、その精鋭を指揮するのは、ガシアスに長年の恨みを持つエフタルの君主『麗騎ベアトリーチェ』であり、陥落は当たり前のことかもしれなかった。



 □


 ガシアス総統府前にて。


 炎に崩れ落ちる総統府を背にエフタル軍指揮官ベアトリーチェは、返り血すらついていない鎖帷子くさりかたびら姿で、ガシアス皇帝の首をかかげたフロストハイム家の姉弟二人が率いる隊列を出迎える。


「働きに感謝する、エフタル王女ベアトリーチェ」

「よ、傭兵団長……あ、貴方は、いったい?」

 傭兵団長と呼ばれた男は、白銀の鎖帷子をまとった亜麻色の髪の王女と目を合わせることなく、声をかけただけで通りすぎた。


「感謝いたしますわ、エフタルの『ベアトリーチェ』とやら。余はフロストハイム王家第一王女セントリーシアと申す。後日、またゆっくり話そうぞ」


 ガシアス帝国への逆襲を果たした姉弟は、ねぎらいの言葉をかけると騎乗のままにベアトリーチェの横を通り過ぎていった。



 そう、ただ通りすぎていった。


 ベアトリーチェの胸に、虚しくも風が吹きつける。


 ―――― その心は叫ぶ


 私は成し得たはずだ、あの傭兵団長に認められる働きを……。

 

 宿敵国ガシアスの中心部を攻め落とした。

 褒めて欲しい「よくやったベアト、お前はやはり最高だ」と言って欲しい。


 もっと、私を見て欲しい。

 


 騎乗し通りすぎた傭兵団長は、知らない国の旗を掲げていた。

 私の見たことのない、まったく知らない傭兵団長だった。

 そして、傭兵団長の隣にならぶセントリーシアと名乗った女は、やはり私が知らない女だった。

 

 セントリーシア……知らない女。

 異国の宝石に似た気品を放つ姿。その裏には、底知れぬ女の情念を感じさせる色香を隠している。


 嫉妬すらも感じなかった。


 ―――― ベアトリーチェは、女として勝てる気がしない。


 (私はただの、無鉄砲さが売りの馬鹿な小娘)



 ―――― 突きつけられる、ひとつの現実




 結局は私は、傭兵団長に拾われた時から


【彼のガシアス攻略のための『謀略の駒』にすぎなかった】のか……。






 兵の足音、舞う風の音。

 ベアトリーチェの耳には何も聞こえてはいない。


 彼女は自分の横を通りすぎた、兵を従え離れていく傭兵団長の背中を見つめ思う。


(この胸にある空虚は何なのだ)


 フロストハイム王家の姉弟に付き従う臣下の兵が、立ち尽くすベアトリーチェの横を足音を石畳に響かせて過ぎてゆく。


 彼女の胸に、なんども風が吹きつける。

 帝国総統府を燃やす炎が巻き起こしたであろう、つむじ風だった。

 亜麻色の髪が、そのつむじ風に力無く揺れた。


 いつからその場にいたのか、カシスが寄り添うように、そっとその肩を抱く。


「さあ、行きましょう。勝どきをあげるのです。われらと一緒に……」

 カシスの申し出に、ベアトリーチェは涙をひとすじ流すと、下を向き首を左右に振った。


最後に、届きもしない小さい声で彼を呼ぶ。

「待って、傭兵団長……」




 この時、カシスはベアトリーチェに、どう伝えていいか分からなかった。

 そして、ついに伝えることが出来なかった。


 ベアトリーチェが兄王グスタフを斬り王権を手にした後、本拠地に帰って来てルーヴェントが自分に言った言葉を。


 + + +


「カシス、賭けは俺の負けだ。小娘ひとり落とせないとは……俺もたいした男じゃねえってことさ」

「賭け? 負け? 小娘ってベアトリーチェのこと?」


「ああ、ベアトの野郎……俺にベタ惚れだと思ってたんだがな」

「面倒くさ、小娘にベタ惚れしてたのは貴方でしょうに」


「ははっ、情けねえ」

「……」


「ベアトの野郎……最後まで俺のこと、名前で呼んでくれなかったぜ」


「はんっ、くっだらない、そんな事で」




「俺のなかで賭けをしてたんだ『一度でも名前で俺を呼んでくれたら、本気で好きになろう』って。やっぱ、俺にはお前しかいないようだな……カシス」




「吐き気がする、何その節操のなさ。ねえ、殴っていいかしら? 私も本気で」


「いいぜ、気のすむまで」


 + + +


 カシスは何もつげられぬままベアトリーチェを残し、先をゆく王子クレイヴァス(=ルーヴェント)と王女セントリーシアを追った。


 歩を進めるたび、ベアトリーチェとの距離は開いていった。

 それ以上に、ルーヴェントとベアトリーチェの心の距離も。



 賭けに負けた『傭兵団長ルーヴェント』


 同じく賭けに負けた『追放王女ベアトリーチェ』


 ふたりの、どこかズレた互いを想う気持ち

 二度と重なることはないかのように思われた。





 ****


 

Why? /なぜ


Tell me why/おしえて欲しい


I don't ever wanna say good-bye/さようならを言いたくないから


I look into an empty sky/空がどこまでも空虚だから   


Somebody tell me why /だれか、教えて欲しい



To us…… Somebody tell me why/私達に…、教えて欲しい 




Beatrice & Reubent/ベアトリーチェ & ルーヴェント




 ****





■■■■


 追放王女と傭兵団長の本編はここまでとなりますが、物語自体は四話構成のエンディングでハッピーに締めくくられます。

 

 また、43話で主要登場人物の去就を描いておりますが、ここもエンディングに多少関わっておりますので、読み飛ばされた方の為にまとめております。


【ルーヴェント、カシス、ユキ】……エンディングで語られる


【マティウス】と百人の盗賊団……ベアトリーチェの私兵として召しかかえられる。

 

【ディルト】と【侍女ロザリナ】……夫婦になる。ロザリナは王宮の侍女長に復帰。ディルトは王宮の第三騎士団長かつ武術指南役に就任。

 

【三人組マピロ・マハマ・ディロマト】……エフタル近衛兵としてベアトリーチェの身辺警護役に引き立てられる。

  

【奇術師にして智将ステファノ】……傭兵団に留まる





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