第36話 ベアトはカシスを籠絡(ろうらく)する

 「ステファノ、頼みがある。あの女を、お前の部屋に呼び出してもらえないかしら」

「あの女って?」

 あの女から傭兵団長攻略の手がかりをつかむ。


(さて、どうやってあの女を攻略しようかしら)


 ベアトリーチェは、悪魔のようにニヤリと笑った。




ノックを二回し、返事も待たずにカシスは部屋に入って来た。

 訓練から直接来たのか、黒革のジャケットに黒のロングタイツ姿だ。


 コホンと、カシスは咳ばらいをした。


「どうしたステファノ。急に私と話をしたいなどと……恋の相談か?」

 カシスは黒髪ショートヘアの前髪をかき上げる。手櫛が髪から抜けた時点でようやく、椅子に座る人物がステファノではなくベアトリーチェであると気づく。


「おい、お前……」

 カシスは、一瞬の殺気を放つが内におさめる。目つきも厳しいものがあるが以前のようなものではない。


「ごめんなさい、カシス。このような呼び出し方を……ベアトリーチェの非礼をお許しください」


 ベアトリーチェは椅子より降りると、神妙な物言いで床に手と膝をつき頭をさげる。

「や、やめろ、そういうことは。そして、私のことを様づけで呼ぶ必要はない」

 ふいに訳がわからなくなったのか、カシスはわずかに動揺した。


 ベアトリーチェは頭をさげた姿勢のまま、言葉を発さず静かに動きを止めている。


「ど、どうしたのだ、お前。用件があるなら早く言え」

「…………」

「黙ったままでは、わからないじゃないか」

 カシスは静かに歩み寄ると、中腰でしゃがみ込んだ。


「恋の、相談にちかいかもしれません」

ベアトリーチェから発せられた言葉に、カシスは「むむっ?」と不思議そうな顔つきになる。


「カシスさん、私は……傭兵団長のことが好きです」

「はっ? はあぁぁ?」

 突然の脈絡のないベアトリーチェの告白に、カシスは口を半開きにして混乱する。


 薄々に気づいていたことだが、まさかベアトリーチェの口から直接に自分に告げられるとは想像だにしていない展開であった。

 ルーヴェントに想いを寄せるカシスにとっては、唐突にライバル宣言を食らったカタチになる。


「そ、それが私を呼びだしてまで、言いたいことなのか? お前、本当に面白い奴だな、奴隷の身分のくせに。しかし、散々自分を苛める男に恋心を抱くとは、……ああ、たしかそう言う『奴隷が主人に惚れる』現象があると本で読んだことがあるな」


 混乱したカシスは焦り、混乱を悟られぬよう取ってつけたかのように沢山の言葉を並べた。



「でも、勝てないんです……貴女には。わかるんです、傭兵団長には、カシスさんしか見えていないんです」


「へ、うぐっ?」

 更なる予想だにしない告白の連投に、カシスは間抜けな返事をしてしまう。

 

 ベアトリーチェはうつむいている。

 思わぬ相手から、思わぬ発言を畳みかけられ、カシスは完全にペースを見失った。


「だ、だから、だから何なの? そんなことないから……心配しなくても団長は貴女にベタ惚れよ。あんな男、くっ……私のほうから払い下げしてやりたいくらいなんだから」

 無意識のうちにベアトリーチェの呼称が『お前』から『貴女』に代わっているのにカシスは気づかない。


「ねえ、ベアトリーチェ、貴女。こんな下らない話をするために私を呼んだの? 訳が分からないし、なにより気分が悪いわ、帰るわよ」

 カシスは、もはや何が何だかわからない、背中を向けて帰ろうとする。


「待ってください。……ただ、私の本心をさらけ出した上で、貴女とお話をしたかったのです」

「ほう、腹を割って話したいということか」

 

(本心をさらけ出すと言っても、団長を持ち出すとは、ずいぶん発想がズレた奴だ……ベアトリーチェ)

 カシスは静かにベアトリーチェを見つめた。


 そのベアトリーチェは姿勢を変えず、静かに以下の一か月前に盗賊団長マティウスから聞いた話から、話をはじめた。


 兄王の統治するエフタル王国が、ガシアス帝国へ千人規模での奴隷の献上計画を立てている。

 それを無視することは出来ない。

 黒鷲傭兵団の力を借りて、王国の実権を奪い兄王の愚挙を止めたい。

 傭兵団長は『完全にまいったと言える一本』をとれば、願いを聞いてくれるという。

 傭兵団長から一本をとり、エフタル王国の為に黒鷲傭兵団の力を貸してほしいと頼みたい。


 懇願するような目で、ベアトリーチェはカシスを見つめる。


「あっあのう、傭兵団長に勝つ方法を教えて下さい、団長のクセとか弱点とか……カシスさんならご存じなはずです。エフタル王国はこのままではガシアスの奴隷国家へと落ちてしまうんです、お願いします」


 誠実なベアトリーチェの問いに、カシスもまた誠実に答える。

「元・王女の貴女の気持ちもよくわかるけど、残念ながら私はエフタル王国に何の思い入れもないの。貴方の兄上が恥知らずな外交をしようが、千人の人間が不幸になろうが、正直言って私の知ったことじゃないのよ」


 冷静さを取り戻したカシスは、ベアトリーチェの頭に手を乗せると、さらに瞳の中を深く覗き込んだ。


「ねえ、貴女の言っていることは決して嘘ではない本心のようね。信念を貫くために団長から一本をとろうと懸命に頑張っている」

「……そうです、そのつもりですよ」


 カシスはベアトリーチェの心の奥の奥を見ていた。だからこそ、ベアトリーチェの言葉から感じる、わずかな違和感もからめとることが出来た。


「でも、それが貴女の本当の気持ちなの? 『王家の誇りを守りたい』『奴隷になる民』を助けたい、それが貴女の気持ちの全てなの?」


 しばらくの沈黙の後、ベアトリーチェの深く澄んだ藍色の目が、カシスの双眸を見据えた。


「エフタル国を思う気持ちは本心です、強くそう思っています。私がやらないで、いったい誰がやるんですか」

 そう前置きをして、しばらく沈黙した後、ベアトリーチェは目に涙を浮かべて喋りはじめた。


「認めて欲しいんです、傭兵団長に。私が、何も出来ない小娘じゃないって! それに、私が女王になれば、私の権限で傭兵団長に沢山のことをしてあげられると思うんです」

「———っ!」


 何を言っているんだ、という表情でカシスは呆れた。

 さらに食らいつくように言葉は続いた。


「あなたに女として勝ちたい、あなたみたいに傭兵団長と並んで駈けることが出来る女になりたいんです」

 鈴の音のように澄んだ声、少女のように純粋な目だった。カシスに向けられた感情は嫉妬や敵意ではなく、憧れのようなものだと言ってよいだろう。


「な、なんだ……それは」


 カシスは腰を抜かし、白目をむいて倒れそうになった。呼吸をすることすら忘れていた。

 ベアトリーチェの馬鹿正直さとズレっぷりに絶句しつつも、彼女の放つ意味不明な気迫と魅力に引きずり込まれていきそうで、恐怖すら覚えた。


「ば、ば、馬鹿じゃないの? だったら、なおさら団長の弱点なんて教えるわけにはいかない!」

 聡明なカシスの表情が大きくひきつった。


「それは弱点をご存じだという意味ですね? お願いします、教えて下さい。なんでもしますから」

 しまった、という表情をカシスは浮かべる。カシスの前で元・王女はふたたびカシスに土下座をする。

 もはや追い込まれているのは完全にカシスだった。


「だ、だ、だったらベアトリーチェ。そ、そのまま裸になって放尿でもしながら『私は惨めな奴隷です』とでも言ってもらおうかしら? あはは、ははは」

 この時点でカシスの負けが確定した。

「言いましたね」というと、すでにベアトリーチェはスルスルと服を脱ぎ始めていた。


「ままま、待て、待て、やめろ、やめてくれ! 悪かった、言う、話そう。動きを止めてくれ」

 カシスは、あわてて肩に手を置き動きを制止する。


「話してくれるんですか?」

「は、話すから、ここでは絶対に出すな」

 

 ベアトリーチェは下を向きながらも、ニヤリとほくそ笑んだ。

「わかりました」


 この日ベアトリーチェはカシスから、傭兵団長の弱点につながるような話から、その他にも様々なエピソードを聞くことが出来た。



 ―――― また、カシスの過去の話も聞く。


 【かつて、カシスは奴隷の身分の出身であった】が偶然にも、とある小国の王子に一目惚れされてメイドとして使えることになる。


 聡明な頭脳を持ちながらも、奴隷出身のカシスは王族の者たちからの酷いイジメにあったという。そのため今も王族や貴族という身分の者を憎んでいると。


 そして、その王子には姉と妹がいた。

 王子は妹を甘やかしてしまい、それが原因で妹は死んでしまったと王子は考えている。

 王子は、と。


 その王子が誰とはカシスは言わなかった。




****

作者注

いつもありがとうございます。

カシスの過去話にでてくる

王子の妹とは、ルーヴェント(この回では王子と表現)の妹です。


妹の死因は、物語上非常に大事なところです。


そこにつきましては第34話にて書かれています。

物語を理解するうえでカギとなる回です。

飛ばし読みされている方は、第34話だけでもお読みくださいませ。


第34話 幕間回・重要『彼がクレイヴァスだった日』 ルーヴェントの過去

https://kakuyomu.jp/works/16817330667950508394/episodes/16817330668706997510

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