第37話 ベアトは完全にルーヴェントを打ち負かす
黒鷲傭兵団、館の裏の訓練場。
『傭兵団長』と『元・王女』の木剣試合が行われている。
いつものように大陸に吹く乾いた風。
しかし、今日はかすかにだが、苦い匂いが混じっている。
風の音と、乾いた木剣の打ち合わされる音が響くのみ。
ベアトリーチェとルーヴェントの模擬戦を見つめる一人、漆黒ショートヘアの副官カシス。その目つきが、厳しいものになっている。
何も、言葉が出ない。
見学の傭兵団員たちの誰もが押し黙っていた。
ベアトリーチェが優位に試合を進めているように見える。ルーヴェントの劣勢、それは傭兵団の誰もが今まで目にしたことのないものだった。
(ベアトリーチェよ。鬼神とは、このことを言うのか……)
カシスは心の中でつぶやく。
そして、カシスの隣には盗賊団長マティウスが、何故か切迫した表情を浮かべている。その眼は、ベアトリーチェの動きの一挙手一投足に全集中している。
(ふむ、何かをたくらんでやがるな盗賊団長は、ベアトリーチェが何か指令を出しているのか……)
そう思いつつも、やはり目線はベアトリーチェとルーヴェントの戦いに引き込まれていく。
さらには、いつも必死にベアトリーチェの応援をしている三人組の姿が、なぜか今日は見えない事にカシスは気づいている。
□
劣勢に見えるとはいえ、ルーヴェントにとっては勢いのあるベアトリーチェの攻めを冷徹にしのいでいるに過ぎなかった。
それでも、カシスをして鬼神と言わしめるまでに成長したベアトリーチェの打ち込みは、ルーヴェントですら畏敬の念を抱かせるものであった。
「ベアトてめえ、化け物かよっ……この強さ。どんだけの牙を隠していやがったんだ」
「女子にバケモノとは失礼です、私は剣術の天才なんです。今日は必ず一本とりますから!」
木剣が交差しての押し合いになる、しかし力での押し合いはかなわないと知るベアトリーチェは後方へ飛ぶ。
その際に、ベアトリーチェの視線がいくつかの地面を確認したうえで着地しているのを、ルーヴェントは見抜く。
(ベアトの野郎、落とし穴か罠を地面にしかけてやがるな……ふ、卑怯な真似を)
木剣を構えたまま、ルーヴェントは犬歯をむき出すように笑っていた。
対するベアトリーチェは、ほんの少し唇を尖らせただけで、ポーカーフェイスを決め込んでいる。
足を止めた二人の背後から、乾いた風が吹き抜けていく。
(……!)
ルーヴェントの尖った鼻筋がピクリと動く。
そこから円を描くようにベアトリーチェは足さばきで立ち位置を変えていく。二人の位置が入れ替わる。その時、ベアトリーチェの左手首がわずかに上下した。
乾いた音とともに、毒矢がルーヴェントの足元に両断されて落ちていた。
彼は後ろも見ずに木剣で飛んできた毒矢を叩き斬っていた。更に、もう一本飛んできた毒矢を体を傾けることでかわした。
それでも、ベアトリーチェのポーカーフェイスはまだ崩れない。
「毒矢で俺を物陰から狙わせているのかよ。実に卑怯で良い作戦だが、ここは風下だ、残念ながら匂いで分かるんだよ」
言い終わると、俊敏に振り返るルーヴェント。
再び後方から来た矢を右手で掴む。
「面白れえ! やるじゃねえか、褒めてやるよ」
今度は合図なし、しかも匂いのない普通の矢だった。
毒矢。
毒矢。
通常の矢。
つまり
「はじめの毒矢二本は、おとりという訳か」
いい終わる前に、砂利が踏まれる音が聞こえた。
表情を崩さずにベアトリーチェが攻勢をかけてくる。走り込みで鍛えたであろう無尽蔵のスタミナで、けっして連撃を途絶えさせない。
すこし間合いを離し足を止めると、ベアトリーチェの合図で矢が飛んでくる。それも匂いのある毒矢と普通の矢の、どちらかだ。
ベアトリーチェとの射手の間に何かの取り決めがあるのだろう、合図なしに矢がくることもあり、ルーヴェントは下手に集中を切らす事ができない。
ルーヴェントも同じくスタミナの鍛錬は怠っていない。しかし、執拗なまでのベアトリーチェの連撃と、矢の連携に集中力が削られてくる。
「勝ちたい執念は認めてやるが、しつけえんだよ! 毒蛇のベアトリーチェって呼んでやろうか?」
「そのあだ名っ全然可愛くないです、きゃあっ」
ルーヴェントが体を押し当て力任せに、彼女の細い体を弾き飛ばした。
その弾き飛ばした場所は落とし穴が掘ってある場所だ。
「ざまぁ、自分で掘った穴に落ちやがれ! なっ?」
ベアトリーチェの足元は崩れなかった。
最初からそこに穴など無く、ルーヴェントを警戒させるための、ベアトリーチェの仕組んだ視線を用いた罠だったのだ。
しかし、落とし穴の場所と予想される個所はまだ数か所ある。どれかは本物の穴かもしれない。
「ぐっはぁ!」
ルーヴェントの一瞬の思考の混乱をつき、ベアトリーチェの横なぎが胴を撃っていた。つづけざま、呼吸を乱したルーヴェントに、容赦のないベアトリーチェの一撃が撃ち込まれていく。
「まだだ!」
当然ながら、
一瞬のうちに集中力を上げることでルーヴェントは冷静さを取り戻す。冴えわたる意識が場を支配し、ベアトリーチェの動きを明確に捉えていた。
しかし
―――― その明確な意識の冴えが彼の敗因になるとは、予想できなかっただろう。見える、見えすぎるというのは、時に良くないのだ。
ベアトリーチェは両足に力を入れると、左手で懐からナイフを取り出し投げつける。投げ終わりに手首が上下した。
同時にどこから現れたのかディロマトが、ベアトリーチェに何か『小さな包み』を投げてよこす。
(ディロマト? ナイフと矢の同時攻撃か!)
ルーヴェントは、ナイフをかわすが警戒した『矢』は、どこからも飛んでこない。
(矢の命令はフェイントかよ!)
情報の交錯に集中力を揺さぶられたルーヴェント。その顔に、ベアトリーチェはディロマトから受け取った何かを投げつけていた。
□
―――これは何日か前であろう、あの時のベアトリーチェとカシスの会話
カシス:団長はね、ああ見えて綺麗好きなの
ベアトリーチェ:そうなんですね、なんとなく分かるような気もします
カシス:でね、これが意外なんだけど「虫」が苦手なのよ
ベアトリーチェ:ぷぷっ、虫ですかぁ
カシス:とくに「ムカデ」を、苦手というレベルを超えてトラウマ級に恐れているのよね
ベアトリーチェ:へえぇ、そんな弱点があるなんて。私はムカデなんか、全然っ平気なんですけど
カシス:なんでも子供のころ、チン〇ンを咬まれたんですって
ベアトリーチェ:ぷぷっ、最高♡
カシス:まあ、さすがにあの人も、その辺にムカデがいたくらいでは騒がないけど……
ベアトリーチェ:要は使い方ですね
□
集中力を揺さぶられたルーヴェントの顔に、さらにベアトリーチェは手にもった何かを投げつけていた。
顔の前でルーヴェントはそれを掴む。掴む前から形で分かっているが、嫌な感触だ。
「!」
掴んだものを見ると、赤と黒のヒモでつくったムカデの玩具だった。玩具とは言え、ルーヴェントの集中力は大いに乱れた。
「カシスの入れ知恵か? 小賢しいっ」
掴んだ玩具を、地面に叩きつける。
そこから顔をあげると、今まで眼前にいたベアトリーチェの姿がない。
気づくと背後に回ったベアトリーチェが、胴に手を回しきつく抱きついていた。
「傭兵団長、今度はホンモノです」
ベアトリーチェは服のスキマに、本物のムカデを何匹も押し込んだ。さらに、ルーヴェントの空いた口にまでも。
ルーヴェントの口内に沢山の足をもつ虫が這いまわった。
「うがぁあ!」
しゃがみ込むルーヴェントの頭部に、仁王立ちで立つベアトリーチェは全力で木剣を打ち込んだ。
□
夕方、ルーヴェントの部屋。
頭に包帯をまいたルーヴェントが椅子に座っている。もうひとつの椅子には顔を腫らしたベアトリーチェ、そしてまた厳しい表情をしたカシスが立っていた。
「団長、いくら負けて悔しいからって……起きるなりベアトリーチェの顔を殴るなんて男として最低です」
「ああ、わかっているさ、大人げなかった。すまないベアト……」
カシスが詰め寄ると、ルーヴェントは素直に非を認めた。
意識が戻った後、ルーヴェントは傍で寄り添っていたベアトリーチェを腹立たしさから、つい殴ってしまったのだ。
「ほらベアトリーチェ。これを飲んでおいて、美貌が台無しよ」
ポーション(回復薬)を渡そうとするカシスの手をベアトリーチェは止めた。
「ありがとうカシスさん、でもいいんです。私、散々卑怯な手を使ったんですから。これは罰として受け入れます」
ベアトリーチェはそう言って、ついにポーションを受け取らなかった。
「ったく、二人ともガキなんだから、やってらんないわよ」
呆れるカシスがそう言い終わらないうちに、ルーヴェントが立ち上がる。
「仕方ない、お前には散々に卑怯な手を使われたが、それが戦場ってもんだ。最後に立っていたお前の勝ちだ、なあベアトリーチェ」
まだ痛みがある頭に手を回したルーヴェントと、顔を腫らしたベアトリーチェの藍色の目。互いの視線が強く引き合う。
ルーヴェントの差し出した手に、ベアトリーチェも手を伸ばす。
「お前に一本取られた、認めよう……お前は、悪くて、卑怯で、ずる賢く、そして強い。望み通り、黒鷲傭兵団として手を貸してやろう」
ベアトリーチェの腫れた顔が、明るく輝いた。
「ベアトリーチェ! ガシアス帝国に一人たりとも奴隷は献上させん。エフタル王国の兄貴と戦うぞ」
空気が震え、ルーヴェントの体から獣の気配が立ち上がる。
「はい!」
元気よく、満面の笑みでベアトリーチェは返事をした。
控えるカシスは、神妙な表情のままだった。
***
作者より
ここまで、お付き合いいただきありがとうございます
物語はヤマ場をふたつ残し、あと11話で完結します
手を取り合うルーヴェントとベアトリーチェ、どこか素直になれない二人は無事に結ばれるのか?
エフタルを支配する兄王との戦いはどうなるのか?
互いにとっての宿敵・ガシアス帝国との関係は?
三人組(とくにディロマト)はどこまで出世するのか?
さらに『本当はどのような目的で、ルーヴェントはベアトリーチェを買ったのか?』ここが物語として解き明かされます。
ほんわかとしたハッピーエンドで物語は終わります。
ご期待ください。
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