第35話 ベアトはルーヴェントに挑む
黒鷲傭兵団の館。
館の裏にある広大な訓練場には、今日も乾いた風が吹いていた。
雪ではない、砂が舞う。
大陸に吹く乾いた風とは違う、熱い風が吹く。
黒く巨大な獅子が地を踏み、まとわりつく風と舞い踊るかのようだ。
俺(=ルーヴェント)は、苛烈な打ち込みを見せるベアトリーチェの打ち込みを払いのけ、かわしてゆく。
木の焦げる匂いがする。
彼女の放つ一撃一撃が芯を捕えており、木剣を持つ手が時折しびれる。
(ベアトの野郎、化け物みてえに強くなってやがる。……カシスが負けたのも無理ねえぞ)
心が震える。
館のどこかで、誰かがヴァイオリンを激しく弾いている。いや、傭兵団員に弦楽器を演奏できる者は少ない。
マティウスの訪問からすでに一か月たっており、ベアトリーチェはカシスを圧倒するまでに剣術の腕を上げていた。
今日は、彼女から金を積まれて剣術の試合を申し込まれているのだ。
(俺から意地でも『一本』を取りたいみたいだが……まだまだ)
集中力を高め、僅かな隙を見つけるとそこを突く。
いちど崩れたベアトリーチェは立て直すことが出来ない。
「ベアト、才能に頼るな、勢いだけで戦おうとするんじゃない。確実に勝てるまでは、中途半端に強く出るな」
次々に露わになるベアトリーチェの隙を、瞬時に打ち据えていく。打たれる度に、半開きの口から吐息がもれ、赤く上気した表情が苦痛にゆがむ。
「死ぬぞ、お前」
俺は容赦せず、徹底的に打ちのめした。
「がっ、はあぁ」
ベアトリーチェは、俺を睨みつけながら、砂を食らうように地面に倒れこむ。
三人組が救助に入ろうと足を踏み出すが、俺は「心配するな」と、手で制した。実際に死ぬまで、不必要なまでに痛めつけるつもりはない。
今は、彼女自身の負けを確実に理解させるために、打ちのめしているだけだ。
「ベアト、いつまで伸びている。すぐに立ち上がれ、実戦だと首を取られるぞ」
頭を靴のつま先でコツコツと蹴る。
「は……はいっ!」
驚いた猫のように素早くベアトリーチェは立ち上がった。
打撃を食らっているが、巧妙に急所は避けていたのだ。派手に倒れたが、回復も早いようだ。
「ベアト、なかなかに強くなったじゃねえか!」
軽く言葉をかけたつもりが、想像以上にベアトリーチェの顔は明るく輝いた。
「そうですか! やっぱり私は天才なのでしょうか! ……いつか傭兵団長と、ともに戦ってみたい、戦場を駈けたいんです」
それは、けっしてお世辞や策略ではない、偽りのない彼女の本心だった。
俺にとっても、喜んでいい言葉だろう。しかし、なぜか言葉は返しのついた釣り針のように心に刺さった。
―――― ともに戦ってみたい、戦場を駈けたい
(ああベアト、俺もお前と、ともに……)
その言葉を言えなかった。
なぜか分からない、自分でも自分の心が理解できなかった。
亜麻色の髪が、水色の髪留めで後ろにまとめ上げられていることに、今更になって気づく。
「ベアト、髪をおろせ。寝室に行くぞ」
「えっ、今からですか?」
俺は、たぎるような打ち込みを見せたベアトに欲情していたことを思い出していた。
「なんなら、ここで素っ裸で抱かれるか?」
そういう俺に、ベアトリーチェは目線を下向きに外し、わざとらしくも小さな声で返してくる。
「はい、そういうのも……いいかもしれませんね、興味あります」
俺は背中を向けると表情を変えずに、強がるように、意識的に声だけを出して笑った。
「おまえ最高だぜ、ベアトリーチェ。ちゃんと準備をしてこい、先に部屋で待っているからな」
彼女の視線を感じながら、訓練場を後にした。
□
同じく黒鷲傭兵団の館。夕方、一階のホール。
心地よい木の香りが漂う。
ベアトリーチェは気だるそうに、策士ステファノとテーブルで向かい合っていた。
男装の商人服を身に着けているが、ルーヴェントに乱暴に抱かれた後とあって得も言えぬ色気を放っている。
ステファノはベアトリーチェと並んでも遜色のない黒髪の美男子なのだが、今日も彼女の放つ気配に圧倒されているようだ。
「う~む、団長に勝つ方法ですかぁ。一本を取るってねえ」
相談をうけたステファノが腕をくむ。
いかついタイプの男ではない。しかし整った顔つきは、女性に与える印象を逞しいものとしている。文官として王宮にいれば、貴族の子女に引く手あまたであろう。
「ええ、一本取れば、私のお願いが聞いてもらえるの、とことん卑怯な方法を用いても良いって傭兵団長は言っていたわ」
ベアトリーチェは唇を半開きにして頬杖をつき、襟元を大きく開けて胸元を強調した。
「貴方ならきっと、また良いアイデアをくれるんじゃないかって、そう思って……」
しかし、ステファノは胸元から目を逸らすと、あからさまに身体を硬直させる。そこから、いつものように羽ペンをクルクルと回し始めた。
「しかし、良いんですか? ここでそんな話をして」
ステファノの整った顔が、心配そうに歪む。
「大丈夫よ、堂々としていればいいの。誰もそんな大それた話をしてるなんて思わないわよ」
ベアトリーチェは顎をあげると、手の平をパタパタと動かして襟元に風を送る。
ステファノの視線が、時折胸元に戻って来るのを確認してニヤニヤする。
「そうですねえ、団長さんとの試合の時に、盗賊団に頼んで毒矢で物陰から狙撃してもらうという手がありますよ。ほかにも、ふいに大きな音を鳴らすとか」
ベアトリーチェの目が爛々と輝いた。
「それ、すごく卑怯でいいわね」
「あとは、落とし穴を訓練場に掘っておくとか。まあ、これは自分が落ちる危険性もありますね、ははは」
「よくそんな卑怯な手が思いつくわね。さすがは智将ステファノね」
ステファノは、ついに右手と左手で羽ペンを回し始めた。
「何か団長さんに弱点とかってないんでしょうか? そこを突くことが出来れば勝利は確実なのでしょうけど」
「……弱点、……弱点かあ」
ベアトリーチェは、高いホールの天井をみあげ考えを巡らす。
たしかに傭兵団長の弱点をつけば、確実に一本がとれるだろう。
天井には、空気をかき回すために三枚羽のプロペラが回っている。どのような動力で動いているのかベアトリーチェにはわからなかったが、傭兵団長の弱点を突くという発想こそが大きな鍵のように思えてきた。
(となると、弱点を知る人物)
ベアトリーチェは回るプロペラを見ながら考える。
ユキの顔が思い浮かぶが、おそらく彼は性格的に知っていても教えてはくれない。
ディルトも同じく、卑怯な手段を用いる事を良しとしないだろう。
三人組は問題外だ、そんなこと知りもしないし、考えたことすらないに違いない。
(アイツしかいない)
傭兵団長を好きで好きで仕方のない彼女ならば、彼について大概の事は知り尽くしているに違いない。
ベアトリーチェはそう考える。
「ステファノ、頼みがある。あの女を、お前の部屋に呼び出してもらえないかしら」
「あの女って?」
ベアトリーチェは鋭い目つきで、ステファノの通った鼻筋を人差し指で軽くなぞった。
(さて、どうやってあの女を攻略しようかしら)
ベアトリーチェは、悪魔のようにニヤリと笑った。
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