第94話『咎人は月下にて裁かれ③』
「着いたわよ~」
母が家の窓枠を蹴ってから、教会本部に到着するまでは十秒もかからなかった。
本当に人間離れした速度だった。私の主観では『一気に天地がめちゃくちゃになって視界がぐるんぐるんと回ったら、いつの間にか本部に瞬間移動していた』という感じだ。
しかも、着いたのは正門の前とかではない。
本部の最上層の廊下だった。どうやら窓から飛び込んだらしい。聖女ともあろう者が、なんと行儀が悪いのか。
「ママ」
「なぁに?」
ここで感情的に仕事を拒否しても、どうせニコニコと受け流されるに決まっている。
だから私は深呼吸で怒りを鎮め、冷静かつ論理的に母への説得を試みる。
「今回の討伐任務は教導官さんが担当することになったんだよね?」
「そうよ~」
「なのに、教導官さんは自分の実力不足だからって増援を頼んできたんだよね?」
「そうよ~」
「おかしくない? 不平等じゃない? だって私のお仕事のときに『ママも一緒に来て』とか頼んでも絶対許してくれないよね? そんなワガママが罷り通るなら、今後の私の任務には毎回絶対ママがついてきてくれるんだよね? そうだよね? そうしてくれるのが筋ってものだよね?」
私はネチネチとした口調で母に詰め寄る。
我が子すら千尋の谷に突き落とすのが母の指導方針なら、他の悪魔祓い連中にもその姿勢を貫き通すべきである。もし他の連中を甘やかすというのなら、まず真っ先に私を甘やかせ。
「うふふ。手厳しいことを言われちゃったわね。でも、メリルちゃんくらい実力があったら私の手助けなんかいらないでしょう?」
「いるから、全然いるから。いらないわけないから」
「甘えんぼさんねぇ。ママを頼ってくれるのは嬉しいけれど、物事には優先順位というのがあるの。最強格のメリルちゃんよりも、別の悪魔祓いさんに増援を割くのは当然というものでしょう?」
「ママ、そういう建前はいいから」
私は母の脇腹を肘でつつく。
のらりくらりと設定トークでごまかされてはたまらない。
それでも母は呑気な仕草で首を傾げて、
「建前ってなんのことかしら?」
「どう考えたって私が最強格なわけないでしょ。私より弱い悪魔祓いとかいる? 絶対いないから。私より弱い悪魔祓いなんて、それもう悪魔祓いじゃないから。ただの無能な雑魚だから――」
「おう、悪いな」
背後から低い声がして、私の息が止まった。
おかしい。ついさっきまで、この廊下には私と母しかいなかったはずだ。物音も足音も一切聞こえなかったのに、すぐ後ろに誰かが立っている。
緊迫のあまり、私は一歩も動けない。
「あら、作戦室で待ってくれていてよかったのに」
「俺の我儘で迷惑かけてんのに、座りっぱなしじゃ居心地が悪ぃよ」
母が硬直した私の肩に手をかけ、くるりと(強制的に)背後へと向き直らせる。
「紹介するわ。私の娘のメリルちゃんよ」
覚悟もできぬままに振り向いたそこには、
顔面を包帯でぐるぐる巻きに隠した、化け物みたいな風貌の男がいた。
ユノの言っていた通りだ。これが顔も名前も不明の教導官。完全にただの不審者である。
「ああ。あんたにそっくりだ。紹介されなくても分かる」
包帯に空いた二つの穴から、茶色の瞳がじっとこちらを見下ろしてくる。まるで値踏みするかのように。
蛇に睨まれた蛙のごとく、私がいつまでも固まっていると――
「ん。ちょっと待て。本当にあんたの娘か? なんか弱そうに見えるぞ」
よもやというべきか。包帯男がこちらの急所を突いてきた。
私はリアクションに困る。弱いということは極力バレたくないが、もしバレたら今回の任務から間違いなく外れることができる。認めるべきか否定するべきか。
「いや、そんなわけねえよな。悪い悪い。あの【戦神】を倒してんだから。能ある鷹はなんとやらってやつか」
が、私が対応に迷っているうちに包帯男はうんうんと勝手に頷いて納得してしまった。
「それに、ユノの小僧も世話になったしな」
「あ、えっと。それについてはこちらも教導官さんを差し置いて出過ぎた真似をしてしまったというか……」
ユノの話しぶりだと、この包帯男はずいぶんと拗ねていたようだったので、私は低姿勢で媚びておく。
「なぁに言ってんだ。あの小僧が上手く成長できたならそれで万々歳じゃねえか。もともと俺みたいな半端者が教導なんてやるのが間違ってんだよ」
ところが包帯男は快活に笑った。
己を卑下しつつも、そこに嫌味ったらしさはまったくない。
「これからも暇があればあの小僧を鍛えてやってくれよ。才能はなかなかだから、数年も経ちゃあ俺なんかよりよっぽど強くなると思うぜ」
「は、はあ……」
「自己評価が低いところは、数少ないあなたの短所よ」
どう答えていいか分からない軽口をヘラヘラと述べ始めた包帯男に、母がやや真面目な調子で苦言を呈する。
「そうかよ? 俺なんてあんたら三強に比べたら大したもんじゃねえだろ」
「いいえ。時と場合によっては、あなたが悪魔祓いのトップになっていてもおかしくない。そのくらいの実力は備えていると思うわよ」
「へっ。お世辞が下手すぎると嫌味だぞ」
包帯男が頭を掻きながら窓の方に視線を逸らした。
そこで、私は妙案を思いついた。包帯男を持ち上げる母の尻馬に乗ることにしたのだ。
「そうですよ! ユノ君もあなたのことを恩師だと尊敬していましたよ! それだけの実力者なら、【断罪の月】だろうと何だろうと絶対に打ち勝てるはずです!」
包帯男はじろっと私に視線を移した。怖い。
そのまま私を凝視し続けた後、包帯男はしばし目を瞑った。
「……逃げるぞ、俺は」
「は?」
「もし死にそうになったら、迷いなく逃げるぞ。それでもいいんだな?」
厳しい問いを投げかけられて、私は母を振り返る。
母は困ったように笑った。
「仮にも私たち悪魔祓いは神の遣いだから。悪魔を前に逃亡というのはあまり推奨されないわね」
「俺は神の遣いなんぞになった覚えはねえよ」
「あ、あの~。それはちょっと無責任が過ぎるというものでは?」
控えめに私が言うと、また包帯男がこちらを見る。怖い。
そのまま怒ったように沈黙していた包帯男はやがて、
「来月か、再来月か」
ぽつり、と。
独り言のような調子で言った。
「子供が産まれるんだよ。絶対に生きて帰るぞ俺は。ここで死んだら来世まで嫁に恨まれる。だから恥も外聞も知るか。全力でお前さんらにケツ持ち頼むからな」
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