第93話『咎人は月下にて裁かれ②』
「メリル・クライン様。よろしければ一度、稽古として手合わせしていただきたいのですが」
「んぶっ!」
私は鼻から紅茶を噴き出した。
目の前で恭しく頭を下げているのはユノである。相談があるということでうちを訪ねてきたから、暇だし客間に上げてやったのだ。
そして(使用人に命じて)茶を出してやった瞬間、この無茶な要求である。
――ふざけるな。お前なんかと手合わせしたら一秒で消し飛ぶぞ私は。
なんて本音は絶対に言えないので、私は口元をハンカチで拭いながら、聖女の娘らしい柔和な笑みを浮かべてみせる。
「焦ることはありませんよユノ。あなたは着実に成長しています。せっかくのお休みなんでしょう? 訓練のことなんか考えず、ゆっくりしていくのはどうですか?」
「そうだぞ小僧」
ぴょん、と。
開け放っていた客間の窓から、会話を聞きつけた白狼が跳び込んできた。この犬は日に日に我が家の中で遠慮というものをなくしている気がする。
「いくら貴様が殻を破ったといっても、この娘とは天と地ほどの差がある。蟻が象に挑んだところで訓練にはならんだろう。無駄に怪我をするだけだ」
「……やはり、お二方もそう思いますか」
私と白狼の説得に対し、ユノは意外にもあっさり納得した。
「僕自身もメリル・クライン様と手合わせするなどは畏れ多いと思っていたのです。メリル・クライン様が極限まで手加減してくださったとしても、僕などでは一秒も持たずに意識を刈り取られて終わりだろうと」
「む。よく分かっているではないか」
全然分かっていないユノと白狼がこくこくと頷き合う。
「だが小僧。そこまで分かっているなら、なぜ稽古を付けて欲しいなどと申し出たのだ?」
「これまで僕に訓練をしてくださっていた教導官の先生が、これからはメリル・クライン様に指導を仰ぐように仰いましたので」
「……教導官?」
どことなく聞き覚えのある単語に私は腕を組む。
そうだ。母に教会内の役職をいろいろと聞いてみたときのことだ。ヴィーラのような医務職と並んで、教導職というのも言及されていた。
未熟な悪魔祓いたちに指導を行う立場の悪魔祓いで、実力的に相当な上澄みの存在であると。
「ええと……じゃあその、教導官さんの指示でここに来たわけですか?」
「はい。僕としては先生に引き続き指導を願いたかったのですが……」
ユノはしばし回想するように目を閉じて、
「先生が『俺がどれだけボコしてやっても暴走癖が治らなかったのに、メリル・クライン様は一発で治してくれたじゃねえか。悪かったなダメ先生で。これからはあっち行けあっち』と仰いましたので」
私は無表情になって閉口した。
明らかに投げやりっぽいその言葉はおそらく、
「その教導官の人、単に拗ねてるだけなんじゃ……?」
「いえ。先生は悪魔祓いの中でも屈指の実力者ですし、職務にそのような私情は挟まないかと思います。きっと本心からのお言葉でしょう」
ユノの眼差しはピュアである。
前々からだが、このガキは天然気質なところがある。他人の言葉を額面通りに受け取りがちで、裏を読むのが苦手なのだ。その分、あれこれ騙しやすくて私も助かるのだが。
「いやいやユノ君。その言い方は確実に不貞腐れてるだけですって。お土産でも持って行って『今後ともご指導ご鞭撻よろしくお願いします』って言えば大丈夫ですよ」
「そうなのでしょうか?」
「絶対にそうです」
「そう……ですか。言われてみれば、先生は表情が分かりにくいところがありますので。僕が微妙なニュアンスを読み違えてしまったのかもしれません」
ユノはしばし考えた後、落としどころとしてそんな解釈を述べた。
あくまで自分の読み違えという自己責任にするあたり、生真面目な性根が窺える。
「ふぅん。あまり感情が顔に出ない人なんですか?」
「いつも顔を隠しているんです。兜とか仮面とか頭巾とか。今までたった一度も素顔を見たことがありません」
「……はい?」
私の中で一気に警戒レベルが上がった。
さっきまではちょっと大人気ない人物というだけの印象だったが、急にビジュアル面でのキナ臭さが増した。
少なくとも常識と良識のある大人の風貌ではない。
「えーっと……一応、その人の名前を聞いておいてもいいですか?」
間違っても絶対に近寄らないよう気を付けておこうと思ったのだが、
「名前も分からないんです」
「はい?」
「これまで何度か聞いたのですが、姓も名も一切教えてくれず。過去に先生が悪魔を討伐したときの記録を読んでも『悪魔祓い』とか『教導官』などと書かれていまして、個人名が一切出てこないんです」
大丈夫か教会。
教導官とかいう要職に、なんかゴリゴリの不審者が紛れ込んでいやしないか。
「あら~。いらっしゃいユノ君、遊びに来てくれて嬉しいわ~」
と、そこで。
客間の扉を開けて母が入ってきた。
「あっ、ママ。もう用事は終わったの?」
今日の朝、教会からの使者が急ぎの用件ということで母を連れて行ったのだ。
何か大事そうな雰囲気だったから、こんなに早く帰ってくるとは思っていなかった。
「それがね~。まだ用事の真っ最中なのよ~」
「真っ最中? どういうこと?」
「ある港街で、とても凶悪な悪魔の出現が確認されたの。【断罪の月】という、有史以来いくつもの国や都市を滅ぼしてきた悪魔よ」
母が間延びした口調を止めると同時、部屋の空気が張り詰める。
「ママ……もしかして、私にそれを倒せと……?」
「いいえ。メリルちゃんの実力も素晴らしいけど、私はこの件についてもっと適任がいると判断したわ」
ほっと私は肩から力を抜く。よかった。さすがに母もそこまでの無茶は強要してこなかったか。
「頼むことにしたのは、現役の教導官の人よ。ユノ君はよく知っているかしら?」
私とユノがぱっと目を見合わせる。
ちょうどたった今、その人物の話をしていたところだった。
「はい。よく存じ上げています。先生ならきっとどんな悪魔が相手でも大丈夫でしょう」
「そうね。私もそう思ったのだけど、本人が少し心配症で」
ふうと母は溜息をついて一言。
「『正直アレに勝てるイメージが微塵も湧かねえ。相性的に俺が適任とは認めるが、いざってときのケツ持ちは必要だ。生半可な奴じゃ足手纏いだから、三強の誰かが同行してくれ』って言い張るの」
「三強?」
「現在の悪魔祓いの中でも特に三人、他とは隔絶した力を持つ人がいるの。その人たちの通称ね。もちろん私もそのうちの一人なのだけど」
「ふぅん。じゃあママが行くの?」
同行が決まったから、荷物でも用意するために一旦家に帰って来た感じだろうか。
まったく、母にフォロー役を頼むとはずいぶん贅沢な輩である。
「いいえ。これから三人のうち、誰が同行するかを話し合って決めるところよ」
そのとき。
ぽん、と母が私の肩に手を置いた。
「というわけで、一緒に本部まで行きましょうかメリルちゃん。ユノ君、せっかく来てくれて申し訳ないのだけど、狼さんとくつろいでいてくれるかしら?」
「はい、了解しました」
「えっ。ちょっ? どういうこと?」
びしりと敬礼するユノと、気づけば私の両肩をホールドしている母。
「あらあらメリルちゃんったら。私と同等の戦力なわけだし、もちろんあなたも三強の一人に決まっているでしょ?」
絶句する。
いつ誰がどんな権利があってそんなことを決めた。三強どころか最底辺の最弱だぞ私は。
母はその剛腕で私を小脇に抱え、つかつかと客間の窓に向かう。
「ママっ! ストップ! 落ち着こっ!? 冷静になってこの手を離して――」
「お騒がせしてごめんなさいね?」
だんっ! と。
母は私を抱えたまま、聖都の上空へと跳躍した。
――――――――……
「この後、どうしましょうか?」
「ふむ……そういえば貴様と何を話せばよいかよく分からんな」
メリル・クラインが聖女とともに去った後、白狼とユノは客間で微妙に暇を持て余していた。
特に雑談の話題があるわけでもなく、かといって無言のままだと気まずい。
「小僧、そういえば貴様は訓練に来たのだったな」
「そうですが」
「庭でも走るか」
「そうですね。そうしましょう」
案外、これが結構盛り上がった。
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