第83話『財宝を暴く⑧』

「む? 錬金術というのが実現できなかったから、レクシャムというのは滅びたのだろう?」


 白狼が問うと、シャロは「ひゃっ!」と飛び退いた。

 徹夜明けで感覚が鈍っているのか、この犬の存在に気づいていなかったようだ。


「すすす、すみません……つい……」


 シャロは露骨に後ずさる。慣れてきた私からすれば白狼など犬同然だったので、ここまで怯えた反応を見せられると少し新鮮ですらある。


「いや、こちらこそ驚かせてすまんな。少し離れておこう」


 白狼は気を遣ってか、トコトコとホームの隅まで歩いていった。

 シャロが安堵に胸を撫でおろす息が聞こえた。


「本当にすみません。昨晩、恐ろしい悪魔の資料もいろいろと読んでしまったもので……人間の血を吸い尽くしてしまう悪魔など……」

「う。それはちょっときついですね……」


 と、そこまで答えてから私はやや慌てる。


「えっ、ちょっと待ってください。血を吸い尽くす悪魔? そんなのが今回の任務に関係あるんですか?」

「あっ、そういうわけではなくてですねっ。血を吸う悪魔は完全に別件です。参考までに調べていただけでっ」

「えっと……どういう感じで参考になりそうなんですか? もしかして【迷宮の蟻】も人間の血を吸うとかいうわけじゃありませんよね?」

「いえ、そんなわけではないですっ」


 シャロはぷるぷると首を振った。

 よかった。【迷宮の蟻】がそんなヤバめの悪魔なら、今からでも体調不良を装って実家へ回れ右するところだった。


「悪魔の中には周囲の物理法則を塗り替えてしまうものがいるんです。もしかしたらレクシャムにも『錬金術を実現する』ような能力の悪魔がいたかもしれないという説がありまして、似たような能力の悪魔を調べていたんです」

「その『血を吸う悪魔』がそんな能力だったんですか?」

「はいっ。とても恐ろしく狡猾な悪魔で……人々が自発的に血を流すように仕向けていたそうです。その名を【瀉血しゃけつの蚊】といいまして」


 そこでシャロは【瀉血の蚊】なる悪魔の昔話をした。

 瀉血という民間療法の概念が具現化した存在であり『血を流すことで病を治す』という、ありえない現象を引き起こす悪魔だったと。


 その悪魔の恩恵に与っていた者たちは、最終的に自ら血を流し尽くして死に至った。

 そんな一連の話を聞いて、私は率直にこう思った。


「――それって別に悪魔にも悪気はなかったんじゃないですか?」

「え?」

「だって、ほどほどに利用してれば普通に有益な存在っぽいですし」

「え、ええっ?」


 血を吸い尽くす悪魔と聞いたから、どんな凶悪なのかと思いきや。

 結局のところ、人々の死因は勘違いゆえの自殺みたいなものではないか。

 たぶんアレだ。【雨の大蛇】みたいな感じの、絶望的にコミュニケーションが下手なタイプの悪魔だったのだろう。


「で、ですがメリル・クライン様。こうした物理法則を塗り替える悪魔は総じて『誤った理にて人心を惑わせ、破滅に追いやる者』と定義されているのですが……」


 おずおずとシャロが言う。

 ふふん、これだから現場経験のない半人前は。

 実際に見てきた私には分かる。悪魔だからといって必ずしもすべてが――


「ん?」


 そこまで考えて、私はふと冷静になった。

 待て待て。何を妙なことを考えているのだ。聖女の娘ともあろうものが。


「ま、まあ? 基本的に教会の教義は正しいですけど、常に正しいとは限らないといいますか。例外もあるといいますか。ケースバイケースの意識も持っておいた方がいいですよ?」

「は、はい……?」


 内心のきまり悪さもあって、私は微妙な調子で話を流す。

 そのあたりでちょうど、線路の向こうに列車も見えてきた。


「シャロさんは寝ていないんでしょう? 到着まで時間もありますし、ひとまず休憩に一休みしたらどうです?」

「そ、そんな。わたしだけお休みをいただくなど……」

「体調万全で任務に挑むのも仕事のうちですよ?」


 にこやかに私は休息を促す。

 いざというときシャロは重要な盾役なのだ。現場までに体力を回復しておいてくれないと困る。


「調べてくださった情報は、起きてからまた聞かせてもらいますから」

「そうですか……。それではお言葉に甘えさせていただきます」


 列車がホームに止まると、シャロは一礼して寝台車の方に乗り込んでいった。

 正直、今回は白狼の鼻に頼るだけの単純な任務だ。わざわざ入念に下調べをしてくれたのはありがたいが、必要になることはまずないだろう。


「娘よ。さきほどはよく言ってくれたな」


 客車に乗り込むと、白狼がフフンと笑った。

 さっき迂闊にも私が【瀉血の蚊】なる悪魔を擁護してしまったことだろう。

 言ってしまったものはしょうがないので、私はいつもの博愛主義的な仮面を被ることにする。


「当然です。悪魔だからといってすべてが悪者なわけじゃありませんから」


 ソファーに座り、テーブルの上に置かれていたクッキーの箱を開ける。

 まあこれから白狼には一働きしてもらうのだから、機嫌をとっておいて損はないだろう。


「――では当然、算段は立っているのだな?」


 そこで唐突に尋ねられ、私はきょとんとなった。


「算段? 何の話ですか?」

「今回の任務だ。我の鼻で宝を見つけるのは別に構わんが、宝を奪えば【迷宮の蟻】は死んでしまうのだろう?」

「それはそうですけど………………あっ」


 そこで私は、重大なミスをしていたことに気づいた。

 白狼は無条件に私の手伝いをしてくれるわけではない。そこには裏切ってはならない前提条件があったのだった。


「我が宝を見つけた後、どうやって【迷宮の蟻】を助命するつもりだ?」


 罪なき悪魔の命は奪わない、という前提が。

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