【迷宮の蟻】編

第76話『財宝を暴く①』

 今日はみなさんに【瀉血の蚊】という悪魔のお話をしましょう。


 瀉血というのは医学が未発達だった時代、とある地域で信じられていた民間療法です。

 かつてその地域では『あらゆる病は血の穢れより起こる』と信じられており、その思想から派生して『病を癒すには穢れた血を排出すればよい』という治療法に至ったそうです。


 病人がいたら、とにかく血を抜いてしまえ――というわけですね。


 そんなことをしたら逆効果だって?

 はい、普通はその通りです。


 ですが、この地域においてはそうなりませんでした。

 なぜなら、常識を塗り替える悪魔がいたからです。それが【瀉血の蚊】です。

『血を抜くことで病を治す』という人々の信念が具現化した存在で、この悪魔の力が及ぶ範囲内においては、瀉血という行為に実効的な治癒力が伴いました。


 血を抜くことで、本当に病を治せてしまったわけです。


 一見素晴らしいことのように思えますが、これが大きな悲劇を招くことになります。

 誤った治療法ながら効力が伴ってしまったせいで、その地域では瀉血の有効性を疑う者が誰もいなくなってしまったのです。


 むしろ効果が覿面だったため、瀉血はますます過激化していきます。

 大した病でもないのに軽々と血を抜く者や、病でもないのに予防として血を抜く者。

 血を抜く量も増えていきます。そもそも血液というものは、体内にあってはならない害毒なのだという風潮すら生まれてきます。


 そうして――犠牲者が出ました。


 死因はもちろん失血死です。

 本来なら死んでしまうような出血量でも『どんな病も血を抜けば治る』という悪魔の理が優先され、人々の命は守られていました。

 ですが、流す血が一滴たりともなくなってしまえば、話は別です。

 すべての血を流し尽くした人間は、それ以上『血を抜く』ことができず、そのまま絶命してしまうのです。


 失血死する者が相次いでなお、誰も原因を理解できていませんでした。『しっかり血を抜いていたのに、なぜ?』と困惑するばかりです。血が人体にとって不可欠だという前提が、もはや失われてしまっていたのです。


 誰かが言いました。

 量が足りなかったのだ、と。

 こうならぬためには、もっと大胆に血を流す必要がある、と。


 その意見に頷いた人々は次々に刃を手に取り、自らの心臓へと――……



 ……この地域に住まう者たちは、やがて一人残らず絶命してしまいました。



 ええ、そうですね。

 悪魔がいなければこんな悲劇は起きなかったでしょう。

 でも考えてみてください。この【瀉血の蚊】は、果たしてこんな結末を望んでいたのでしょうか?

 あるいは、癒すべき人々を喪ったことを嘆いたのではないでしょうか。


 少なくともわたしには、そう思えてならないのです。


 だから、こうして今――

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