第74話『誰が為の戦か⑲』
気持ちの整理が追いつかなかった。
諸悪の根源と呼べる存在がいたからこそ、トゥルメナはそれを存分に憎むことができた。【戦神】を滅ぼすためなら、教会に隷属する道を選ぶことすら厭わなかった。
――それがどうだ。
国を滅ぼした【戦神】は既に死んでいた。
その後の惨劇を招いたのは、他ならぬエルバの者たち自身だった。
憎悪の矛先を失った今、胸の内を占めるのは空虚な感情だけだ。
「分かりました。それでは天より光の柱を降らせ、あなたを完全消滅させることにしましょう」
そのとき、メリル・クラインの宣告が聞こえた。
もはや【戦神】――いや、花の悪魔の最期を見たいとは思わない。だが、我が身のために今更ここから逃げるつもりにもなれない。
すべての罪を悪魔に押し付けて、この先どんな顔でお姫様ごっこをすればいいのか。いっそのこと、ここで巻き添えになった方が楽かもしれない。
『……ありがとう』
処刑を告げられ、本懐とばかりに花の悪魔が呟く。
トゥルメナはその悪魔の心境がよく分かる気がした。きっともう、生きることに倦み疲れてしまったのだろう。
「ですが、一つだけ懸念事項が」
『……?』
「私の超必殺技はとても派手です。なんせ空から裁きの光が降ってくるわけですから、どんな天変地異すら比較になりません。王都はもちろん、この国のすべての人々が目にするところとなるでしょう」
『ああ、それでいい。国を滅ぼした邪悪な悪魔が、神の奇蹟によって滅せられた――皆にそう思ってもらえるなら本望だ』
教会もその筋書きを望んでいるはずだ。
花の悪魔を【戦神】として討ち果たせば、教会はこの国を救ったことになる。エルバを実質的に支配するにあたり、この上なく正統性をアピールできるだろう。何を懸念する必要があるというのか。
「それはそうかもしれませんが、国民の皆さんはすごくビックリしてしまうと思うんです」
花の悪魔がぱちくりと目を瞬いた。
あまりに素っ頓狂な発言に、トゥルメナも聞き間違いを疑った。
そんなこと、わざわざ言われなくたって分かる。空から凄まじい光の柱が降ってきたら誰だって目を剥くだろう。
『それは……教会にとってはよいことだろう。奇蹟を目の当たりにすることで、エルバでの布教も進むかもしれん』
「ええ、実際うちの母ならそうしたと思います」
でも、とメリル・クラインは胸を張った。
「この国の皆さんはまだ、教会のことを受け容れられていません。私たち悪魔祓いのことを、異常な存在として恐れる気持ちも大きいでしょう。そんな中で、私が絶大な力を見せてしまったらどうなると思いますか?」
『それは……恐怖を覚えるかもしれんな』
「その通りです。畏怖もやがて信仰に変わるといえばそれまでかもしれません。ですが、力を背景に人々を支配するのでは【戦神】と同じです。そんな道を私は望みません」
異能の力を持つ『悪魔』たちは、かつてその力を振るって多くの人々を殺めた。
彼らの暴虐を恐れた者たちはこの地に逃げ込み、エルバという国を築くに至った。
「私が力を振るうのは今日この日ではありません。十年後か、二十年後か。いつか、この国の皆さんと手を取り合う真の友人となれた日です」
しかし、真剣な眼差しで熱弁する少女は、トゥルメナの目にとても『悪魔』とは見えなかった。
「だから――それまであなたのことは『封印』させていただきます。【戦神】の能力を二度と使えないように。誰も傷つけられないように」
メリル・クラインが花の悪魔に指を向け、ぱちりとウインクをしてみせた。
「はい。封印完了です。これであなたはもう二度と悪いことができません」
にっこりと笑うメリル・クライン。
トゥルメナでも分かった。
今のはただの方便だ。彼女は封印などしていない。そんなことをせずとも、あの悪魔が望んで人を傷つけることはないのだから。
『……私を赦すというのか?』
「おっと、反論はナシですよ。この措置はあなたのためではなく、エルバの皆さんのためなんですから」
花の悪魔は押し黙った。
それから、微かに失笑めいた声を漏らす。
『君は……優しいのだな』
その言葉とともに、花の悪魔に変化があった。
青々としていた葉や茎がみるみるうちに茶色く枯れ落ち、巨木のごとき威容がみるみるうちに崩れていく。
『これならば、問題ないだろう』
枯れ果てた残骸の下から、小さな一輪の花が芽吹く。
「え……? 小さくなれたんですか?」
『大部分の茎や根を自切した。これならば君が力を振るわずとも、容易く手折れるだろう』
「そ、そんな風に弱くなることができたなら、ユノ君に倒されることもできたんじゃないですか?」
『すまない。可能ならば聖女を――君の母を呼び出したかったのだ。私が聖女の手にかかれば、エルバは聖女が救った土地となる。その後の扱いも、そう悪くはならないだろうと』
だが、と花の悪魔は区切った。
『来てくれたのが君でよかった、メリル・クライン。君のような悪魔祓いにこそ、私は討たれたいと思う』
そこに咲いているのは、もはやただの花だ。
それを摘み取るのに、何の特別な力も必要ない。
メリル・クラインは戸惑ったような表情を見せた。
『私はずっと……逃げてばかりいた。何も決心できず、ただ何事にも目を伏せ、流されるままに生きてきた。それでも最後だけは。この国の者たちのため、ほんの僅かでも戦えたと思う』
花の悪魔は首を差し出すように揺れる。
『――どうか私に【戦神】としての死を』
メリル・クラインは俯いて沈黙した。
ぎゅっと握られた彼女の拳が、やがて解けて花へと伸ばされる。
「……本当にいいんですね?」
『ああ』
花の悪魔は満足げに応じる。
『あの世というものがあるのか――仮にあったとして、私のような化物が人間と同じ場所にいけるか分からんが……もしかつての友に会えたら、こう伝えるとしよう』
メリル・クラインが花の茎に触れる。
心なしかその手は、震えているように見えた。
『我が最期を看取りし悪魔祓いメリル・クラインは、誠に天晴れな
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