第73話『誰が為の戦か⑱』

『すまない。私のせいで、君の腕が……』

「何を言うとるか。お前のおかげで皆が助かったんじゃ」


 今でも忘れない。

 にとって最初の後悔は、親愛なる友の腕を失わせてしまったことだ。

 隻腕となっただけではない。脚にも後遺症が残ったようで、歩き方もそれ以来どこかぎこちない。


「儂らの戦いが評判になっての。ここが安全っちゅうことで、エルバのあちこちから人が集まってきとる。もしかしたら将来、ちょっとした町になるかもしれんぞ」


 だというのに、彼はいつも嬉しそうだった。

 畑作が上手くいきそうだとか。誰それの家に子が生まれたとか。森の中から動けぬ花に、他愛無い話を語り聞かせてくれた。


「のう、花よ。これからも儂らと一緒に戦ってくれるか?」


 彼が護りたいと思っているものを、いつしか花も護りたいと思うようになった。


 ――だから言えなくなってしまった。


 嫌だ、と。

 誰も傷つけたくない、と。


 自分が逃げてしまえば、ここに住まう者たちが化物や『悪魔』の恐怖に怯え暮らすことになると分かっていたから。


『ああ、もちろんだ』


 そして、花はそう答えてしまった。


――――――――――……



 決して誰も傷つけないよう、花は細心の注意を払い続けた。

 身体能力を極限まで向上させれば、人間の身体などあっけなく限界を迎えてしまう。


 無理のない範囲の強化に抑えれば、もちろん一人一人の戦力は落ちる。

 その分を人数で補った。他国からエルバに逃れてきた者たちはいずれも士気が高く、訓練にも積極的だった。彼らの尽力もあり、それから幾度も化物の撃退に成功した。もちろん誰の犠牲も出さずに。


 友だった青年――初代の王が亡くなってからも、その方針は変わらなかった。

 初代王の息子が次の王に即位したが、その息子のことも赤子の頃からよく知っていた。彼もまた頻繁に森を訪れては、花と語り合ってくれた。


 その頃は、本当にすべてが上手くいっていた。


 だが、二代王の治世の間に、その平和は脅かされ始めた。

 エルバに侵入してくる化物たちが、これまでと比較にならぬほど強力になってきたのだ。

 その背景には、教会なる組織の勢力拡大があった。彼らは各地で化物を無差別に狩っており、化物たちはその手から逃げようとエルバに流入してきたのだ。


 初代王の時代から、そうした動き自体はあった。

 だが、数十年の間に教会はその戦力を飛躍的に高めていた。そのため、これまで教会を返り討ちにしていたような強力な悪魔すら、とうとうエルバに逃げ込んできたというわけだ。


 結果『安全な戦い方』はもはや不可能となった。

 誰一人傷つけるまいと強化の程度を抑えれば、誰一人として生き残れなくなる。

 強力な悪魔を退けるためには、戦いのたびに必ず犠牲が必要だった。


 ――花はその犠牲を、毎回自ら選ばねばならなかった。


 当時、花は国のあちこちを見てみたいと思って、根を伸ばして瞳の花を咲かせる技を練習している最中だった。しかしその技はやがて、戦場の動向を把握するための技になった。

 そうして戦況を眺めて、勝機と見れば『致命打を与え得る位置にいる兵士』を極限まで強化した。


 エルバの黎明期、兵士たちは自らの意志で強化の花粉を摂取していた。

 だが二代王の時代には、花の存在は徹底的に秘匿されていた。出陣前の兵士たちも【戦神】なる存在に祈る儀式をするだけで、まさか食事に花の種子を混ぜられているなど想像もしていない。彼らの体内には、花の意志で自在に薬物を放出可能な新芽が植え付けられていたのだ。

 だから何の言い訳もできなかった。彼らは自らの意志で戦って死ぬことを選んだのではない。花が彼らの命を奪ったのだ。


 そんな中、唐突に限界が来た。


 その日も強力な化物が襲来し、エルバの兵士たちが迎撃に出た。

 だが、花は何もしなかった。戦場に瞳の花を咲かせることもなく、兵士たちに強化を施すこともなく。ただ森の奥で目を閉じて沈黙に伏せった。


(すまない……)


 友だった青年の顔を思い出した。

 彼と交わした「一緒に戦う」という約束は、もう果たせそうもなかった。


 だが――やがて聞こえてきたのは悲鳴でも慟哭でもなく、勝利を告げる王都の鐘の音だった。【戦神】に捧げる勝利の凱歌も遠くから聞こえた。


『これは……?』

「情けない。それでも同類か」


 そのとき、花の傍らに音もなく現れた者がいた。

 鞘に収まった長剣を杖のように持つ、兜で顔を隠した偉丈夫だった。


『だ、誰だ……? ここは王家の者しか立ち入れぬはず』

「ふん。そんなもの関係ないわ」


 そこで花は気づいた。

 目の前の人物は、人間ではない。幾度となくこの国に侵入してきた化物たちと――そして自分と、同じ気配を発している。


「吾輩は【戦神】。この国の神にして、悪しき外夷を討ち果たす者よ」



―――――――――……



 楽になった。

 花はそう思った。


 花がすべてを放棄したあの日、戦場ではこれまでとは比較にならぬほど洗練した戦闘が見られたのだという。

 それまで花はトドメの好機を待ち、最後の一手で極限の強化をするだけだった。だが【戦神】は化物の隙を生み出すためにも躊躇なく強化の能力を振るった。その躊躇いのなさが、かえって花の指揮よりも最終的な人的被害を少なく抑えていた。


 花は王に【戦神】の起用を進言した。

 得体の知れない存在に二代王は当初難色を示したが、花の懇願によって最後は頷いてくれた。

 そして、月日が経ち――……




『新たな【戦神】のもと、エルバは数百年の安寧を保った。だが、そのせいであまりにも【戦神】の権力が大きくなり過ぎた。奴は多数の神官に紛れ、常に国の動向を監視していた』

「ああ。やっぱり神官は【戦神もどき】の隠れ蓑としても機能していたんですね」


 目の前のメリル・クラインは納得したように言った。

 花はこくりと頷く。おそらく、この少女は既におおよその真相を見抜いているのだろう。


「で、あなたが国王様を殺したっていう話はまだですか?」


 焦れたように問うてくるメリル・クライン。

 少し前置きが長くなってしまったようだ。他人と長話をするのなんて久しぶりだから、いまいち調子が分からない。


『……十年前に亡くなった最後のエルバ王は、もはや奴の傀儡に近かった。国家は【戦神】の意志に基づいて運営されていたといっていい。といっても――奴は戦のことしか考えていなかった。働き手の男たちは余さず兵に取られ、戦費調達のために重税が課された。奴はいずれ、教会の版図へ侵攻するつもりすらあったと思う』

「そりゃあまた無謀な……勝てませんよ絶対」


 その通りだ。

 だが、あの化物は『外敵と戦うため』に生まれた存在だ。その本能を最優先して動く以上、どんな無謀な戦いにも猛進しかねなかった。


『ああ。だから最後のエルバ王は奴を討とうとしたのだ』



――――――……


 十年前。

 クーデターの日から遡ること一月ほど前。


「本物の【戦神】殿。あなたの力を貸していただきたい」


 最後の王と言葉を交わしたのは、それが初めてだった。

 王家の者なら花の存在は把握している。だが、遡ること数代は誰も花のことなど気にかけていなかった。


『私は……ただの花だ。できることなど何もない』


 彼が何と戦おうとしているのか、花は分かっていた。

 このまま【戦神】の専横を許していれば、いずれエルバが滅びるであろうことも。


 それでも、花は二度とその力を振るうつもりがなかった。


『あの【戦神】は強力な化物だ。仮に私の強化を受けて、君が勝利したとしても――』

「覚悟しています」

『いいや。覚悟ができていないのは、私の方だ』


 人の死に関わりたくなかった。

 いや、さらにいえば花は【戦神】にすら、手を下すことを躊躇していた。

 かつて花がどうしようもない絶望に暮れていたとき、突如として現れたあの【戦神】は紛れもなく救いの神だった。


 エルバはいつか【戦神】によって滅びるかもしれない。

 だがそれは明日ではない。明後日でもない。まだ遠く先の話だ。


『私のことは、ただの枯れた植物と思ってくれ』



――――――――……



 それでも最後の王は諦めなかった。

 彼は信頼できる近衛兵を集め、遂に【戦神】を討つべく行動に出た。


『――それが、十年前の夜だ。最後の王は【戦神】を狙って、近衛兵たちと奇襲を仕掛けた』


 花はその光景を最初から見ていたわけではない。

 城の方が騒がしくなったことに異変を感じ、慌てて瞳の花を伸ばしたのだ。

 響き渡る怒号と剣戟の音で戦闘の場所はすぐに分かった。王都を一望する、最上階のバルコニーだった。


『信じがたいことに【戦神】は……笑っていた。自らに反逆した王を讃えて』


 ――腑抜けかと思いきや、よい度胸ではないか!

 ――それでこそエルバの王にふさわしい!


 そう笑いながら【戦神】は近衛兵たちを斬り捨てていった。

 能力的に【戦神】は自ら戦うことに秀でた化物ではなかった。だが、単純な身体能力だけで常人とは天と地ほど差があった。


『奴は決して王だけは斬ろうとしなかった。順々に近衛兵たちを嬲り殺しながら、王に心変わりを迫った。ともにこのエルバをさらなる強国に導こうではないか、と』

「ふぅむ。【戦神】はエルバの王家が代々祀る神様、という設定ですよね?」


 メリル・クラインが唸って確認してくる。


『ああ、そうだが』

「じゃあ、行動原理にそれが反映されていたのかもしれませんね。王家の者には手を出せないとか。自覚していたのかは分かりませんが」

『……そういうことか』


 不可解だった【戦神】の言動の理由が、それで氷解した。


『奴は王に屈服を迫った。だが王は決して応じなかった。近衛兵が皆殺しにされ、たった一人になっても戦い続けた』

「【戦神】からすればさぞ鬱陶しかったでしょうね。自分からは手を出せない相手が、諦めず執拗に斬りかかってくるんですから」


 その場から逃げることは容易だったろう。だが【戦神】が、逃亡を選ぶことなどあり得ない。

 だから奴は、あの凶行に走ったのだ。


『奴は国民すべてを人質に取って、降伏を迫った。それがあの夜の惨劇の正体だ』


 ――今すぐに吾輩にひれ伏せ。

 ――さもなくば多くが死ぬぞ。


『そう宣告して、奴は全土に能力を行使した。一秒ごとに数え切れぬほどの人が死ぬ状況を生み出したのだ』


 各地に咲いていた花の瞳は、無数の惨劇を捉えた。

 一瞬前までの日常が消え失せ、隣人や友人や家族同士ですら殺し合う、阿鼻叫喚の地獄絵図が広がった。

 王都でもあちこちから悲鳴が聞こえ、圧政に不満を抱いていた者たちが蜂起の叫びを上げた。城のバルコニーにいた王から見ても、異常な事態が起きているのは明白だったろう。


『……そのとき、私は王と目が合った』


 いつから気づいていたのか。壁伝いでバルコニーの手すりまで伸びていた瞳の花に、王はまっすぐな視線を寄せてきた。

 そして彼は剣を振り上げ、真っ向から【戦神】に斬りかかり――


 ――【戦神】の剣を強引に叩き折って、その身を一刀両断にした。


『彼は私の種子を飲んでいた。かつて兵士たちに使っていたものが残っていたのだろう。だから私は咄嗟に……彼の身体能力を上げることができた』


 もちろん代償はあった。

 事前に花が警告したとおり。常人が悪魔を一撃で屠るほどの攻撃を放ったとなれば、その肉体は無事では済まない。


『私はすぐに王へと花を伸ばした。だが――既に事切れていた』


 心臓が破裂したか。脳から出血したか。

 眼や耳から噴き出した血は、彼の身体にどれだけの負荷がかかったか物語っていた。

 なぜ種子を飲んでいたのか。最後に花が手を貸すと信じてくれていたのか。その答えを聞く機会は、永遠に失われてしまった。


 しばし茫然とした花だったが、やがて気づいた。

 国中から聞こえる悲鳴が一向に止まない。【戦神】が死んで能力が解除されたにも関わらず。


 ……いいや、大丈夫だ。

 じきに皆、正気を取り戻して落ち着くはず――そのときはまだ、愚かにもそう思っていた。






『これが、あの夜に起きたことのすべてだ』


 語り終えた花に対し、メリル・クラインは呆れたように手を振った。


「いやいや。どう考えたって不可抗力じゃないですか。その状況じゃもうそれしかないですよ」

『私が最初から彼に協力していれば、あの惨劇は防げたかもしれない』


 追い詰められて、追い詰められて。

 そして王の眼差しに後押しされるまで、花は結局何も決断できなかった。


『それに過去にも私は大勢の人間を殺めている。君たち教会の基準では、私は滅ぼすべき邪悪な悪魔なのではないか?』



――――――――……



 ――くっそ面倒臭いゴネ方し始めたぞこいつ。


 私は内心で密かに毒づく。


 そもそも本当は悪魔なんかと直接対面したくなかったのだ。

 ユノやヴィーラにだけ内密で説明して、とっととこの国から撤収したかった。


 しかし【戦神】はこの国の全土に監視網を張り巡らせている。

 私がこっそりケツを捲ろうとしても途中で見つかるだろうし、約束を違えたと激昂されるかもしれない。


 というわけで、撤収の了承を取るため渋々ここに来たのだ。

 いつも通り適当なホラで処刑回避の理由を述べ、それでも【戦神】が納得しないなら『代わりに名実ともに最強の母を連れてきますから!』と全力でご機嫌を取るつもりだった。


 ところが、なんか途中で流れが変わった。

 明らかに【戦神】が動揺しだした。


 ――あ。さてはこれ、当たってるパターンだな?


【雨の大蛇】のときもユノの母のときもそうだったが、私のホラは案外よく当たる。

 それだけ私の勘が冴えているということだろう。さすがは神に愛された聖女の娘である。


 トントン拍子に私のホラは的中し、見事に一件落着と思われた矢先。

 目の前の悪魔の、まあゴネることゴネること。


 何が『私が王を殺した』だ。ビビらせやがって。

 殺したくて殺したわけじゃないだろうに。そんな罪は【戦神もどき】に擦り付けておけばいいのだ。


「要するにあなたは、罪を償って死にたいんですね?」

『そうだ』


 正直なところ『嫌です』の一言で済ませて帰っても別に構わない。この悪魔が危害を加えてくることはないだろう。

 だが、この悪魔が単なる臆病な花だと分かった今、私はこう考えを改めつつある。


 ――ここまできて逃げ帰るのもやっぱり惜しい。


 私が帰還すれば、代わりに母がこの悪魔を始末するだろう。

 そうなれば手柄の大部分は母のものだ。ここまで苦労したのだから、せっかくだし私の実績にしたい。

 たとえば【雨の大蛇】のとき、私は『大規模結界を張って大蛇を消滅させ、土地に加護を与えた』という顛末で教会に報告した。今回もそんな方向性でいい感じに話を捏造したい。


 策はある。

 ホラ話の羅列が上手くいかなかったときの最終手段として、別角度のとある言い訳も用意してきた。それをちょっと流用しつつ綺麗に纏めよう。


 こほんと私は咳払いして告げる。


「分かりました。それでは天より光の柱を降らせ、あなたを完全消滅させることにしましょう」

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