第72話『誰が為の戦か⑰』

 トゥルメナが木陰から盗み見る中、メリル・クラインは【戦神】と相対している。

 その口から紡がれる言葉は、俄かには信じがたい内容である。


『私以外の【戦神】がいただと? くだらん想像だな。何の根拠がある?』

「ええ、根拠はありません。あくまで可能性の話です」


 ですが、と彼女は逆接を挟む。


「クーデターと内乱の扇動がすべてあなたの仕業だったとしたら、行動があまりにも行き当たりばったりだと思うんです。『弱者を淘汰するため』に内乱を起こしたけど、結局は泥沼化して国全体が壊滅してしまった。それで自分の計画は失敗だったと認めて、おとなしく処刑を望んでいるという話でしたよね?」

『ああ。そうだ』

「失敗したという自覚があったなら、なぜ途中で止めなかったんですか?」

『私は人間の憎悪を駆り立てることはできるが、冷ますことはできん。途中で止めるなど不可能だ。もっとも――憎悪を煽り続けることで、決着を急がせようとはしたがな』

「そうですか? 冷ますことができずとも、止める方法ならいくらでもあるでしょう」


 メリル・クラインがふふんと笑う。


「内乱はいくつかの勢力に分かれていたと聞きます。たとえば、その中のもっとも有力な勢力だけに【戦神】の力を与えて、他のすべてを見捨てるなんてどうでしょう。そうすればその勢力だけが圧倒的に有利になって、スピーディに内乱を終わらせられます」


 さらに彼女は得意げに続ける。


「もっと手っ取り早いやり方もあります。淘汰すると決めた勢力を過剰に興奮させ、同士討ちを誘発させるとか。いずれにせよ、それなりに犠牲を出す覚悟さえあれば、あなたにとって内乱を終結させるなど朝飯前だったはずです」

『……【戦神】たる私が、特定の勢力に肩入れすることはない』

「おや、おかしいですね。そこまで不干渉主義を貫く神様が、クーデター勢力には肩入れしたんですか?」


 メリル・クラインは活き活きとした表情で弁舌を振るっている。

 言われてみれば【戦神】の凶行は不自然なほど一貫性に欠けていた。


(どうして今まで……)


 その理由は分かり切っている。トゥルメナ自身の目が憎悪に曇っていたからだ。

 すべての元凶だと自称する化物に対し、よもやその自供を疑って擁護しようだなんて思わない。


『だから何だというのだ? 仮にもう一体【戦神】がいて、その者がこの国を滅ぼしたのだとして、なぜ私が虚言を弄してまでそんな悪魔を庇う必要がある?』

「あなたが庇っているのはもう一体の【戦神】なんかじゃありません」


 鋭い一言。

 メリル・クラインの指摘を受け、【戦神】が深々とその幹を曲げた。まるで項垂れるかのように。


「あなたはさきほど『憎悪を煽り続けることで、決着を急がせようとした』と言いましたね。ユノ君に対しても『弱者を淘汰するため、内乱を引き起こした』と語ったそうです。内乱の背景には自分がいて、黒幕として糸を引いていたのだと――殊更にそう主張しています」

『……その先は、少し待ってくれ』


 そこで【戦神】は乞うように告げた。

 メリル・クラインが虚を衝かれたように言葉を止める。


 そこで、トゥルメナの足元から声がした。


『今すぐこの場を離れてくれ』


 ぎょっとしてトゥルメナが飛び退くと、そこには一輪の青い花が咲いていた。

 どうやらこちらの存在は【戦神】には把握されていたらしい。


「離れろ? なぜです? あなたは一体、何を隠しているんですか?」

『君には――君たちエルバの者には、聞かせたくないのだ』

「いいえ。私には聞く権利があります。この十年が何だったのか、いったい誰のためにあの地獄があったのか、それを知らねば死んでも死に切れません」


 決然としてトゥルメナが青い花を見返すと、花は諦めたように瞑目した。


『すまない』


 そう残すと、目の前の花が萎れて土に還っていく。

 それとほぼ同時に、メリル・クラインが【戦神】の本体に向けて話を再開した。


「もういいですか?」

『ああ』


 応じる【戦神】の声は、先程までの威厳あるものとまるで違っていた。

 どこか物悲しく、悲痛な心を感じさせる声色。


「城内に悪魔の死臭が残っていました。もしあれがもう一体の【戦神】――仮に【戦神もどき】と呼ぶことにしましょう。その悪魔がいつ死んだのかが最大の問題です」

『……察しはついているのだろう?』

「十年前の、クーデターが起きた夜ですね」


 メリル・クラインは深く呼吸してから、やがて言い放つ。


「十年前の夜。【戦神もどき】が何かしらの理由で国民全員を狂気に陥れた。そして、そのに【戦神もどき】は城内で討たれた。しかし、それでも火が付いた憎悪は一向に収まらなかった。収まるどころか膨れ上がり続けて、やがて内乱となって国を滅ぼした。つまり、あなたが汚名を被ってでも覆い隠したかった事実は一つ」


【戦神】は静かにその目を閉じる。



「――『この国の人々が、十年間まったく正気のままで争い続けていた』ということです」



 聞いた瞬間、トゥルメナは目を見開いた。

 悲劇が起きたのは最初の晩だけではない。トゥルメナの父が死んだのも異変から数日が経ってのことだったし、母とともに王都に逃れた後も地獄の日々は続いた。

 生きたまま焼かれる人間も見たし、無数の歯型に齧り尽くされた死体も見た。そしてトゥルメナ自身、多くの同胞を自らの手で殺してきた。


『いいや……それは違う。皆、正気ではなかったのだ。最初の夜に起きた惨劇で、誰もが狂気に駆られてしまった。だから決して彼らに責はない』

「ええ、私もそう思います。悪いのは最初にとんでもないことをしやがった【戦神もどき】です。ですが、実際に手を汚してしまった人はそう簡単に割り切れないでしょう。だから禊のため、彼らの罪を代わりに背負う『元凶』が必要だった――あなたは、それになろうとしたんです」


 首を振るように【戦神】が揺れた。


『私ごときの命で彼らの心を救えるなどと自惚れてはいない。だが、ほんの僅かでも……罪悪感や憎悪の捌け口となれれば。そう思っただけだ』

「やっぱりそうでしたか。あなたが悪い悪魔ではないと、最初からそんな予感はしていたんです」


 誇らしげに笑ってメリル・クラインは腕を組む。


『いつ気づいたのだ?』

「私が来る途中、あなたは聖騎士たちを暴走させました。あれは能力を見せることで、間違いなく自分こそが【戦神】だと強調したかったんですよね?」

『……ああ。だが、それがなぜ』

「私はあのとき、こう思いました。『先遣隊から安全だと報告されていたのに、話が違うじゃないか』と」


 腕組みをしたまま、機嫌を損ねたように頬を膨らませてメリル・クラインは言う。

 それに対して背後に控えるユノ・アギウスがその場に片膝をつく。


「申し訳ありません。先遣隊が到着した際は、あのような襲撃は受けませんでしたから」

「ええ、そこなんです。自分の能力を見せつけたいなら、先遣隊に対して同じことをしてもよかったはずなんです。だけどあなたは第二陣の私たちだけを狙った。それはなぜか」


 くいっとメリル・クラインは己自身を親指で示した。


「私がいたからです。より正確には――第二陣にはあなたが所望した『最強の悪魔祓い』がいる予定だったからです。聖騎士たちを暴走させても、その『最強の悪魔祓い』がすぐに対応するから重傷者は出ない。そう配慮した上で狙ったのでしょう?」

「メリル様は温存だったけどねー」

「それはそれでみんな無事だったからいいんです」


 ヴィーラからの茶々を背中に受けつつ、メリル・クラインは苦笑い。


「どうです? 違いますか?」

『あれだけのことをしておいて、配慮したなどとは言えん』

「ほら。悪い悪魔からそんな殊勝な台詞は出ませんよ」


 メリル・クラインはふーっと長い息を吐いて、膝を折りながら一礼した。


「では、これにて一件落着。私は無辜の悪魔を傷つけない主義ですので、あなたの処刑は慎んでお断りします。もし不服があるなら後日またうちの母とかが」

『いいや。罪ならある』


 弱弱しくなっていた【戦神】の語気が、再び迫力を取り戻す。

 そこだけは譲れないと言うかのように。

 メリル・クラインも再びその表情を険しいものとする。


『十年前の夜。国王を殺したのは、他ならぬ私なのだから』

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