第70話『誰が為の戦か⑮』


「……何を仰っているのですか? 【戦神】が悪い悪魔ではないと?」


 トゥルメナは膝の上で拳を固く握った。

 聞き間違いではない。メリル・クラインは確かに今、あの邪悪な【戦神】を庇うような発言をした。


「あの悪魔は我が国の民を狂わせ、互いに殺し合わせたのです。まさか教会の悪魔祓い様が、そんな悪魔を擁護なさるのですか?」

「い、いえいえ。あくまで可能性の話です。たとえば――」


 メリル・クラインは少し慌てたように手を振って、こほんと咳払いする。


「城内に正体不明の悪魔の痕跡がありました。もしもの話ですが、その悪魔こそが国王殺害の真犯人だったとしたらどうでしょう?」

「……どういうことですか?」

「もしそうであれば、十年前に発生したクーデターは『正体不明の悪魔』の仕業だったということになります。その後の内戦は国王が亡くなったことで自然発生的に起きたもの。つまり【戦神】はクーデターにも内戦にも関与していない。そういった解釈もできなくはありません」

「失礼を承知で申し上げますが、あまりにも無理があるかと」


 トゥルメナの言葉尻に隠せない棘が滲む。


「十年前の夜、王都に住んでいた者の多くが実際にクーデターの現場を目撃しています。王家に反旗を翻した一部の兵たちが革命を唱えて蜂起し、呼応した住民たちがそれに加わって王城に迫ったのです。『一匹の悪魔が城内に侵入して王を殺した』などというものではありません」

「では『正体不明の悪魔』はその革命勢力が用意したものだった可能性は?」

「悪魔を用意……?」

「ええ。知性のある悪魔なら、対価次第で協力関係を結ぶこともできるでしょう。悪魔を鉄砲玉として利用し、城内を混乱に陥れた隙に自分たちも一斉蜂起して城に突撃する。あり得ない話ではありません」

「お忘れですか? 【戦神】の自供を」


 トゥルメナは歯を食いしばってメリル・クラインを睨みつける。


「他ならぬ【戦神】自身が、クーデターや内乱を扇動したと認めているのです。疑いの余地などありません」

「そうでしょうか?」


 のらりくらりとした態度でメリル・クラインが疑義を呈する。


「ふらりと外からやって来た悪魔に王の首を獲られる。国を護る【戦神】を自称する悪魔にとって、これは間違いなく屈辱でしょう。さらに、王の死がきっかけで国はめちゃくちゃになって、実質ほとんど壊滅してしまった。つまり【戦神】はその『正体不明の悪魔』に完全敗北してしまったことになります。その大恥を隠すために『すべて自分が望んでやったこと』だと虚勢を張っている可能性も、なくはないでしょう」


 トゥルメナは堪らず舌打ちを漏らしかける。

 ずいぶん屁理屈を捏ねるが、なぜこいつはそこまで【戦神】を庇うのか。さては臆病風に吹かれて、戦うのを避けたいだけではないのか。


「残念ですがメリル・クライン様。その説はあり得ません」


 深呼吸で感情を抑え、敢えて淡々とトゥルメナは言う。


「十年前の夜、異変が起きたのは王城だけではありません。国中のありとあらゆる場所で無数の事件が発生しました。殺人も。放火も。略奪も。昨日まで普通に接していた隣人同士が殺し合うような光景が、ごく当たり前のようにあちこちで見られたのです」


 背後に控える代表団の者たちを振り返ると、誰もがあの晩を思い返して陰惨な表情を浮かべていた。

 あのときは、すべてが狂っていた。

 己の中の憤怒が瞬く間に膨れ上がり、攻撃衝動を制御できなくなった。


 幼かったトゥルメナすらその例外ではなかった。


 今でもよく覚えている。きっかけは、裕福だったトゥルメナの生家に、通りすがりの者たちが石を投げ始めたことだった。

 屋敷を囲う鉄柵の向こうで罵詈雑言が上がり、次々に石が飛んでくる。そして投げられた石の一つが、窓ガラスを割った。


 幼いトゥルメナはそれだけで我を忘れるほど激昂し、手が裂けるのも気にせず窓ガラスの破片を握って庭に飛び出した。石を投げた連中を刺し殺してやると、明確な殺意を抱いて。


 しかし、庭に飛び出したトゥルメナは、頭に投石を浴びてすぐにその場に倒れ伏した。

 攻撃衝動は消えなかったが、頭に受けた衝撃で動こうにも動けなくなった。


 その直後。投石をしていた連中が、鉄柵の向こうで言い争い始めた。

 子供に手を出すのはやりすぎだと誰かが言って、構うものかと他の誰かが言った。

 その意見対立は、すぐさま互いへの殺意に昇華された。鉄柵の向こうで彼らは殺し合いを始め、やがて誰も動かなくなった。


 この騒ぎに父母はまったく気づいていなかった。

 屋敷の中でも使用人たちが日頃の諍いをこじらせ、互いに殺し合いを始めていたからだ。冗談でも幸いなどというべきではないが――使用人の多くは老人だったので、父母は無事だった。父母が使用人の一人でも手にかけたか否かは、怖くて最期まで聞けなかった。


「これが【戦神】の仕業でなければ、なんだというのですか? たまたま国民の全員が同時に狂気に駆られたとでも?」


 詰問に対してメリル・クラインはしばし沈黙していたが、最終的にこう頷いた。


「ええ、そうですね。そういうことなら、やっぱり【戦神】が無実というのはあり得ないですね。申し訳ありません」


 その言葉にトゥルメナは妙な雰囲気を覚えた。

 どこか含みのあるような。決して本心からそう思っていないような。


「ううん……あとは最後……」


 というかそれ以前に、あまりこちらの話に集中していなかった。

 視線を天井の方に泳がせ、明らかに何か別のことを考えている。


 トゥルメナは決して強すぎない程度に、テーブルをばんと叩いた。


「わっ」

「ではメリル・クライン様。そろそろ昔話はよいでしょう? 作戦会議なのですから、あの【戦神】を殺す具体的な方法を議論しませんか?」

「あ、ああはい……すいません」


 ぽりぽりとメリル・クラインが頬を掻く。

 集中力を欠いていたのを本人も自覚しているようだ。


「先にいらっしゃいましたユノ・アギウス様から聞いています。メリル・クライン様は御母上の聖女様と同等以上の力を持ち――天より光の柱を降らせ、地中深くまで大穴を穿つこともできると」

「はい?」


 メリル・クラインがぽかんと口を開けて首を傾げた。

 それから彼女は背後のユノ・アギウスに振り返る。


「……えっと、ユノ君? そんな話をしたんですか?」

「はい。それがもっとも現実的かつ確実な討伐方法だと判断しましたので」

「あ、その技あたしも知ってる。聖女様が【鋼玉の亀】を倒したときの技だよね?」


 ヴィーラなる悪魔祓いも話に加わってくる。

 メリル・クラインはなぜかテーブルに目を伏せた。


「どんな攻撃でも傷一つ負わないくらい頑丈――だけど動きの遅い悪魔に、聖女様が力を溜めに溜めて放ったとっておきの一撃だよね。攻撃の跡地は隕石が落ちたよりも深い穴になって、後から泉が湧いてきたとか」

「その通りです。その技なら【戦神】の本体を地中の主根まで完全に消滅させることができるかと思います。各地に根は伸びていますが、力の大部分を持つ本体が跡形もなく消えてしまえば、まず無事では済まないかと」


 メリル・クラインは力を温存していると言っていた。

 ならば聖女と同様の技をもうじき放てるはずだ。

 妙に戦うことに消極的な気がするが、拒否などさせない。何としてでもあの邪悪な怪物に死の鉄槌を下して貰わねば――


 そこでメリル・クラインが唐突にぱちんと指を弾いた。


「それです」

「……何がですか?」

「天から光の柱を降らせる必殺技です。いいですね、それでいきましょう」


 メリル・クラインは椅子の背もたれに深々と身を沈めた。


「――私の力もちょうど今、満タンになったところです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る