第69話『誰が為の戦か⑭』

「――なるほど。初代の王様が【戦神】と出会った経緯は分かりました」


 場内の軍議室で、トゥルメナをはじめとした代表団はメリル・クラインに『初代エルバ王の手記』の内容を説明していた。

 この手記の序盤は、青い花の栽培記録として始まる。種を蒔く時季や水やりの頻度、施肥のコツなどといったものだ。

 それがある日を境に、突如として人語を話し始めた【戦神】との回顧録に変貌するのだ。


「しかしメリル・クライン様。【戦神】を倒すのに、ここまで昔の記録を確認する必要があるのですか?」

「ええ、大ありです」


 トゥルメナが抱いた疑問に、メリル・クラインは堂々と返す。


「たとえば出会いの経緯だけ見ても、【戦神】が間違いなく生物ベースの悪魔だと分かります」

「生物ベース?」

「ええ。悪魔の発生過程はいろいろあるんです。無から生まれる場合もあれば、既存の生物が悪魔に変貌することもあります。栽培していた花がいきなり喋り始めたということなので、やはり生物ベースで間違いないでしょう」


 トゥルメナは眉を顰める。

 いったいそれが何だと言うのか。あの悪魔がどんな種類だろうが、どうせ倒すなら関係ないだろうに。

 そんなトゥルメナの本音を見透かしたようにメリル・クラインが切り込んでくる。


「こうした出自は、悪魔の能力に関わるんです。特に無から生まれたタイプの悪魔は姿形だけで単純に生態を判断できません。たとえば蛇の姿をしておきながら、生態は蛇と程遠い悪魔なども存在します。もし【戦神】がそうしたタイプの悪魔だったら――たとえば戦闘中にいきなり足を生やして、猛ダッシュで逃走を図ったりすることもあるかもしれません。あらゆる可能性を想定して、決して取り逃がさないようにすべきでしょう」


 正論にトゥルメナは黙った。

 相手の能力を入念に想定するというのは確かに、戦場の常識ではある。


「実際【戦神】は初代の王様との会話の中で『君たちには足がある。ここから動けぬ私と違って』と述べています。基本的に移動能力はないと考えていいでしょう。仮にその後の成長で多少動けるようになったとしても、さすがに超高速で逃げるような能力までは身に着けないかと」


 そこでメリル・クラインは、続きを促すように掌を広げる。


「では確認を続けましょう。その後、初代の王様と【戦神】はどうなったんですか?」


 トゥルメナは卓上の手記に目を落とす。

 後世に革張りの装丁を施されているので立派な書物に見えるが、中身はかなり粗悪な質の紙束である。下手をすると紙が風化しかねないほどの。


「しばらく初代王は【戦神】と様々な検証をしていたようです。やがて【戦神】の咲かせる花は薬として精製する必要がないほどその効力を高いことも判明しました。微量の花粉を吸わせただけでも効果が得られたようです」

「――そうですか。実はここに来る途中で、うちの聖騎士たちが【戦神】によって暴走させられたのですが、様子がおかしくなったのは花に攻撃を仕掛けた直後でした。接近したときに花粉を浴びせかけられたのでしょうね」


 しばらく考えたメリル・クラインがそこで尋ねてくる。


「しかし、あのときの聖騎士たちは正直いって『暴走しすぎ』でした。あれではかえってまともに戦闘できないと思います。古代のエルバの戦士たちは、あんな状態で本当に戦えたのですか? あるいは別の悪魔の能力も関与していたのでは?」

「その件でしたら、記述があります」


 トゥルメナは慎重に手記を開き、該当箇所に目を通す。商人の娘として幼少期にはそれなりの教育も受けたので、古語もある程度読むことができる。


「仰るとおり、初代王もその点に難儀したようです。しかし【戦神】は間もなく、己が意思で薬効をある程度コントロールできるようになったと書いてあります。戦意の高揚と理性の維持を両立させ、恐怖や痛覚の軽減作用はより強く。そして遂には、人体の限界を超えた膂力まで引き出せるようになった――と」


 このあたりの記述は非常に詳細である。

 なぜなら、


「初代のエルバ王は自らの身をもって、こうした作用を徹底的に検証したようです。そして実用に確信を持てたころ、自らに投与して化物と……悪魔と戦い、死者を一人も出さずに勝利を収めました。それまでのエルバでは悪魔一体を倒すのに最低でも数十人の死者が当然だったようですから、これは快挙だったでしょう」


 ただし、とトゥルメナは続けて、手記をメリル・クラインの前に出す。

 あるページを境にして、乱雑だった古語がさらに汚い字になっている。まるで虫が這いつくばったような。


「……なんだか急に字が汚くなりますね?」

「はい、このため我々もこの先は解読が難しく……ただ『右腕』『引き換え』『失う』といった単語が散見されますので、おそらく悪魔を倒した際に、利き腕を失ったのだと考えられます」


 それは敵対する悪魔によって奪われたのか。

 それとも【戦神】から与えられた力に耐えられず、千切れてしまったのか。

 恨み言のような単語は一つもないので、詳細は分からない。ただ辛うじて『本望』という単語は読み取れた。


 トゥルメナはその『本望』という言葉に強く苛立ちを覚えた。

 教会の『悪魔』による支配を拒絶した初代王だったが、結局のところエルバの民を【戦神】なる悪魔に依存させてしまった。

 それの何が『本望』だというのか。単なる英雄気取りでしかない。


「ザーク」

「はい」


 苛立ちを誤魔化してザークに呼びかける。彼は脇に積んだ他の文献を運んでくる。


「この先は他の資料とも照らし合わせ、単語を拾い上げながら類推した形になります。右腕を失いながらも、彼はその功績をもってエルバの王となった。そして【戦神】を用いて戦士たちに力を与え、この国を外敵から守った――という流れのようです」

「……その当時から【戦神】の正体はエルバの人々に隠されていたのですか?」


 メリル・クラインが悩ましげに目を瞑りながら尋ねる。

 私はザークから一冊の文献を受け取る。


「そのようです。こちらをご覧ください」


 開くのは、初代王の時代から少し経って制定された禁制品のリストだ。

 その中のイラストに【戦神】の正体たる青い花がある。『初代王の御触れによって禁止』とも解説されている。


「兵士たちの強化に【戦神】を利用し始めると同時に、従来の青い花の利用は完全に禁止したとあります。また、初代王が即位して以降、エルバの各地に【戦神】を祀る神殿を建立した記録が残っています。その当時から既に【戦神】の姿は武人として描かれていました」

「『青い花みたいに危ない薬に頼るのはもうお終いだ。これからは【戦神】様に頼るんだ』っていうノリで、完全に別物扱いだった感じですかね」

「おそらくは」


 ふむふむとメリル・クラインは唸って、


「なぜそこまで執拗に【戦神】の正体を隠したんでしょうか? 教会の信仰圏でならともかく、その外では悪魔を神として祀る風習などそう珍しくありません。教会がまだ黎明期にあった時代ならなおさらでしょう。やはり【戦神】の正体が薬物だと知れると、嫌悪感が大きいからでしょうか?」


 トゥルメナは言い淀む。

 これについては明確に記述があるわけではない。だが、ある程度は推測できている。


「……恐れながら申し上げますと、【戦神】が教会から暗殺されるのを恐れたのだと思います」

「暗殺?」

「はい。【戦神】は当時のエルバにとって国防の要でした。失えばたちまち国が瓦解したでしょう。また『常人でも悪魔と戦えるようになる』という性質は、教会の特権性を揺るがすものです。初代王はそれを危惧して、【戦神】の姿をまったく別物として描いたのかと」


 そこでトゥルメナは代表団の背後に視線を送る。

 歩み出てくるのは、かつてエルバの正規兵として従軍していたものだ。


 一礼した彼は、メリル・クラインに向かって恭しく説明する。


「私はかつてエルバの国軍兵として従軍していたのですが――我々の出陣前には必ず『賜剣の儀』というものがありました。兵士たちを城内や神殿などの広間に集め、【戦神】に扮した神官が彼ら一人一人に剣を配る儀式です。まあ儀礼的なものではあるのですが……その割に当時から妙に思われていたのが、この神官の役を担う人間が不自然に多かったのです」

「ほう?」

「徴集された新兵の中から【戦神】らしい背格好の人間を選び出して神官に任命するのですが、毎年のように数十人が新規任命されていたのです。ただの儀礼要員にしては、いささか多すぎます」


 それを初めて聞いたとき、極めて非効率だとトゥルメナも思った。

 エルバは決して大国ではない。兵士だって貴重な存在だ。その貴重な兵士の中から、わざわざ毎年数十名も非実務的な職に充てる意義が分からなかった。儀式として必要なのだとしても、ほんの数名いれば十分だろうに。


 ――だが、この兵士による仮説を聞いて、すぐ腑に落ちた。


「彼らは国内のあらゆる場所に配置されました。王城にも、軍事施設にも、各地の神殿にも。我々のような一般兵からは嫉妬混じりに給料泥棒などと揶揄されていたのですが、今にして思えばあれは――影武者だったのだと思います」

「あ、なるほど」


 メリル・クラインがぽんと手を打った。


「まず【戦神】の姿を人型の別物に偽る。そしてその【戦神】らしい姿に扮装させた人たちを国中のあちこちに置くことで、暗殺のターゲットを絞れないようにする。そういう攪乱作戦ですね?」

「はい。教会の皆様には失礼な話になってしまいますが……」


 機嫌を損ねないようトゥルメナは頭を下げるが、


「いえいえ別に。こう言ったらなんですけど、無駄な努力ですし」


 メリル・クラインは平然と言った。

 それから彼女は、背後に控える部下の悪魔祓い二人を振り返る。


「普通の人間と悪魔の区別なんて、気配だけで簡単ですよね?」

「はい。もちろんです」

「うんうん。あたしでも余裕だよー」


 ということです、とメリル・クラインはまたこちらに向き直った。


「いくらそれっぽい外見の人を揃えたって、教会の悪魔祓いはそのくらい見破ります。っていうか本物の【戦神】の気配が強すぎるから、速攻で本物は森にいるってバレると思います。まあ、何が言いたいかというとつまり教会はそんな暗殺なんて企てなかったっていうことで」


 くるくると人差し指を回しながら得意げにメリル・クラインは鼻を高くする。

 そしてその指を止め、彼女は薄ら笑むような表情となる。


「さて――ところで。非常に初歩的かつ基本的な確認をしておきたいのですが」

「基本的?」

「ええ」


 メリル・クラインが卓上で手指を組む。


「【戦神】は本当に悪い悪魔なのでしょうか?」



――――――――――――……


「【戦神】よ。少し話がしたい」


 エルバ王城の背後に広がる針葉樹の森。

 メリル・クラインが作戦会議に臨む中、白狼は独断でこの森に踏み込んでいた。


『ふむ。貴様のことは先程から気になっていた』


 目の前の悪魔は凄まじい威容を誇っていた。

 無数の蔓が幾重にも幾重にも絡まって、まるで大樹のような巨躯を形成している。その頂上に咲くのは、瞳を持った巨大な青花。


『貴様は私の同類だろう? なぜ教会の者たちに討たれず、行動を共にしているのだ?』

「メリル・クラインは他の悪魔祓いと違うからだ」


 白狼は決然と告げた。

 それに対して、失笑するように【戦神】はかさかさと葉を揺らす。


『それは実に面白い。利用できるものは悪魔だろうと利用する、狡猾な悪魔祓いということか?』

「利用ではない。我はメリル・クラインの友としてここにいる」


【戦神】はその巨眼で、値踏みするように白狼を見下ろしてくる。

 白狼はその視線に真っ向から向き合い、ここに来た本題を尋ねる。


「【戦神】よ。城内に残っていた悪魔の死臭はなんだ?」

『ふん。このエルバではそんなもの珍しくもない。かつて我が力を与えた兵士が、どこぞの迷い悪魔でも始末したのだろう』


 嘘だな、と白狼は思った。

 この【戦神】は国内のどこにでも瞳の花を生やせる。王城にまで接近した悪魔であれば必ず視認しているはずだ。『迷い悪魔』などという適当な把握で済ませるわけがない。


「何か事情があるなら話せ。メリル・クラインならきっと貴様の事情も酌んで――」

『くだらん』


 白狼の説得を拒絶するように【戦神】は吐き捨てた。


『戦士の国エルバはもう滅びた。私の望みは敗軍の将としてここで討たれること。それだけだ』

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