第67話『誰が為の戦か⑫』

「ここだ」


 白狼がしきりに鼻を鳴らす。

 王城に入らせてもらって、白狼に導かれるまま辿り着いたのは最上階のバルコニーである。城下の街並みや、城壁の向こうに広がる風景もしっかりと見渡せる。


「ここに死臭が残っているんですか?」

「ああ、間違いない。貴様の母に染みついているのと同じ――悪魔が死に際に残す臭跡だ」


 母のことを「臭い」と言われているようで、私はやや唇を曲げる。

 白狼は前にもそんなことを言っていた。母はこの悪魔の死臭とやらに塗れていると。


「ううん……お城の中に【戦神】とは別の悪魔が隠れてたけど、見つかってやられちゃったってことですか?」

「あるいは、外から侵入してきた悪魔をここで撃退したのかもしれん」


 白狼が空を仰ぐ。

 遮るもののないバルコニーだから、空を飛べる悪魔なら侵入は容易だろう。エルバの強靭な兵士がそんな悪魔と戦って、返り討ちにした可能性はもちろんある。


「だが……悪魔の死臭というのは普通の臭跡とは性質が違う。いわば怨念ともいえるものだ」

「怨念?」

「怒りや恨み。そういった強い感情を残して死んだ悪魔ほど死臭を色濃く残す。そしてここに残っている死臭は――尋常でなく強い。十中八九、たまたま侵入してきただけの悪魔ではあるまい」


 最初から城の中に潜んでいたか、あるいは外から明確な意志を持って侵入したか。

 いずれにせよ、その悪魔はエルバの王家に対して何かしらの因縁を持っていたということになる。


「その悪魔が死んだ時期とか、その後どうなったかは分かりますか? 死体もどこかに運ばれて処理されたはずですよね?」

「我の鼻ならば分かる――と言いたいのだが」


 そこで白狼は、鬱陶しそうに【戦神】のいる森の方角を振り仰いだ。


「ここまで近いと【戦神】の匂いが強すぎてな。他の悪魔の匂いを嗅ぎ取るのがなかなか難しい。これだけ強い死臭でようやく分かった程度だ」


 つまり『過去にこの場所で正体不明の悪魔が死んだ』以外のことは分からないと。


 まあ、必ずしも悪魔の死体が残ったとも限らない。【弔いの焔】のように実体がないタイプかもしれないし、聖なる力を強く浴びた悪魔は灰となって消え去る。エルバに悪魔祓いはいなかったというから、後者の線は限りなく薄いが。


「すいませんトゥルメナさん。お騒がせしました」


 私はバルコニーから城の中へ戻る。

 白狼と喋る都合上「集中して悪魔の痕跡を調査したいので、私だけで行かせてください」と、代表団の面々には待機してもらっていたのだ。

 集中して調査するのになぜ飼い犬を連れて行く必要があるのか――という顔をしている奴が何人かいたが、無視した。どうせこの私に文句を言える奴などいない。


「調べた結果、確かにこのバルコニーで過去に悪魔が死んだ形跡がありました。【戦神】とは別の悪魔です。そちらはどうでしたか?」

「いえ、残念ながら」


 トゥルメナが背後の代表団たちに視線をやると、彼らは困惑しながら首を振った。


「こちらの誰もそのような事実は把握しておりませんでした。現存している資料の限りでも、城内で悪魔との戦闘があったという記録はありません」


 なるほど、よく分かった。

 結局のところその悪魔について「誰もよく分からない」ということが、よく分かった。


 ――実に都合がいい。


 既に死んでしまった悪魔の存在など、本来この場では些事でしかない。

 そんなものより現在進行形の害悪である【戦神】をさっさと始末するのが常道だ。


 が、私にそんな力はない。

 どんな手を使ってでも戦うことだけは回避しなくてはならない。ならば――


 クーデターも内戦も。この国で起きた諸々の悪い出来事を、すべてその『死んだ悪魔』のせいにしてやろう。


 実際はどれもこれも【戦神】の仕業なのだろうが、そんなものは知らん。自供だって聞く耳持たぬ。なんか事情があって嘘とかついてることにすればいい。

 そして聖女っぽく「無罪の可能性がある者を裁くわけにはいきません!」と涙ながらに主張して家に帰るのだ。後始末は母に任せる。頼んだぞ保護者責任。


 名付けて『死人に口なし大作戦』である。



―――――――――……


 メリル・クラインの雰囲気が変わった。

 さきほどまで人死にの現場を不気味がる少女を演じていたのに、今はどこか余裕すら窺える表情だ。


「ふぅーむ。この悪魔の正体も気になるところですが、今は【戦神】を倒すのが先決ですね」


 腕組みをしたメリル・クラインが不敵に笑う。

 そこに強大なる【戦神】への畏れは微塵も感じられない。トゥルメナは初めて、目の前の少女にただならぬ風格を覚えた。


「作戦会議といきましょう。あなた方の知る【戦神】の情報を、徹底的に教えてもらいます」

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