第66話『誰が為の戦か⑪』
不気味でならなかった。
騎乗して教会の者たちを先導するトゥルメナは、未だ腹の底に渦巻く不快感を払拭できないでいた。
あのメリル・クラインという悪魔祓いは、どう見てもただの小娘にしか見えなかった。
華奢な体躯に、ろくに日焼けもしていない肌。いかにも苦労知らずに育ったお嬢様の典型という感じだ。
それが教会の中でも最高峰の力を持っているのだという。
とても信じられないが、事実だ。
トゥルメナはユノ・アギウスなる悪魔祓いの少年が【戦神】と戦うところを見た。あんな年端もいかない少年が、どんな大砲をも遥かに凌駕する威力の攻撃を放っていた。
その少年が『最強の悪魔祓い』と評したのが彼女なのだ。彼に力の扱い方を教えた師匠だともいう。
そんな規格外の存在が一丁前に人間面しているのが、心底気持ち悪かった。
やたらと怪我人を治療したがったヴィーラとかいう悪魔祓いの方がよほどマシだった。あれは分かりやすく異常者だった。ユノ・アギウスも通常の子供にはない独特の雰囲気があった。
しかしメリル・クラインはそうでなかった。
少しの異常性も表に出さず、完璧に一般人に擬態しきっていた。トゥルメナには彼女が、人間の皮を被った化物のように思えた。
王城へ続くつづら折りの坂を馬で駆けのぼる。
眼下に広がる王都の光景は無残なものである。無事な建物などほとんどない。堅牢な城壁に護られた王都だが、その内側で起きた争いはどうしようもなかった。王都外に拠点を持つ勢力の手先によって、街に火を放たれたことも一度や二度ではない。
十年前のあの日、一番最初に惨劇の起こった王城が、結局今では一番マシな建物となっている。賓客を泊められるような場所はここしかない。
城門の前で馬を止め、後続の馬車の到着を待つ。
教会はずいぶんといい馬を飼っているようで、車両を引きながらでも坂をなかなかのペースで上ってくる。
「姫。どうか軽率な言動は慎まれますよう」
脇に並んできたザークがこちらに説教を垂れてくる。
トゥルメナは肩で息を吐く。
「だから言ったでしょう。姫など私には向いていないと」
「ですが、あなたしかいないのです」
「探せば他にもいますよ。こんな薄汚い人殺しでなくたって」
もともとトゥルメナは王都の生まれではない。エルバ北部の塩商人の娘だ。
基本的に他国と交流のないエルバだが、公然の秘密として密貿易はある。特に塩や鉄などは自国でほとんど産出しないため、外国から仕入れねばならない。
裕福な家ではあった。だから狙われた。
内乱が起きて間もなく、父が殺された。
略奪目的で暴徒化した住民が雪崩れ込んできたのだ。父は彼らに殴り倒され、踏みつけにされ、変わり果てた姿で見つかった。
母は幼いトゥルメナを連れて王都へ逃れた。
しかし、王都の混迷具合も北部となんら変わらなかった。すべてを失った母娘が暮らしていくにはあまりに厳しく、王都に移り住んで一年も経たないうちに母は病と飢えで命を落とした。
そうして一人になったトゥルメナは、幼いながらに王都の治安部隊の門を叩いた。
門前払いにもめげず何度も押し掛けるうち、雑用の職を得た。そして数年後には少年兵として戦列に加わるようになった。
崇高な志があったわけではない。
ただ、そこにいればいつか機会が訪れると思ったのだ。
父と母を死に追いやった故郷の者たちを『逆賊』としてこの手で殺せる機会が――……
「……あなたはこの国を統べる立場なのです。冗談でもそのような卑下はなさらないでいただきたい」
「国を統べる立場ですか。私も下っ端から出世したものです」
そう皮肉ってやると、ザークは少し苦笑した。
現在の『代表団』は複数の勢力が合流したものだが、王都の治安部隊がその中心となっている。彼らが血眼になって王家の生き残りを探した結果、下っ端のトゥルメナがその該当者だと判明した。
王族の血など何の誇りにもならないが、あのときの周りの愕然とした反応だけは少し面白かった。わざとらしく女王様と茶化してきた馬鹿は蹴り倒してやったが。
と、そこで。
目前に迫っていた教会の馬車から、メリル・クラインとその飼い犬が飛び出してきた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
いや。逃げた飼い犬をメリル・クラインが追いかけている形だ。
悪魔祓いの身体能力なら、本気を出せばすぐ捕まえられるだろうに。こちらへの配慮のつもりか。
トゥルメナは溜息をついて、しかし茶番に付き合ってやることにする。
犬を捕まえんと進路を阻み――
が、犬は想像以上に素早かった。トゥルメナとザーク、城門前で待っていた他の代表団の面子を全員すり抜けて、あっという間に城の敷地内に走り込んでいく。
「すいません通ります!」
それを追ってメリル・クラインも駆けていく。
あの犬の素早さならそう簡単には捕まるまいと思ったが、ふと見れば犬は城の大扉の前でぴたりと足を止めていた。
追いついたメリル・クラインが、犬のそばにしゃがみこんで何かを話しかけている。犬と話せるわけがないから、躾の文句でも告げているのだろうが。
しばらく犬とじゃれていた後、メリル・クラインがまたこちらに戻って来た。
だがその表情は、妙に怪訝なものとなっている。
「……どうなさいましたか?」
「すいません。ユノ君から聞いたんですけど【戦神】がいるのは、城の奥の森なんですよね」
「そうですが」
山の中腹に建ったこの城の背後には、広大な針葉樹の森林が広がっている。木を隠すなら森の中というべきか。植物の怪物が緑の中に潜んでいたせいで、王都に住んでいた住民すら【戦神】の正体に気づけなかったのだ。
「えーっと……それでは、つかぬことをお尋ねするんですが。他の悪魔に心当たりはないですか?」
「他の悪魔、ですか……?」
メリル・クラインは足元の犬に一度視線を落とし、それから王城を振り仰いだ。
「このお城の中から【戦神】とは別の悪魔の気配がするんです。ただし気配といっても死臭で――つまり、その悪魔は既に死んでるみたいなんですけど。何かご存じないですか?」
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